<金の小鳥>
・・・ごめんね・・・
その言葉を、彼は胎内で何度も何度も繰り返し聞いた。
女性は、悲しい声でずっと自分に謝り続けていた。
あたたかな子宮の海で、彼はその理由が分からず浮かんでいた。
まだ、自分の運命など知らずにいたから。
そんなに謝らないで、と。
そう伝えたいのに、声は届かなかった。
「ごめんね・・・どうか許しておくれ」
小さな竪琴を手渡しながら、育ての母も自分にそう言った。
産みの母の顔すら知らず、今まで育ててくれた院長の孤児院も解体となり、彼は再び独りになった。
☆
頬に、雨が落ちた。見上げた空は真っ暗で、まるで涙をこらえ切れなくなったかのようにポタポタと雫を落としてくる。
(どうしよう・・・)
肩までの金の髪を揺らして、彼は周りを見渡す。
もう夜も近く、街中の人通りは少ない。たまに誰かが向こうから歩いて来ても、眉をひそめて素早く通り過ぎて行く。
自分を助けるような物好きな人間などこの世に存在しないことを、彼は理解している。
建物の並ぶ通りをぺたぺたと歩く。
痩せ細った身体にボロ布を巻き、持ち物は竪琴だけ。靴も激しく破れて、片方は裸足。ただ、その金の髪と
深いブルーの瞳、美しい容姿だけは隠しようもないほど際立っていた。
ふと家の窓から漏れる光を覗くと、自分と同じくらいの年頃の子どもが両親と食事をしていた。暖炉が明々と部屋を照らし、
笑顔が溢れる光景。
「・・・・・・」
彼は、黙ってそこを離れた。
やがて、街外れの古い家の軒下を見付ける。いよいよ雨もひどくなってきたので、仕方なくそこを借り、腰を下ろす。
彼は膝を抱えて俯いた。
このような生活になって、もう半年近く経ってしまった。泣くまいと必死に唇を噛んでも、小さな肩が震える。
「っく・・・・・・ひく・・・・・・」
吐く息も白く、その嗚咽は雨の音にかき消される。
「おや、こんな所に金の小鳥がいるねぇ」
完全に手足が冷え切った頃、無人だと思っていたその家の扉が開き、腰の曲がった老婆が出てきた。
「あ・・・」
彼は涙を拭き、慌てて立ち上がる。
「勝手にごめんなさい・・・すぐに行きます」
年齢と格好に似つかわしくない礼儀正しさが、痛々しい。
「ボウヤ、中にお入りよ」
「えっ・・・」
「淋しい一人住まいなんだ。話し相手になっておくれ」
老婆は、彼の小さな肩を叩く。
大きな戦争の終結から、まだ大陸全体が立ち直れていないこの時代。どの家にも他人を助けるような余裕は無かった。
暮らす所も金も持たぬ者は、自分で何とかせねば野たれ死ぬしかないのが現実である。
彼は、突然のことに困惑する。
「あの・・・裸足で・・・汚いですから・・・」
「構わないよ、ほら」
通された家の中は暖かく、冷たかった身体が痺れを伴って体温を取り戻してゆく。
老婆は暖炉に火をおこすと、木の椅子に座らせてくれる。
「スープを飲まないかい?」
「そんな・・・悪いです。家に入れてもらっただけで十分ですから」
「子どもの内は、甘えておくもんだよ」
老婆は笑って、スープを満たした皿とスプーンを半ば無理やり彼の手に乗せる。
「・・・・・・っ」
あたたかい、人の作った食べ物を手にするのはどれくらいぶりだろう。ゴミを漁り、草を食べ、動くものは
虫でもネズミでも捕まえて命を繋いできた彼は、急に抑え難い空腹を感じ、流し込むように飲み干してしまった。
「ボウヤは、竪琴が弾けるのかい?」
老婆は彼の名も境遇も聞かず、ただそれだけを尋ねた。
「えっと・・・少しだけ、です」
「良かったら、聞かせておくれ」
彼は困ったような笑顔を浮かべたが、竪琴を抱えた。
切なく胸を打つ澄んだ声が、哀しげな旋律に乗って部屋を包む。老婆は微笑みを浮かべ、それを聴いていた。
「まだ下手で・・・すみませんでした」
「そんなに謙遜しなくとも、素敵な歌声だったよ。これからもずっと歌い続けるといい。いつか、その声で
食べていけるようになるよ」
ここまで真っすぐに褒められたのは初めてだった。
「ボウヤ、私はこれでも占い師なんだ。良い歌を聞かせてくれたお礼に、金の小鳥の未来を一つ教えてあげるよ」
「え・・・」
未来、という単語に、彼の目が見開かれる。
ただ毎日を生き延びることに必死で、未来に思いを馳せたことなど無かったから。
「金の小鳥の瞳に映る未来・・・。小鳥はいつか、大きなことを成す人物と出会うだろう」
「・・・・・・」
「大陸に伝わる、こんな古い歌を聞いたことはあるかい?」
老婆は目を閉じ、しわがれた声で口ずさむ。
闇ニ浮カブ 赤イ魂 我 目覚メノ時
金色(コンジキ)ノ騎士ニ ナラントアラバ・・・
もちろん、彼は初めて耳にするものであった。
「これは、予言詩だよ。小鳥が出会う人物の歌だ。その人は、小鳥の人生をも大きく変える。
出会う事が出来るまで、絶対に挫けてはいけないよ。私に見えるのは、ここまでだ」
☆
当時の彼には、その内容の深い意味は全く分からなかった。
しかし放浪の旅の中で、何度となく命を捨てたいというほどの絶望に駆られた時、必ずこの老婆の予言詩が胸に浮かび、
死ぬことを思い留まらせてくれるのだった。
やがて自分の中にある異能の力を知り、己の出生の真実を探るようになった。すると、どうしてもその予言の出会いまで
生きていたいと思うようになっていた。
何度も危険な目に遭いながら大陸中を歩き、歌い、歩き・・・いつしか、自分の歌を聴きたがる人たちも増えていた。
何年かかろうとも諦めずにいようと思いながら日々を過ごし、金の髪が腰に届いた頃。
彼は、紅色の光が陽炎のように揺らぐ、不思議とあたたかな夢を見た。目が覚め、何かに導かれるように
砂漠を歩いていたその時。
広大な砂の海で気を失った、一人の少年を発見した。
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