<風花>

 

「うー・・・さむ」

かじかむ手をすり合わせる。ラウォ人特有の尖った耳に、濃い紫色の髪、そして黄金色の瞳。

かつて聖騎士と呼ばれた青年・シフは小さな農村に居た。

常に大陸を飛び回り、一ヶ所に長く留まる事はない彼だが、今年はこの村で春を待とうと決めていた。

高齢者の単身住まいが多く、特に今年の冬は冷え込みが厳しい。山から薪を調達したり、農作物の雪除けを

したりして日々を過ごしている。

今は、足を骨折して買い物に行けない老婆の家に食材を届けて帰っているところであった。

歩くと、さくさくと枯れた草が足音を立てる。ちょうど昼を過ぎたあたりだろうか。陽射しはあるものの、

吹き付ける風が身を切るように冷たく、耳の奥がジンジンと痛む。

動物たちも巣に籠もっているのか、1匹も見当たらない。

見渡す農村の風景は、どこか寂しい気持ちを呼び起こす冬の世界であった。

 

「あ・・・」

ふと、シフは頬に冷たいものを感じて思わず空を見上げる。

「雪・・・?」

空はよく晴れているのに、とても細やかな雪が風に舞っている。

光の中に雪が踊る様が、まるで白い花のようで。

その美しく幻想的な光景に、シフは足を止めた。

(何だ・・・何か・・・)

ぎゅっと胸が締め付けられるような記憶の断片が、脳裏に浮かんだ。

(俺は昔、この光景を・・・)

もう少しで何かを思い出しそうだった時。

「チチチチチッ」

澄んだ、愛らしい声に思考をかき消された。肩に黄色い鳥が止まったのだ。

「何だお前・・・エントルスのお使いじゃねぇか」

かつての戦争でも伝達の手段として使われた、調教された連絡用の鳥。やはり足に手紙を着けていた。

鳥にも寒さがこたえるのだろう、羽をふっくらと膨らませると、そのまま肩の上で休んでしまう。

シフはその姿に苦笑し、小さく折りたたまれた手紙を開く。

「やっぱりシンディの字だな・・・」

 

 【カッツの危機。神殿にて待つ】

 

「な・・・っ」

血の気が引いた。瞬間、シフは走り出す。その拍子に、文字通り羽を休めていた鳥は肩から振り飛ばされ、

不満げに再びエントルスの方角へ戻って行った。

シフは村はずれの厩の扉を押し開け、愛馬の元へ。

「ジーニア、頼む! エントルスまで走ってくれ!」

かつてシフと共に戦場を駆けたジーニアは、シンディから譲り受けた相棒である。とにかく聡い馬で、

まるで返事をするかのように嘶いた。

 

無我夢中で馬を走らせ、エントルスの神殿に着いたのは月の高くなった頃だった。

農村がエントルスからそれほど離れていないマイヤ領にあったのが不幸中の幸いだった。

ここは、もはや彼にとって庭も同然。すぐに神殿付きの厩にジーニアを繋ぎ、そのまま入口へとひた走る。

「せ、聖騎士様!? どうしたのです、こんな時間に・・・」

仰天したのは門番だ。賊の襲撃かと勘違いするほどの勢いで向かってきたのは、他ならぬ聖騎士その人である。

「はぁ・・・はぁ・・・カッツはどこだ!?」

「え? カッツ様なら今は寝所に・・・」

「寝所!? 寝込むほど悪いのか!?」

「ええ、流行りの・・・」

「くそッ!」

言いかけた門番の言葉を聞き終わる事なく、シフは押しのけるようにして神殿の中へ飛んで行った。

「どうしたんだ・・・聖騎士様・・・」

まるで嵐のような出来事。門番はぽかんとした表情で、そう呟いていた。

 

長い神殿の廊下が、更に長く感じられる。ようやくカッツが寝室として使っている部屋へと辿り着いたシフは、

その扉を力任せにこじ開けた。

「カッツ!!」

部屋の中は真っ暗だった。

「シフ・・・どの・・・?」

部屋の奥から聞き慣れた、しかし弱々しい声が聞こえた。

「くそ、明かりはねぇのか!」

手探りで足を進める。

「カッツ、大丈夫なのか・・・」

その瞬間、暗闇の中で急にシフの肩が後ろから力強く掴まれた。

「うおおおおおおッ!」

本気の絶叫を上げ、シフはその場に勢い良く尻もちをついた。

「ふふ。油断大敵ですよ?」

そんな言葉が聞こえたかと思うと、急に部屋が明るくなった。

シフの眼前には、ランプを手にした金髪の魔導士。

「おま・・・ぐ、ぐ、グラディウス・・・!?」

「いやはや、ここまで驚かれるとは思っていませんでしたが」

「あっはっは、そこまで隙を作るなんてシフ殿らしくないなぁ」

振り向けば、ベッドの上で笑っているカッツ。

「何なんだ・・・」

床に座ったまま、全く状況が読めないシフ。

「ようやく来たか」

入口から、シンディがひょいと顔を覗かせた。

「シフー!」

続いて、ようやく片言の話せるようになった二歳のレニも。

「これで全員揃いましたね」

にっこりと微笑むグラディウスだが、シフは飛び掛かるようにその肩を掴んだ。

「おい! 揃いましたね、じゃねぇっつの! 俺はカッツの危機って聞いて飛んで来たんだぞ!」

「え・・・シンディ様、そんなこと手紙に書いたんですか」

グラディウスにねめつけられるも、シンディは顔色一つ変えずに頷く。

「ああでも書かねば、こいつは来やしないからな」

「くそぉ・・・全身全霊で騙された・・・」

「騙すとは人聞きの悪い。カッツの危機というのは嘘ではないぞ。生まれて初めて風邪を引いたのだ」

見ると確かに彼女の言う通り、カッツの顔はほんのり赤かった。

「何とかは風邪を引かないというのに」

シンディはニヤリと笑って付け足す。

「うう・・・こじらせた風邪がここまで辛いものだとは思わなかった。最初は、このまま死んでしまうのかと思ったよ」

しょんぼりと言うカッツに、グラディウスが苦笑する。

「まあ風邪が辛いのは確かですが・・・生まれて初めてというところがある意味凄いですよね」

戦争で大暴れした無双の大男も、初めての風邪でずいぶんと心細い思いをしたらしい。

「あぁ・・・心配して損した」

思い切り脱力したシフは、再びヘナヘナと腰を落とす。

「シフー! シフ!」

そこへレニがまとわりつく。

「はは、俺の名前、ちゃんと覚えてたみたいだな」

久々にシフに頭を撫でられ、レニは大興奮である。

「一応、シフさんを呼んだのには目的があるんですよ」

「え?」

「今日が何の日だったか知っていますか?」

「今日・・・? 何だっけ」

「全く。興味のないことに無関心な所は相変わらずだな」

シンディが溜め息をつく。

「今日は生誕祭だ」

リオール大陸の、冬の年中行事の一つである。

「エントルスの方々は特に信仰が深いですからね、昼間は街を挙げてのお祭りだったんですよ」

「だからって、何でまた?」

「・・・」

シンディがじろっとシフを見やり、やや不満げな顔でそっぽを向く。

「シフ殿」

そこへ、カッツが声を掛けた。

「生誕祭は、基本的に家族や大切な人と過ごす日なんだ。どうしても全員で揃いたかったんだよ、シンディ殿は」

「ちょ・・・カッツ!」

シンディが赤面して叫ぶ。シフは思わず噴き出した。

「あーもう・・・たまんねぇ。ほんとに馬鹿ばっかだな、俺の仲間は」

「いや、そこに私まで入れられるのは心外ですよ」

「うむ。馬鹿の筆頭は誰だと言いたいものだ」

「あんだと! カッツも相当なもんだろうが!」

「それは否定せんが・・・」

「ちょっと・・・仮にも夫に対してあんまりだろう・・・」

最後に四人は大爆笑し、よく意味が分からないレニも大人たちの楽しそうな笑い声につられてニコニコしていた。

 

            ☆

 

シンディの手料理での夕食は盛り上がり、さすがにレニは夜も更けると眠ってしまった。

しかし四人はいつまでも会話に花を咲かせ、気付けば夜も明けて朝陽が昇っていた。

「あ、そういや!」

ふと窓の外を見たシフが、声を上げる。

「昨日の昼間、晴れてんのに雪が降ってたんだ。すげぇ不思議な光景だったぜ。こっちでも見れたのか?」

グラディウスは首をかしげる。

「いえ、こちらでは降っていませんが・・・それはきっと風花ではないでしょうか」

「かざ・・・はな?」

「ええ。自然現象の一種ですよ。山などに積もった雪が風で飛ばされて、小雪のようにちらつくんです」

「そなたの居たマイヤは地形上、山を越えて吹く下降気流が起こるのだ。それゆえに風花が見られたのだろう」

「私も一度だけ見た事がありますが、美しかったでしょう? 天使の贈り物とも呼ばれているんですよ」

「天使の・・・」

シフは、はっとした。

ようやく思い出した昔の記憶。シフは過去に一度だけ、風花を見ていた。とても、とても大切な人と共に。

『わぁ・・・キレイ。これ天使様からの贈り物なんだって』

冬の野原で遊んでいる時に突如起こった自然の芸術。

幼いその人は、自分の隣で確かにそう言っていた。

(天使の贈り物・・・か)

昨日は生誕祭。

大切な人と過ごす日。

空に還った人の想いが、形を変えて・・・。

 

「はは、そっか・・・」

「シフさん、どうしたんですか?」

「いや、何でもねぇ。さ、まだまだ飲むぞ!」

「まだ飲むのか・・・帰りに酒代は置いて行くんだぞ」

 

いつまでも途切れぬ会話を弾ませ、四人はグラスを合わせる。

窓の外ではそれを見守るかのように、ひとひらの風花が舞っていた。



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