<いにしえの鍵>

 

「神官は、ただ今外出中です」

エントルスにて。この国で最高の権力を持つシンディの拠点である神殿を訪ねると、側近にそう言われた。

しかしシフたちの来訪の際は丁重にもてなすように言われてあるらしく、最上階のシンディの自室に案内され、

待つように言われた。

ここはシンディのプライベートな部屋なので、彼女が呼ばない限りは側近であっても入室は出来ない。

それを知るシフは、耳を隠すためのターバンを外した上に、ソファに足を投げ出して本格的にくつろぎ始める。

「ほほー、自分は神殿なんて初めてだから、緊張するなぁ」

一方、キョロキョロと落ち着かないカッツ。

身の丈二メートルの大男が、ちょこんとソファに掛けて右を見たり左を見たりしているのも何だか可笑しい。

彼は入国してすぐ、シフにより床屋と服屋に押し込まれた。

『そんな山賊みてぇな格好だと、怪しまれるぞ』

というわけだ。

ヒゲを剃り、無造作に伸び放題だった髪の毛を切り、継ぎ接ぎだったボロボロの服を新しいものに変えると、

なかなかの好青年が出来上がっていた。もともと涼しい目元をしているので笑顔も決まるし、筋肉質な身体も

見栄えが良い。

『まさに、馬子にも衣装ってやつだな』

などとシフもからかった。

 

「しかし、ついていませんでしたね。シンディ様がお留守だったとは」

「案外、男と遊んでたりしてな?」

「久しいな。少し視察に出ていて、待たせた」

突然扉が開き、シンディが入ってきた。

よく手入れされた銀髪と、それに映える柔らかな色の装束が一気に部屋の雰囲気を明るくした。

「おわっ、まさか今の聞こえて・・・」

「いないはずがなかろう。相変わらずそなたは口が悪いな」

「シンディ様、ご無沙汰しています」

「グラディウス、息災で何よりだ。シフの面倒を見るのは骨が折れるだろう?」

「ふふ。保護者の立場にも、もう慣れましたよ」

「おいッ! お前ら・・・」

シフの不服の声を無視し、シンディの視線はソファの人物へ。

「そちらは?」

初めて見る、凛々しく美しいシンディの姿に呆けていたカッツだったが、慌てて立ち上がる。

「自分は、ファニー村から来たカッツ・ディアブロスと申します。縁あって彼らと同行することになりました」

「ディアブロス? どこかで聞いた名だ・・・」

シンディは難しい顔で唸り、急に思い出したように顔を上げた。

「父に戦争の歴史を語ってもらう際、必ずその名の人物が出た。

もしやそれは・・・」

「きっと自分の父のことでしょう。当時、エントルスの部隊の一つを率いていたそうですから」

 

かつての大陸戦争時、エントルスはまだ最高権力者を『国王』と称していて、当時その位に就いていたのは

シンディの父親であった。シンディは四歳と幼かったが、終戦して数年後に王が病で他界。彼女が僅か十二歳で

即位する形となって現在に至る。戦争のさなか、あの一片の容赦もないラウォ軍に部隊ごと拘束されたにも

関わらず、仲間たちを逃がして死んだカッツの父親は、エントルスでは英雄的存在であった。

 

「そうであったか・・・。そして今、息子であるそなたがシフと共にあるというのも不思議なものだ」

シンディがカッツの顔をまじまじと見つめる。

「父はディアブロスを特に信頼していたそうでな。最後の進軍前に、特別に造らせた肌守りのナイフを

贈ったとも聞いた」

「ああ、それなら・・・」

カッツがシフを見る。

「これか? カッツの妹から譲ってもらったものだ」

シフが懐から取り出す。

「ああ、鞘から抜いてみろ」

シフが言われるままにすると、特徴的な刃がその身を現した。

「これは・・・まさかルリア石で出来てるのか?」

リオール大陸で、最高の硬度と衝撃耐性を持つとされる鉱石だ。強い光沢があるので、一目でそれと分かる。

あまりにも希少で値段も高いため、どの国の軍もルリア石の武器だけは入手出来ないほどである。

「それほどの大きさとなると、一体どれほどの価値が付くのか想像も及ばぬがな。最終的にはシフの手に

渡ったか。大切にしてもらえると、私も嬉しい」

シンディは笑顔で言うと、椅子に腰かけてゆったりと足を組んだ。

 

「さて、そろそろ今回の訪問の理由を聞こう」

少しの雑談のあと、シンディが切り出した。

「そのことなんだけどよ。遺跡へ行くために鍵が必要だって分かったんだ」

「・・・なに? 遺跡の場所までは突き止めたということか」

「ああ。北の海の底って言われてるらしいんだが・・・えっと何て名前だったかな。リバ・・・?」

「リバイアサンですよ」

「そうそう。で、あるのはいいが鍵を入手しないと海の底まで行けねぇみたいでさ。だけど何の手がかりも無くてな」

「仕方なく、お忙しいとは思いますがシンディ様を頼ってきた次第です」

シンディの眉間に皺が刻まれる。

「鍵・・・か」

「何か、少しでも知らねぇか?」

「急にそう言われてもな。鍵というのも、何か『鍵になるもの』という意味で、鍵そのもの、ではないかもしれぬし・・・」

「一応、エントルスの国立図書館でも調べてはきたのですが・・・」

「私の読んだことのある聖騎士関連の文献にも、そのような記述は無かったと思う」

「打つ手無しか・・・」

シフが溜め息をついてソファに転がる。

「それよりさ、何か食いもんないか?」

「自分も、だいぶ空腹を我慢していて・・・そろそろ限界だ」

こういう所は息が合うらしく、シフとカッツが同時に腹の音を鳴らした。シンディは思わず噴き出す。

「くくく。ここの地下に厨房がある。何か作ってもらって、中庭で食べて来い」

「やりィー! ちょっと行ってくるぜ! 色々と考えんのはとりあえず満腹になってからだ」

シフは素早くターバンを巻くと、カッツと共にドタバタと部屋を出てゆく。まるで嵐が通り過ぎたかのような錯覚を覚える。

「本当に面白い奴らだ。あの騒々しさに、疲れはせぬか?」

つとグラディウスを見る。

「これまで、ずっと一人でしたから。彼らの明るさには、髄分と助けられていますよ」

グラディウスが、素直な笑顔を見せる。

「そなたは、表情に変化が出てきたな。初めて会った頃は、物腰は丁寧でも・・・あまり笑っていなかった。

あの二人の存在は、良い影響を与えているようだな」

「ええ。シンディ様にも、ね。私も少し、中庭で休憩させていただきます」

ゆっくりと立ち上がり、衣擦れの音を立ててグラディウスも部屋を後にする。

「私もまた変わったというのか? ふふ・・・」

シンディの小さな呟きは、風の入る部屋に溶けた。

 

            ☆

 

「神官、参りました」

ノックの後、でっぷりと太った中年の女性がシンディの自室を訪れた。

「呼び立ててすまないな。相談があるのだが・・・」

「失礼します」

「どうも、ごっつぉーさん! 食った食ったぁ!」

「もう腹が苦しくて動くのも辛い」

シンディの言葉を遮るように、食事を終えた三人が勢い良く部屋に入ってきた。

「そなたたち、もう少し静かに入って来い。しかし、ちょうど良かった・・・紹介しよう。ジェシカという」

「初めまして、ジェシーとお呼び下さい」

まるでスイカのような大きな腹を揺らし、ニタっと笑った。

「彼女自身も、もう二十五年もここに仕えてくれているが、過去何代にも渡ってエントルスの議員を務めてきた

一族だ。その豊富な知識から、国の頭脳とも呼ばれている」

 

各国とも政治形態は様々である。かつてシフが居たラウォは絶対王政であり、国王バルの命令が何よりも力を持ち、

逆らう者は許されない。だからこそ余計な役職は作らず、最も強力な軍隊の騎士隊長が国王の次に力を持つとされ、

シフがその位置に立っていた。

一方、エントルスでは最終的な判断を下すのはシンディであるものの、国民から選出された多数の議員から成る

議会を設け、全ての事項が話し合いで進められてゆく。

政治の形もまた、その国の権力者の性格を確実に表していると言えよう。

情報の収集や諜報活動に長けたエントルスにおいて『国の頭脳』とされるジェシカに、シンディはシフたちの

素性や目的を上手く隠しながら鍵の件を話した。

ジェシカとて色々と疑問も抱くが、あえてそこを追求してこない性格も、シンディが彼女を重用する理由の一つでもある。

 

「うーん、そうですねぇ・・・鍵、鍵と」

記憶の引き出しを開け閉めするように思考を巡らせながら、ジェシカはしばらく考え込んでいた。

「あんまりにも漠然としてるんだよなぁ。鍵って言ってもよ」

「しかしグラディウスの歌を聞く限り、北の海に行ってみる価値はあるからな。そのための方法である鍵を、今は

何としてでも・・・」

「あっ!」

ぼそぼそと話をしているシフたちをよそに、ジェシカが突然声を上げた。

「どうしたんだ、オバちゃん!」

「ジェシーと呼んで下さいね?」

目が笑っていない笑顔で鋭くシフに念を押すと、ジェシカはシンディに向き直った。

「鍵を扱う専門機関のことなんかも色々と考えていたんですがね、どうもしっくり来なかったんです。

しかし、一つ思い出しましたよ」

「ほう、ぜひ聞かせてくれ」

「南の隣国ヴァレンに、メカレという老人が居ます。古い鍵の収集家で、若い頃に各国の遺跡や廃墟を巡って

入手した鍵や、競売会で競り落とした年代物の鍵を大量に所有しているんですよ」

「ヴァレンか・・・エントルスの国内であれば話も早かったのだが」

「国交も無い今は、入国が難しいのではないですか?」

グラディウスの懸念も、もっともである。

「いや、幸いヴァレンのレナード王とは個人的な知り合いでもある。学術研究の名目でメカレの館を訪れたいという旨、

王とメカレ本人に手紙を送ってみよう」

「まじか!? 助かるぜ」

「その老人の居る国がラウォだったら、もうお手上げだった。良かったな、シフ殿」

「いや、ラウォだけでなくフォングやマイヤでも、交渉は難しかっただろう。運が良かったな」

シンディも心底ほっとしている様子だ。

「もう一つ、運が良いことがありますよ」

ジェシカがニタッと笑い、シフを見る。

「メカレの住まいは、エントルスとの国境付近です。馬を使えば日帰りで戻れるほどの距離ですよ」

「ならば、私はすぐに手紙を準備しよう。実際にはお前たちがその鍵を全て調べることになるから、頑張るがいい」

「でもよ、その大量の鍵の中から探すんだよな。どれが遺跡の鍵かなんて、どうやって分かるんだ?」

「ある程度なら、私に任せて下さい」

グラディウスがシフの肩を叩く。

「目的の鍵が、その中にあれば良いな。自分も付いていって、探すのを手伝おう」

カッツもやる気は十分のようだ。

「ああ、面倒くせぇけど、やるしかねぇか」

言葉とは裏腹にシフの表情がぱっと明るくなったのを見て、シンディとジェシカはそっと微笑んだ。



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