<戦禍の記憶>
ファニー村を後にしたシフとグラディウス。山の麓まで戻ると、真っすぐに最東の国・エントルスを目指していた。
入国のための門に向かうには、一度あの地獄の砂漠に出る必要がある。
大陸中央の広大な砂漠は、どの国の管轄のものでもない。
すなわち、この砂漠の上で起きたことへの介入は、誰にも出来ないということだ。道に迷って餓死するも、
誰かに殺されるも、全てが自己責任。
そういう意味で、捜索していた人物にこの場所で遭遇出来たのは、彼らにとって何よりも好都合であったといえる。
「随分と探しましたよ、騎士隊長。大人しく国王の元に戻っていただきます。拒否されるなら、その首だけでも
構わないとの仰せですが」
ちょうど遠くにエントルスの入国門が見えたあたりで、ラウォの国王バルが差し向けた刺客に取り囲まれた。
相手は七人。全員が目深に黒い帽子を被り、尖った耳を隠している。
シフには見覚えのある顔も混ざっていた。言わずもがな、全員が暗殺を目的とする訓練を受けている精鋭である。
「抵抗なさるなら、隣のお友達にも死んでいただくことになりますよ。メルビア王女の行方も気になりますが・・・」
一人がそう言い終わると、全員が一斉に武器を出して構えを作った。
剣やナイフを持つ者が四人、弓をつがえる者が三人。
(シフさん、殺さずに切り抜けられないでしょうか)
(俺もそうしたいんだが・・・相手が悪い。そんな気を回しているうちに、こっちが殺されるかもしれねぇ)
彼らの構える剣や矢に猛毒が塗ってあることは、シフには容易に想像出来る。かすっただけでも命の保証は無い。
「そろそろ、お返事を聞かせていただきましょう。諦めてお戻りになるか、首だけのお姿になられるか」
言葉は丁寧だが、口調はひどく高慢である。
シフは剣の柄に手を掛けたまま、動かない。グラディウスも、また。
「悪いが、ここで死ぬわけにはいかないんだ。なぁ、相棒」
「そうですね・・・」
「それがお返事ですか。分かりました。あなたの身柄さえ捕らえられれば、王女はどうなっていても
良いとのことですので、こちらも遠慮はしません」
にいっと男の口角が上がった瞬間、後方から矢が一斉に放たれる気配がした。
「グラディウスッ!」
「任せて下さい」
グラディウスが右手を振り下ろすと、突風が矢の軌道を変えた。
「な・・・何だ今のは!?」
「援護を頼むぜ!」
相手側が怯んだ一瞬の隙を突いて、シフが飛び出した。
剣を構える男たちが向かってきたが、やはり単体での剣技ならシフの方が上だ。キィンという音が響き、
次の瞬間には相手の剣がシフにより跳ね飛ばされていた。
すぐに他の男もシフへ間合いを詰めるが、グラディウスの放つ炎により阻まれる。
「ぐっ・・・まさかここまで手こずるとは・・・」
先程までは余裕の表情だった男が、ナイフを強く握って歯軋りをする。
シフを目がけて矢もひっきりなしに放たれるが、全てグラディウスにより阻止される。
その間に、シフは一人の相手を気絶させた。しかし、空気を切り裂くように向かってきたナイフの刃を避けた隙に、
別の男から腹部に強い蹴りを受ける。
「ぐあッ!!」
「!」
グラディウスもシフの声に咄嗟に反応したが、敵もこの機を逃さない。
「まずは、その妙な力を使う金髪の方を殺せ!」
矢の標的が自分に変わり、シフを助ける余裕が無い。
体勢を崩したシフに、剣が振りかぶられる。身を転がして何とかその一撃は避けたが、シフは地面に膝を着いたままだ。
すぐに次の攻撃が来る。
(まずいッ!)
「シフさんっ!」
グラディウスが叫んだ直後、連続で二回の鈍い音がして仰向けに倒れたのは、シフではなかった。
何かが飛んできて、シフを狙っていた男の額と、グラディウスに向けて今にも矢を放とうとしていた弓兵の顔面に
当たったのだ。一瞬にして気を失った彼らは、白目を剥き、泡を噴いている。
「危なかったな、二人とも」
立ち上がったシフの後方から、そんな言葉が聞こえた。
「な・・・お前!」
そこには、石を握ったカッツの姿があった。あの、大岩をも砕く剛腕から投げられた石ならば、例え小さくとも
十分な殺傷能力があるだろう。
「話はあとだ。まずはここを切り抜けるぞ」
カッツは少しだけ笑ってみせると、石を捨てて拳を握りしめた。
予想外の展開に足を止めていた剣兵が、再び動く。
「グラディウス殿は、残りの弓兵を頼む!」
「わ、分かりました」
グラディウスに指示を出しながら、カッツはあっという間に剣を持った男を一人殴り倒す。
シフもすぐに体勢を整えた。もはや、勝敗の行方は完全に見えていた。
ほどなくして、弓兵三人、剣兵四人、見事に全員が砂漠に沈んで意識不明となっていた。
かなりの重症ではあろうが、何とか命は取らずに終えたことに、シフは息をつく。
☆
「カッツさん、どうしてここに・・・」
刺客の男たちの山を背に、グラディウスが問う。
「あはは、君たちと一緒に行くために追いかけてきたんだ。危ない所で間に合って良かったよ」
「あははじゃねぇよ! 何だよ、一緒に行くって」
「ちゃんと家族の了解はもらってきたぞ」
「俺らの了解はもらってねぇだろ」
シフはカッツに詰め寄るが、身長が相手の肩にも満たないので、結局は見下ろされるのが内心悔しい。
「カッツさん、当てのない遺跡探しの、いわば物好きな旅です。付いてこられても、何の得にもなりませんよ」
グラディウスも、どうしたものかという表情をしている。
「いや、嘘をついても無駄だ。あの洞窟の中で、グラディウス殿は言っていただろう。シフ殿が聖騎士になるんだ、と」
「!?」
確かに、シフが炎に巻かれた剣の凄まじさに気を失いそうになっていた時、思わずグラディウスはカッツの横で
『聖騎士になるのでしょう!?』と叫んでいた。
「グラディウス・・・・・・お前」
「・・・面目ありません」
シフではなくグラディウスが不手際を詫びているなど、珍しいにも程がある。
「二人が家を出た後に、あの古い手記の内容の続きを祖父殿に聞いていたんだ。遺跡の中には聖騎士が遺した
秘宝が存在すると言われて、やはりシフ殿が伝説の聖騎士を目指しているのだと確信出来た。そこで、自分も
何か力になりたいと思うと、居ても立ってもいられなくなってな」
かつてシンディも、ファニーの古代遺跡には聖騎士の証たる秘宝が眠っていると教えてくれた。希少な文献に
書かれているものだと言っていたが、まさかダイス老人の祖父も、それを知っていたとは計算外だった。
しかしファニー村の人間が遺跡に暮らした住民の子孫だというのが本当なら、むしろ当然なのだろうか。
「あの・・・俺がこんなこと言うのも何だが、聖騎士に必ずなれるって保証も、それ以前に秘宝や遺跡が本当に
存在してるって保証もねぇ。しかも、訳があってさっきみたいに命を狙われてるんだ。とばっちりでお前に
何かあったとしたら、お前の家族は・・・泣いて暮らすことになる」
シフは、あんなに気の良いカッツの家族が悲しい顔をするなど、ましてやそれが自分のせいでそうなったら、
と思うと背中に寒いものが走る。
「カッツさん、私は幸か不幸か天涯孤独の身です。だからといって自分の命を投げ遣りにしているつもりでは
ありませんが、カッツさんは自分以外にも大事なものを沢山抱えていらっしゃいますから・・・」
グラディウスも、シフと同じようにカッツの家族の顔を思い浮かべていた。
「では、シフ殿に質問させてもらいたい」
「え?」
カッツは真剣な表情でシフの瞳を見下ろす。
「聖騎士になったとして、何をするつもりだ?」
「・・・・・・」
突然、胸を突かれたような気持ちになった。
今、ここで本音を言うべきか。しかしカッツの向けてくる視線の前では、適当なごまかしは通用しないと、そう感じた。
「・・・バルの野望を、止める」
「シフさん・・・」
「遠くない未来、全土統一を目指すラウォが、他の国に向けて侵攻を開始する。きっと、恐ろしい虐殺が行われる。
女や子供にも容赦しない。だから、それを防ぐ手段として、聖騎士の秘宝を探してる」
ラウォの国王・バルの下で生きて来たシフには、祖国がどれほど冷酷な手段を用いて他国を制圧するつもりかは、
嫌でも想像出来る。
力が全て。奪えるものは根こそぎ奪う。そんな思想を掲げ、またそれを実現できるだけの軍事力が整いつつある
現実を、ずっと見て来たのだ。
「俺は聖騎士になるってのが最終目標じゃねぇんだ。むしろ、それ以外にラウォを止める力になるものがあるんなら、
何でも構わない。情けねぇけど、正直・・・聖騎士なんていう伝説に頼るほど、藁にもすがる思いなんだ」
「シフ殿・・・」
「そして、俺の命を救ってくれた人が願ってたんだ。平和で、命が生まれ続けてゆく世界を。だから俺は、
死ぬまでそれを目指していくつもりだ」
シフの素直な本音だった。
カッツは少しだけ空を仰ぎ、そして自分の拳を見つめた。
「自分の、父の話を聞いてもらえるだろうか」
以前、リィスからも少しだけ教えてもらっていた、カッツの父親の話。
「父は、あの大陸戦争で亡くなった。自分が十二歳の時だったから、もう十七年前になるか。当時は
エントルス領だった村から徴兵され、とんでもなく強かった父は一つの部隊を任されていたんだ」
当時を懐かしむように、ゆっくりとしたカッツの口調はどこか悲しげである。
「ある時、部隊がラウォ軍に捕らえられた。父は、そこで仲間を逃がして死んだと聞いた。一人、仁王立ちで
事切れたという。家に届けられた無残な遺体を見て、子供だった自分は泣いたよ。その日、悲しみの渦中で
リィスが生まれ、出産を終えた母も、そのまま力尽きたように死んだ。父も母も、娘の顔を一度も見られぬまま
逝ってしまったんだ」
「・・・・・・」
シフもグラディウスも、言葉が出ない。
「戦争に行く前日の夜、自分は父の目を満足に見ることが出来ずにいた。明日にでも父が死んでしまうかも
しれないという恐怖と、あの優しい父が誰かを殺してしまうかもしれないという恐怖。どちらも怖かったんだ。
そして、そんな自分に父は言ったよ。大切なものを守るために戦いにゆく。その意味を、いつかお前も
大きくなったら理解する時が来る、と」
「カッツ・・・」
「あちこちフラフラしてきたおかげで、五王国の緊迫状態はよく知っているつもりだ。あの忌まわしい過去を、
繰り返すわけにはいかない。自分は自分で、何か出来ることはないかと探し続けてきたんだ。もし自分にも、
シフ殿の目指すものを手助けする力があるならば・・・土下座してでも同行したい」
「カッツさん・・・しかし」
「グラディウス」
シフがグラディウスの肩を叩く。
「ここまで言われたら、断るわけにもいかねぇだろ。俺たちと違ってカッツは戦争の時代を生きてんだし、
教わることも多いと思うぜ」
「・・・ふっ、まさかシフさんに諭される日が来るとは、思いもよりませんでしたよ」
「何かそれムカつくんだが・・・」
「それじゃあ、自分は?」
「ああ。その馬鹿力、頼りにさせてもらうぜ」
「シフ殿! 有難う!」
「だーッ! 縋りつくんじゃねぇ! ヒゲが痛ぇんだっつーの!」
守るために戦う、父のその言葉をずっと胸に抱いて力をつけて来たカッツ。これから起こるラウォの侵攻を
止めるという目標を同じくしたシフたちと出会った奇跡もまた、何かの導きだったのかもしれない。
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