<海の底への誘い>

 

「よし、それじゃ行ってくるぜ!」

「シフ、くれぐれも気をつけろ、耳」

「分かってるって」

鍵の収集家・メカレからの訪問許可の返事も無事に届き、シンディに見送られて三人はヴァレンを目指す。

シンディの所有する馬を三頭借り、メカレの家も国境から近いので日帰りの旅である。

人の多い街中では、馬を引きながら歩いた。

「なんっつーか、ラウォでは食い物以外は剣とか槍とか、無骨なもんばっかし売ってたけど・・・ここは

俺のガラじゃねぇもんばっかだなぁ」

露店の数々を横目で見ながら、シフがそっと呟く。エントルスの文化的な国柄のせいか、工芸品や本、織物の店が目立つ。

「自分も、硝子製の品なんかは壊しそうで苦手だ。その点、グラディウス殿は肌に合う物が多いんじゃないか?」

「そうですね。楽器類などは見ていると楽しいです。シフさんも何か、簡単なものを始めてみませんか?」

「はぁ? 楽器弾いて腹の足しになるかってんだ。そんな時間があったら、素振りでもしてた方がマシだ」

「あっはっは、シフ殿らしい」

「まったく・・・シフさんは」

三人の明るい笑い声が、人の多い市場に溶けてゆく。

賑やかな通りを抜け、エントルスを出る。砂漠からヴァレンの入国門までは、馬を飛ばした。

 

            ☆

 

シフはヴァレンに入国するのは初めてであった。対するグラディウスは二度ほど吟遊で訪れたことがあり、

カッツも数年前にはヴァレンの酒場の用心棒の仕事を短期で行っていたので、土地勘がある。国という単位での

交流は無いが、個人が行商などの目的で入国するには、エントルスよりも規制が緩い。

並ぶ建物は丈夫な造りで、住民にも礼儀正しい者が多い。道行く顔は笑顔に溢れ、国の治安がしっかりと

守られているのが街の雰囲気から感じられる。

「レナード王自身も頻繁に国のあちこちを視察しているから、国民の意見をよく政治に吸い上げているんだ。

自分も遠目で見たことがあるが、若いながらもなかなか貫禄のある人物だったと覚えている」

「そっか・・・いい国だな」

シフは素直にそう思った。自分が生まれ育ってきたラウォと、どうしても比べてしまう。

「しかし反面、レナード王も武力の準備には手を抜いていませんよ」

エントルス同様に『軍隊』ではなく『警備隊』とされてはいるが、やはり国家において最重要ともいえる組織だ。

グラディウスは、ヴァレンの警備隊員たちが訓練をしている様子を見かけたことがある。見事に指揮を執っていたのも、

やはりレナード王本人であった。この情勢の中で、外敵から国民を守るための力は、どの国においても疎かには

出来ないのである。

「そういうのが必要ないのが・・・本当は一番なんだけどな」

ぽつりとそう言ったシフの顔を、グラディウスもカッツも言葉なく見つめる。

どこよりも強い武力組織の頂点にいた人間。だからこそ今、本音でそう言えるのかもしれない。

 

「・・・ここですね」

ヴァレンに入国して一時間ほど歩いたところで、グラディウスが声を出した。

住居の立ち並ぶ通りから離れた、うらさびしい道にぽつんと建った古い家。

「地図の通りだな。すんなり見つかって良かった」

「いいですかシフさん、メカレさんには、エントルスから来た学術研究者ということで話を通してあります。

それ以上のことは、何も言わないように」

「ああ」

何しろ正体がバレて投獄された前科がある。念を押されるシフ本人も、今回は慎重にことを進めたい気持ちだ。

近場に馬を繋ぎ、さっそく扉を叩いてみる。

「ごめんください」

すぐに皺の深い、背もとても小さい老人が出て来た。

「ああ、いらっしゃい」

貰った手紙を見せると、すぐに招き入れてくれた。

(収集家なんていうから、偏屈なジーさんだったらどうしようかと思ったぜ・・・)

聞く者を安心させるようなメカレの声に、シフは胸を撫で下ろした。通された応接間で改めて自己紹介をして、

鍵を見せて欲しいと頭を下げる。

「ははは、そうかしこまらんでくれ。こんな老いぼれの収集品に興味を持つ若者など珍しくて驚いたよ。

どれ、さっそく案内しようかね」

よろりと立ちあがったメカレの小さな背中に、三人は付いて行った。

廊下に出て少し歩くと、妙に重苦しい彫り模様の施してある扉の前に辿り着いた。

「いいかい、この部屋に入ったら、惑わされぬようにな」

「え?」

「古いものには、色々と念がついている。特に鍵のように無数の人間の手に触れて来たような品物は、良い影響を

与えることもあれば・・・そうでないこともある」

そして、メカレは扉を押し開けた。

瞬間、シフは奇妙な気持ちに脳内を支配される感覚に襲われた。どちらかといえば恐怖や苦痛といった、マイナスの

感情に近いものを感じる。

振り向いて見たグラディウスの顔も、多少こわばっていた。

「さ、入りなさい」

「あ、あぁ・・・」

力なく足を進めて入った部屋。文字通り、何百、何千という鍵が壁一面に並べられていた。びっしりと、等間隔で。

鍵、鍵、鍵。

素人目にも、相当な金額をかけて作ったと分かるような豪華なものもあれば、木で出来た今にも朽ちそうなもの、

錆びがついたもの・・・。本当に無数とも錯覚しそうなほどの量の鍵が、四方からこちらを見ている。

そう、シフは自分たちが鍵を見ているのではなく、鍵が自分たちを見ているような気がしていた。

「ほら、しっかりしなさいよ」

「っ・・!」

メカレが肩をぽんと叩いてきて、シフは襲いかかる恐怖を振り切るように首を左右に振った。

「この壁に並べてあるものは全て、造られた年代や用途、場合によっては制作者まで判明しているものだ」

(ということは、私たちが探している鍵は、この中にはありませんね・・・)

グラディウスは、ぐるっと部屋を見回して心の中で呟く。さすがに、海の底へ行く鍵が普通に飾られているはずはない。

「そして、あそこにある箱の中にも」

部屋の隅にぽつんと置かれた木箱は、両腕でひとかかえもありそうなものだった。覗いてみると、こちらにも大量の鍵。

しかし、ただ詰め込んだだけという感じである。

「じゃあ、こっちは逆に年代とか用途が不明のもんってことだよな」

「ああ。何十年かけて調べても分からないものばかりだ。広げて見ても構わないよ」

「有難うございます、とても興味深いですね・・・しばらく調べさせて下さい」

メカレは笑って、頑張りなさいと言って部屋を出て行った。レナード王直筆の許可証を持っているので身元も

確かではあるが、そもそもシフたちに信用を置いてくれているようだ。

 

「んで、どうやってこの中から遺跡の鍵を探すんだよ」

とりあえず箱の中の鍵を全て床に出し、三人はそれを囲んで座っていた。

「手間のかかる作業ですが、残留思念を辿ります」

「な、何だそれは」

シフとカッツは、ぽかんとした表情でグラディウスを見る。

「物に触れて、その歴史や持ち主のことを読み取る、ということです。特別に難しい事でもないのですよ。

例えば、自分の持つ古いぬいぐるみや絵本に触れると、昔の記憶が蘇ったりするでしょう? ああいう感じの応用編です」

時間が惜しいとばかりに、グラディウスは早速鍵を一つ一つ握り始めた。

「これは・・・文字のイメージが断片的に見えてきますから、もしかすると日記の鍵かもしれません」

ほら、とシフに握らせてみるが、浮かんだ表情は明らかに困惑であった。

「・・・さっぱり分からねぇ」

「こういうのは慣れもありますから。とりあえず、私はこれで探してみますね」

そう言って、グラディウスは黙々と鍵を握っては離し、を繰り返してゆく。

 

そうして一時間は経っただろうか。カッツは床にごろっと身を投げ出した。

「駄目だ。自分には何も見えん」

肉弾戦は得意だが、その反面こういった作業は苦手というか、とにかく相性が悪いのがこの男だ。

「少しお休みになっていて下さい。見えなくても、見ようとするだけで精神的に疲れるものですから」

そう言って、ふとシフの顔を見る。

「シフさん?」

「シフ殿・・・どうしたんだ」

ぼんやりと俯いて鍵を握っているシフだが、瞳に異様な光が宿っている。グラディウスはさして驚く様子も無く、

シフの目の前で手を上下に振った。

「!」

抜け殻のような表情から、正気に戻ったシフ。

「大丈夫ですか?」

「悪い。この鍵・・・すごく嫌な気持ちになる」

冷や汗をかいたシフからその鍵を受け取ると、グラディウスはしばし目を閉じた。

「確かに、人の死や流血のイメージが浮かびますね。さしずめ持ち主を殺して強奪された金庫の鍵、といった

所でしょうか。こんな風に、強い恨みや念がついているものも少なくなさそうですね」

「シフ殿はハッキリ見えなくとも、それを感じたのだな」

「うーん・・・良く分かんねぇけど」

「この短時間でそれだけ読み取れるなら、十分に素質がありますよ。剣士を辞めて、占い師になれるかもしれません」

案の定、冗談じゃねぇというシフに二人も笑った。

 

更に一時間は費やした頃。相変わらずグラディウスは休むことなく作業を続けている。カッツは残留思念を見ることを

諦めていた。その代わり、二人が作業を終えた鍵の、分かった情報を紙に書き記してゆく役目についていた。

そしてシフはというと、まだ『見える』という域には達せず、よっぽど強い思念が残るものではない限りは何も感じない。

取りこぼしが無いように、全くイメージが伝わってこなかった鍵に関しては最後にグラディウスが触れてゆく。

「・・・まだ、こんなにあんのかよ・・・」

触れていない鍵の山の大きさが、始めた時からあまり変わっていないような気さえする。

しかし、続けるしかないのが現実である。

 

ふと、シフがある単語を口にした。

「海・・・」

「え?」

「なぁ、この鍵。海が見える」

まさか、という顔でグラディウスが鍵を受け取り、意識を集中する。そして、驚きとも喜びともつかない表情で目を開けた。

「確かに、水のような映像が浮かびましたが・・・」

「ふむ、思ったよりも地味なものだな」

頭部には何かを象った紋章が彫られていたのであろうが、古くなって良く見えない。ブレードの部分も、それほど

凝った造りでもない。鈍く輝く、小さな銀色の鍵だった。

「シフさんには、海に見えたのですか」

「ああ、深海って感じかな。すごく静かで、暗い海だ」

グラディウスには曖昧な水のイメージしか浮かばなかったのに、シフには鮮明に『海』であることが伝わったようである。

「一度、この鍵を保留にしておきましょう。残りを全部調べ終えるまでに、またこういうものが見付かるかもしれません」

「じゃあ、その鍵は他のものと混ざらないように自分が持っておこうか」

「ああ、頼むぜ」

シフがカッツにその鍵を手渡した時。

「っつぅ!」

握ったカッツの左腕が、びくっと跳ね上がった。

「ど、どうしたんだ!?」

「いや・・・自分にもよく・・・」

左腕に響いた、妙な感覚はもう消えていた。カッツは腕を上下に動かしてみたが、何とも無い。

「軽い筋肉の痙攣でも起こったのでしょうか」

「そうかもしれん・・・驚いた」

カッツがニカッと笑った。

「じゃあ、早く残りをやっつけちまおうぜ」

 

真昼頃から始めた鍵探しだったが、全てを調べ尽くした時にはすっかり日没が近くなっていた。

「さすがに、こたえましたね・・・」

グラディウスが弱音を零すのはかなり珍しいが、無理も無い。ほぼ休みなしで意識を集中し続けたせいで

疲労も激しかった。床に座っての作業は腰や肩にも負担がかかる。シフも首を回しながら息を吐いた。

「結局、海の見えた鍵はアレだけだったな」

シフがそう言うと、カッツがポケットから銀色の鍵を取り出す。

「この時点で考えられる遺跡の鍵は、これしかないというわけか・・・」

「これ、ジーさん貸してくれるかな」

「早速行って、お願いしてみましょう」

鍵で埋め尽くされた部屋を出て、メカレの元へ。研究材料としてこの鍵を貸して欲しいと言うと、快く応じてくれた。

「これだけの情報をもらっておきながら、たった一本の鍵でいいのかい?」

グラディウスとシフが探り、カッツが書き記した沢山の鍵の情報。メカレは丁寧に紙の束をめくりながら、

皺に隠れた瞳を輝かせていた。

「抽象的なイメージが見えただけで、あまりお役に立てるものではないのでしょうが・・・」

「いやいや。鍵といえども、誰かに自分の生い立ちを理解して欲しいと思っているんだよ。今までは何にも

分からなかった鍵たちの、ほんの欠片の記憶を知れただけでも本当に有り難い。お礼に、その鍵はあなたたちに

差し上げますよ」

「ホントか!? ジーさん」

「有難うございます。もしこの鍵についても何か分かれば、またお伝えに来たいと思います」

「ああ、是非遊びにおいで」

メカレは夕飯まで誘ってくれたが、夜中になる前に砂漠を抜けてエントルスに戻らねば、夜盗やラウォの追手に

鉢合わせる可能性もある。名残惜しかったがメカレの家、そしてヴァレンの入国門を急いで後にした。

 

            ☆

 

「そなたたち、苦労であった」

エントルスの神殿に着いた頃には月も高い深夜になっていたが、幸い何事もなく帰って来られた。

馬の嘶きでシフたちが帰ったことに気付いたシンディが、入口で出迎えてくれた。

「こんなに遅くまで待っていて下さったのですか?」

グラディウスが問うと、シンディは少し眉根を寄せた。

「いや・・・仕事が溜まっているので、偶然だ」

「またまたぁ。そう言いながらも実は心配してたんだろ?」

「・・・心配といえば、そなたがヴァレンでヘマをして投獄されてはいないかという心配はしていたぞ」

「おいッ!」

「あっはっは、シンディ殿も存外照れ屋だな」

「何故そうなる!?」

赤い顔でカッツを睨み上げるシンディを見て、シフもグラディウスも声を上げて笑った。

 

「・・・して、目当てのものは見付かったのか?」

ひとつ咳払いして問うシンディに、シフが鍵を差し出す。

「収穫はあったぜ。本当に遺跡の鍵かどうかは分かんねぇけど、とりあえず明日はリバイアサンへ向かってみる」

「徒労に終わらないことを願うばかりですね」

「そうか。食事を済ませて、今日はなるべく早く休むといい。リバイアサンまでは距離があるからな」

徒歩なら片道二日はかかる。

「それぞれ、相性はどうだった?」

繋がれて水を飲んでいる三頭の馬を見てシンディが聞いた。

「すげぇ利口だったぜ。よく言うことを聞いてくれた」

ラウォでは騎馬兵だったシフは馬の扱いには慣れているが、それでも初めての相手となると手こずることもある。

しかし今日は、すんなりと心を通わせることが出来た。

「まだ若いですし、足の速度も申し分ないですね」

「シンディ殿の育て方が良かったのだろう」

グラディウスとカッツも、乗り心地には文句がなかった。

「うむ。それならば良かった。彼らはそなたたち専用の馬として預けよう。明日も乗って行くといい」

「マジで!? 助かるぜ」

「それなら、明日中にはリバイアサンへ着けそうですね」

「それぞれ、シフの乗った栗毛の馬はジーニア、グラディウスの青鹿毛がホルト、カッツの芦毛がラシュトラという。

可愛がってやってくれ」

「そっか、お前ジーニアって名前か。よろしくな」

身体を撫でてやったシフに、ジーニアは嬉しそうに顔を寄せてきた。

 

それぞれが頼もしい相棒を得て、明日はいよいよ、遺跡が眠るという海への出発である。



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