<静寂の遺跡と争いの歴史>

 

「・・・きったねぇ海」

大陸北端のリバイアサンに辿り着き、シフが開口一番に発した言葉である。早朝にエントルスを発ち、

現在は夕方になっていた。カッツの故郷であるファニー村がある山岳地帯を避けるように進んだ先のその場所は、

濁った波が絶え間なく満ち引きする、非常に水質の悪い海だった。

「これは・・・生き物が生息していないはずですね」

馬たちを繋いで休ませ、波打ち際まで歩いて来たのは良いが、いざここに来て鍵をどうするべきか悩んだ。

「グラディウス、あの歌では鍵のくだりはどうだったっけ?」

「鍵ひとつになりし時、命のみなもと海の底より、たまゆらの光を放ち開かれる・・・です」

「汚すぎて、命のみなもとって感じもしないけどな」

辺りを見回しても、ただ果てしなく浜と海が続くだけで、鍵を使えそうな対象は存在しない。

「それっぽい洞窟とか、何かあるかと思ったのだが」

「ひとつになりし時って言ったってなぁ・・・おっと」

シフは手を滑らせ、鍵が足元の波の中へ。拾おうと身を屈ませた彼は、奇妙なことに気付いた。

「何だコレ・・・鍵が・・・」

二人がシフの手元を見ると、浅い波の中で、鍵に施されていた紋章が赤く輝いている。

「もしかして、ひとつに・・・ってこういう事なのか?」

シフが呟いたとたんに、ぱっと鍵から閃光が走り、シフの全身を包み込む。

「なっ!?」

「これは・・・!? いけないカッツさん! シフさんの身体を掴んで!」

グラディウスが叫ぶと同時に、カッツも弾かれたように動く。

まばゆい光が目いっぱいに広がったかと思うと、次の瞬間には光も、そして三人の姿も跡形なく消えていた。

濁った波がざぶんざぶんと寄せては引く孤独な海だけが、沈みゆく夕陽を映している。

 

            ☆

 

大昔に姿を消した、聖騎士の秘宝が眠るという古代遺跡。カッツの祖父が、現在ファニー村に住む住民は、

かつてそこに生きた人々の子孫だと話してくれた。しかし現存する地図や文献には、その遺跡の存在の痕跡すら

残されていない。

遺跡がどんな場所で、なぜ消えるに至ったのか。その真実を詳しく知る人間は、今日までどこにも居なかった。

 

「あいててて・・・」

シフは気が付くなり頭を押さえた。海で閃光に包まれて、次の瞬間には見知らぬ場所の上空に吐き出された。

そしてそのまま真っ逆さまに落下したのである。

「っ痛・・・石より硬い石頭で助かったぜ」

コブすら出来ていない頑丈な頭をさすりつつ自慢にならない自慢を呟いた後、彼はグラディウスとカッツが傍に

居ないことに気が付いた。

「ここって・・・」

視界に広がっている光景を、至極単純に表現するなら『街中』である。

見上げると、よく晴れた青い空があった。

「さっきまで夕方だったのに・・・」

柔らかく風も吹いている。どう見ても海の底では無い。

感じる空気で、ここが無人の街だということも分かる。人の気配も、生活の物音もしない。仕方なくシフは歩いてみる。

建物は、全て石組みで造られていた。大きさも様々の家が立ち並び、ただ石を積み上げただけではなく、どこか

造形的な印象を与える。シフはそっと壁に手を触れてみた。

「すげぇ。どうやってこんな風に組み立てたんだろ。技術も進んでたんだな」

一番近くにあった家の中に入ってみる。扉の蝶つがいは今にも外れてしまいそうだったが、部屋の中はまるで

誰かの帰りを待っているかのように、食器や調理器具、暖炉の薪までもがそのまま置かれている。

ただ、人間が居ないだけだ。

年月のせいか全体的に風化しているものの、シフはそこで生きていた人々の声や、生活の音が聞こえるような

不思議な感覚を覚えていた。

本棚には、ボロボロになった本が数冊。予想通り古代文字で書かれていたが、知識のあるシフはおぼろげながら

その意味を拾えた。おそらく子供用の内容であろう、昔語りの本や、現代にも匹敵するほどの高度な薬草の調合法や、

武器生成法などの本もあった。

「技術や文化も、こんなに進んでたのに・・・」

一体なぜ、この街は人間だけ居なくなってしまったのか。そして、ここは探し求めていた遺跡なのだろうか。

どんなに答えを求めても、回答をくれる人はどこにも居ない。

 

「とりあえず二人を探さねぇと。たぶんこの街のどこかには居るんだろうけど」

海辺で光に呑み込まれる瞬間、グラディウスとカッツが自分の身体を咄嗟に掴んだ感覚はしっかり残っている。

ひとまず通りに戻ってはみたものの、遙か先まで建物が続いているのを見ると、決して狭い場所ではなさそうである。

どうしたものかと考えていると。

『・・・北へ・・・』

「え?」

ふいに耳に届いた聞き覚えのない女性の声。柔らかく、なぜか悲しげに響くその声がどこから聞こえたのかは分からない。

「幻聴、か?」

それにしてはあまりにもリアルであった。もう一度、耳を隠すターバンを外して集中する。

『北に・・・街の中心に・・・』

途切れ途切れだが、やはり聞こえた。コンパスを取り出すと、針はきちんと方角を示している。何かに導かれるように、

シフは北を目指して走り出した。

 

しばらく行くと、一目で街の中心だと分かる場所に着いた。

小さめだが、広場という表現が近いだろうか。この一角には建物が無く、中央に今にも朽ちそうな木のアーチが

組まれている。そして、その下に祭壇があった。人が入るにはあまりに小さすぎるので、シフの生きる世界と同じように

儀式などで供物や祈りの花を捧げていたのであろうか。

丁寧に表面を磨かれた石で出来たそれは、異様に冷たく感じた。蓋の部分には紋章が刻まれていて、シフたちが

持ってきた鍵の頭部にあるものと同じだった。

「・・・・・・」

今更ながら、あの鍵は当たりだったのだと改めて実感する。

不思議な声に誘われるままここへ来たが、グラディウスとカッツの姿は無い。シフは、とりあえず待つことにした。

 

やがて、静寂を破ったのは聞き覚えのある声だった。

「シフ殿!」

カッツが、シフの来た道とは逆方向から駆けて来た。

「良かった、無事だったんだな!」

「ああ。不思議な声が聞こえて、ここに来るように言われたのだが・・・シフ殿も大事なくて何よりだ」

「偶然ですね、私にも聞こえましたよ」

「うわ!」

グラディウスが、涼しい顔で真後ろに立っていた。

「おめぇな・・・気配消して近付くのはやめろよ」

「どのような場所においても、油断大敵ですよ?」

軽口を叩き合いながらも、やはり怪我も無く再会できたことに全員が安堵していた。

「三人バラバラの場所に出たようですが、謎の声にこの場所を指定されたのですね。あれは一体・・・」

「自分には女性の声に聞こえたが」

「俺もだ。たぶん同一人物なんだろうけど」

ふと何かの気配を感じて全員が振り向いた先には、あの祭壇があった。

「げっ!」

シフが容赦なく下品な声を上げる。祭壇の前にユラリと陽炎のようなものが浮かび上がったと思うと、それは

みるみる人の形を取り、最終的には女性の姿になった。半透明だが、明らかに意思があるのを示すように、

ゆっくりとその瞳が開かれる。

『集まりましたね』

「その声・・・私たちをここへ呼んだのはあなたですね?」

グラディウスの問い掛けに頷いた女性は、豊かに波打つ髪の毛を黄金の髪留めでまとめている。柔らかそうな

一枚の白い布を上品に身体に巻き付け、首には動物の角が連なった飾り。普段着と言うよりは、祭祀服である。

顔立ちを見ると、年齢は二十歳前後というところだろうか。華奢で美しいが、深い悲しみを帯びた雰囲気を漂わせている。

「あなたは一体、誰なんだ?」

『私は、この街の巫女です。肉体は、大昔に失ってしまいましたが・・・』

「それって、ルゥみたいな状態ってことか?」

「いや・・・彼の場合とは、留まっている目的から異なるような感じがします」

『・・・私には、守らねばならないものがあったのです』

三人は押し黙って、彼女を見つめた。守るもののために、こんな人っ子一人居ない場所で果てしない時を過ごして来たのか。

「なぁ、ここでアンタは何を守ってるんだ?」

『・・・・・・』

「じゃあ質問を変える。この街は何なんだ。どうして、人が居なくなったんだ」

『外敵に攻め滅ぼされたわけでもなく、病に侵されたわけでもありません。民たち自身が、争いの元に滅んでゆきました』

巫女は視線を地面に向ける。

『私は、止めることが出来ませんでした。そんな力が無かったのです』

声が、切ない揺らぎを含んで響く。

「アンタが守ってるもの・・・聖騎士の秘宝じゃないのか」

『・・・はい』

「俺たちは、それを探してここに来たんだ。教えてくれ、ここの歴史と秘宝のことを」

シフは真剣な瞳で、巫女のそれを見据える。

『あの方と、同じ瞳・・・』

「え?」

『・・・何でもありません。これも何かのお導きでしょうか。私に言える範囲で、街のことをお話しましょう』

巫女の首飾りが、乾いた音を立てた。

 

            ☆

 

太古の昔。このリオール大陸には六つの国が存在した。その内の五つは今と変わらない、北より右回りに

マイヤ、エントルス、ヴァレン、ラウォ、フォングの五国。そして六つ目の国は大陸中央の広大な砂漠の一角を

領土とし、名をファニークスといった。

六国の間では陣地や食料、そして政権を巡っての争いが頻発しており、ある時それが大きな大陸戦争へと発展する。

そこに現れたのが、ファニークス出身の一人の騎士であった。

彼はまだ年若い青年であったが、神の秘宝を携えていたという。軍を率い、尋常ではない強さと戦略をもって

各国の悪帝たちを次々と誅していった。そして、そこからが彼が『聖騎士』と呼ばれる所以だ。彼は他国に対し、

支配を望まなかったのである。国を運営する秩序を取り戻させ、大陸における共存を命じたのだった。

その気さえあれば全土統一が出来たにも関わらず、彼は非常に潔癖で清廉であったのだ。人々は感銘し、各国は

政権者を全て入れ替えることで戦争は終結した。

 

「へぇ・・・聖騎士は、それからどうしたんだ?」

『故郷ファニークスへ戻り、彼自身の望む静かな生活を送っていました。彼が存命の間は、世界は本当に平和でした』

半透明の巫女は、当時を懐かしむように目を閉じる。

『やがて、聖騎士の居るファニークスには多くの技術者や魔導士たちが集まってくるようになりました。そのような

経緯で、ファニークスには他国との技術力の差が生まれたのです』

シフたちは、先程見て来た街中の様子を思い出していた。

「ということは、この遺跡はファニークスなのですか?」

『はい。正確に言うと、当時の中心都市の部分のみですが』

「それが何で海の底から繋がってるんだ?」

『それには、ファニークスがなぜ滅んだかをお話せねばなりません』

 

聖騎士の没後、ファニークスでは技術者や権力者が大きな派閥を作るようになっていた。聖騎士の遺志を継いだ

平和的生活を望む人々と、更に高度な文明を追求し、他国へ進出しようという人々が次第に争いを始めたのである。

やがて、それは封印された聖騎士の秘宝を巡る争いになっていった。秘宝を手に入れ、世界を掌握しようと目論む者が

どんどん増えていった。保守派はそれを防ごうと秘宝を守り、革命派が彼らを攻撃する。ファニークスという国で、

血で血を洗う内戦が激化していったのである。そして人口はみるみる内に減って行く。

 

『私は、その時代に封印を管理する役目としてファニークスに存在していました。巫女として、聖騎士が守った

世界の人々と、何より秘宝を失うわけにはいきませんでした。そこで、争いの火の粉が他国に飛び始める前に、

大陸から国を転移させたのです』

「大昔にそんなことが出来たってのが・・・未だに信じられないけどな」

『当時の我が国では、特に魔導の開発や練磨が盛んでした。その最高の完成品が転移術だったのです。それで国を

封印するという皮肉な結末を迎えるとは、考えもしませんでしたが』

巫女は、保守派の魔導士たちと協力して国の都市部分を丸ごとリバイアサンの中に造った異空間に転移させた。

「じゃあ、やっぱここは海の底ってわけじゃねぇんだな」

『はい。だから空もあり、風も吹きます』

説明を受けただけならシフにも理解出来ないことだっただろうが、この広場に来る前に見て来た景色を思うと、

納得せざるを得ない。

『封印を人々の手に渡さない事が目的の転移でしたので、私がその最後の任を負いました。だから、ここには他に

人間が居なくなったのです』

異世界に行くということは、備蓄以上の食料や水は確保出来ないということである。彼女は全てを覚悟の上で、

孤独な選択をしたのである。そして肉体が死んでもなお、ここを守っているのであった。

「しかし、よく革命派の手をかいくぐる事が出来ましたね」

『保守派の人々が、命懸けで転移儀式の遂行を守ってくれました。その際、革命派は死に絶え、わずかに生き残った

保守派はその後も大陸で生きて行ったようです』

「まさか・・・自分たちファニーの人間が遺跡の民の子孫であるという伝説は本当だった・・・のか?」

カッツが動揺した表情で問う。

『私にも正確なことは分かりませんが、そういった可能性もあるでしょう。おそらく、転移で国を失った彼らは

人里離れた所で生活をしていったとは思いますが』

カッツの生まれたファニー村。その名前と、さらには村の存在する場所を思えば、信憑性のある話だと三人は感じていた。

『転移儀式の際、こちらと、元の世界を繋ぐ媒介になる鍵が一つだけ保守派の手に残ったようです。まさか

この時代になって、それを使って人間が三人も訪ねて来るとは思いもしませんでした』

シフはポケットから鍵を取り出す。

「これ、たぶん年月と共に用途不明になって、鍵収集家のジーさんの家に眠ってたんだ。何か間違ってジーさんの

元に行かずに処分されてたらって思うと、ゾッとすんな」

『しかし、私としては・・・そうなっていた方が良かったのかもしれないと思います』

「・・・・・・」

巫女の言葉に、矛盾は無い。巫女自身が話したように、この国を転移して封印した理由は、誰にも秘宝を渡さない為である。

どんな理由があろうと、ここに再び人間が足を踏み入れるというのは、彼女の本意では無い。

しかし、シフはそれを求めて来たのである。鍵を強く握りしめると、しっかりと巫女に向き直った。

 


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