<ただ一つの条件>
招かれざる人間が三人もこの場に辿り着いたと知った時、巫女は当然その目的にも気付いていた。だから、こちらから
差し出す答えも決まっていた。しかし今、自分を見据えて来る黄金色の瞳の力に、口を開くタイミングを逃してしまっていた。
「俺たちは、秘宝を探してここまで来たんだ。アンタはここに居るから知らないかもしれないけど、今のリオール大陸の
状況は最悪だ。ラウォが近い将来、他国を落として全土支配を目論んでいる。俺は、それを何としてでも止めたい。
だから、その力になる秘宝を手に入れたいんだ」
巫女は冷静な表情で、シフの全てに集中していた。瞳にも、声にも、確固たる決意が溢れている。大陸の現状に関しても、
嘘を言っているのではないらしい。
そしてシフの左右に立つ仲間も、同じ気持ちだと言わんばかりの真剣な面持ちである。
「平和な世界を・・・俺の大切な人が望んでいたんだ。俺自身も、それを望んでいる。だから・・・」
悲痛なほどの訴えを前に、巫女は目を伏せる。
『あなたの言い分は理解しました。しかし・・・私には、あなたが秘宝にふさわしい人であるとは思えないのです』
「えっ・・・」
『秘宝は、大きな力を持ち主に与えます。しかし、それは秘宝が持ち主を認めたら、というのが条件です。
逆に、秘宝に認められないというのは、その資格がないからに過ぎません。そしてあなたも、また』
「どうしてだよッ!」
シフは思わず巫女の肩に手を伸ばしたが、すり抜けた指には何の感触も残らなかった。
『その・・・あなたには・・・』
巫女とてその部分を進んで指摘したいとは思わなかったが、それが最大にして絶対的な理由である以上、
言葉を止めることは出来なかった。
『・・・殺人の影が見えます』
「っ!」
シフの心臓が、ドクンと音を立てた。
『私は、私の守ってきた平和の象徴を・・・資格が無い者に渡すわけにはいきません。当時の革命派の者たちも、
秘宝を手に入れるために色々な綺麗ごとを突き付けてきましたから』
「ま、待ってくれ! シフ殿は、確かにラウォの騎士団で働いていた過去がある。だが、それは彼自身が望んだことでは
なかったんだ!」
「そうです。大切な人の命を盾に、無理やり・・・」
「・・・もういい、二人とも」
「シフさんっ!?」
「仕方ねぇだろ・・・いくら人質を取られてたからって言っても、人を殺していい理由にはならねぇ。確かに、
そんな俺が秘宝を手に入れようなんて・・・バチ当たりもいいとこだ」
力ない声でそう言うと、シフは顔を上げることなく走ってその場を離れて行った。
「シフ殿!」
すぐにカッツがその背中を追う。
『・・・・・・』
グラディウスは決して怒りの表情も、悲しみの表情も作ってはいない。しかし深沈とした威圧感を与える瞳で、
巫女の顔を見つめている。
「人は皆、その大きさは異なるでしょうが、罪を抱えて生きています。ですが、それを戒め、立ち直ろうとする
力も持っています。確かに過去の過ちは消えないかもしれませんが・・・あなたも、かつての聖騎士も、そのように
罪を償おうとする人間の努力には、目も向けないような人なのでしょうか」
静かな口調は、しかし鋭い。
『・・・』
巫女の冷静な顔が少し歪んだ。
「シフさんがどんな人なのか、少しお話しましょう。私の知る限りですけどね」
まるで呪縛。
巫女は、何故か指一本も動かせないほどの力を感じていた。
☆
「シフ殿、ここに居たか」
「・・・こっち来んな」
その姿は、民家の立ち並ぶ通りに造られた、花壇の縁にあった。こちらを振り向こうともしないが、カッツはシフの
言葉を無視して隣に座り、顔を覗き込む。
「目が真っ赤だ。せっかくの男前が台無しだぞ」
「・・・っ!」
カッツの、包み込むような声に気が緩んだ。あのプライドの高いシフの瞳から、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。
カッツにとっても、初めて見るシフの泣き顔だった。思わずシフの頭を引き寄せ、自分の肩に押し付ける。
「俺・・・どうしたらいいんだ!」
シフの声が、唇が、拳が、震えている。
「巫女の言った通り、俺は秘宝に認められねぇ・・・もう手に入らねぇ・・・ここまで来たのに、俺・・・メルビアに
何て言えばいい!? 俺のために死んだメルビアに、何て謝ったらいいんだ・・・」
カッツも、息苦しい思いに耐えていた。躊躇なくぶつけて来る純粋で激しい苦悩を、しっかりと受け止めてやりたかった。
そして、かける言葉を探した。
「シフ殿」
まだ震えの残る肩を支え、自分の瞳とシフのそれをしっかりと向き合わせる。
「弱気になればなるほど、メルビア殿が賭けてくれたシフ殿の未来が潰れて行く。シフ殿は強いぞ。身体だけではなく、
心も。秘宝があろうがなかろうが、自分はどこまでも一緒に戦う。ここで歩くのを止めたら、シフ殿を信じた人たちの
気持ちはどうなる?」
「・・・・・・」
視界はまだぼやけたままだが、シフもカッツの顔から目を逸らさない。
「今、とてつもなく苦しい現実を突き付けられて動揺しているのも良く分かる。でも、だからこそ思い出せ。
ここへ来るまでに、シフ殿を信じて背中を押してくれた人たちの顔を」
「俺を・・・信じて・・・」
「そうだ。シフ殿は一人ではなかったはずだ」
さだめを胸に、長年自分を探し続けてくれたグラディウス。
目標を共にし、平和な未来を作ることを誓い合ったカッツ。
聖騎士になる目標をしっかりと根付かせてくれ、全てを賭けてくれているシンディ。
心の傷を受け入れるきっかけをくれた木霊の老人。
過去の自分の分身でもあった、幻覚の少年ルゥ。
旅を応援してくれたカッツの家族のリィス、ダイス、ステラ。
正体も目的も聞かずに協力してくれる神殿の人たち。
遺跡への鍵を快く預けてくれたメカレ。
旅で出会う、沢山の人たちが信じてくれていた。
そして誰よりも自分を想い、その命を引き換えに未来を守ってくれた人。
(メルビア・・・)
王に幽閉されるまで、幾度となく繋いだ彼女の手。
木漏れ日のような微笑み。
そんな、あたたかい命そのものだった彼女の切なる願い。
それはいつしか自分の願いになっていた。
平和で、命が生まれ続けて行く世界。
「そうだ・・・俺・・・」
巫女の言葉は彼の心臓を鉛に変えていたが、心に浮かべた多くの人の笑顔の記憶が、それを少しずつほぐしてくれていた。
「誓ったんだ・・・。争いでみんなの命が失われるのも、誰かが残酷な支配をするのも、阻止するんだって」
いつの間にか、涙は止まっていた。
「もうこれは、俺個人の目標とかの話じゃなくて・・・」
「そうですよ。大陸の存亡がかかっているのですから」
いつの間にか、後方にグラディウスが立っていた。その隣には、巫女が。
「グラ・・・ディウス」
立ち上がったシフが、ぽかんとした表情でその名を呼ぶ。
「ラウォがリオール大陸の支配に乗り出すのも、時間の問題です。シフさん、ここで足を止めている場合ではありません」
彼らしからぬ、鋭い語尾には怒りさえ滲んでいる。
「私の知っているシフさんは、どんな逆境でも前を向いていたはずです。失望させないで下さい」
「グラディウス殿・・・」
しかしシフは、その叱咤に大きく心を揺さぶられていた。
(そうだ・・・こんなにまで、俺を信じてくれる仲間が傍にいたんだ)
カッツもグラディウスも、決して傷を舐めるような慰めをしない。逃げるのも、甘い言葉をかけるのも簡単だ。
だが、彼らは前を向けと叱ってくれる。それこそが信頼の証でなければ、何だというのだ。
メルビアがここに居ても、きっと同じことを言うだろう。
『あの・・・』
巫女が、か細い声でシフの前に進み出た。
『まずは、お詫びをさせて下さい。あなたの言葉を、革命派の言った綺麗事と同じだと言ってしまったことを』
深々と頭を下げると、長く波打つ髪の毛がゆっくりと流れる。
『シフ、と言いましたね。グラディウスより、あなたのことを伺いました。過去のこと、今のこと。そして、
目指す未来のことを』
シフとカッツはグラディウスに視線を寄こすが、彼は僅かな微笑をもって頷くだけだ。
『ただ、これだけは真理です。どんな理由があれ・・・人の命を奪うということは、相手の一生、そして永遠に
続くはずだった、相手に繋がる子孫まで消してしまう、冷酷な行為です』
シフの最大の後悔。
しかし、これは逃げることは出来ない、むしろ生涯を賭けて償うべき自分の罰である。
「ああ・・・分かってる。逃げるつもりはない」
その真摯な声を受け止め、巫女は言葉を続ける。
『最初は、秘宝の件を断った後、ここでのあなたたちの記憶を消し、鍵も奪った上で元の世界に返すつもりでした』
彼女の力をもってすれば、それは実に簡単なことだった。
『しかし・・・』
何かを言いかけた巫女の身体が、突然崩れ落ちる。
「おい、どうしたんだ!?」
『っ・・・はぁ・・・』
慌ててシフはその身体を支えようとするが、やはりそれは不可能であった。
『私は・・・あくまであの場所に存在する者です。祭壇から離れると・・・』
「ならば、まずは戻ろう。話はそれからだ」
三人は巫女の歩調に合わせ、ゆっくりと祭壇の広場へ向かった。
『申し訳ありません・・・もう大丈夫です』
彼女の在るべき場所へ戻ると、ほどなくして呼吸も整った。
「すまねぇな。俺の為に無理して来てくれたんだろ」
シフの素直な気遣いに、巫女はかすかに笑みを見せた。
『先程聞いた、大陸の現状も考慮すると・・・ここであなたたちを追い返すのが正しい事なのか、迷いました』
「え・・・」
『ですが、今ここで秘宝を渡すということは、どうしても出来ません。その代わり、あなたさえ良ければ
ここで修業をしてみませんか?』
想像もしていなかった提案であった。
「修行?」
『はい。期間は二年ほどです』
「二年・・・」
明らかに動揺したシフに、巫女は更に意外な言葉を重ねる。
『ここには、もう一人・・・私のように留まっている方がいます。その方に、あなたの修業をお任せしようと思います』
彼女なりの、最大限の譲歩。
『どのような修行になるかは分かりませんが、秘宝をお渡しするかどうかは、修行が明けた後に考えたいと思います』
聖騎士への、ただ一つの条件であった。
☆
シフは祭壇を前に、暫く考え込んでいた。目線を遠くに置いたまま、動かない。まるで静止画のようであった。
自分の望む未来のために、秘宝が欲しいことには変わりはない。しかし二年という時間を費やしたからといって、
秘宝が確実に手に入るというわけでもない。
得るもの、失うものの兼ねあいを、彼なりに考えていた。
グラディウスとカッツは、少し離れた場所で静かに待っている。シフがどんな答えを出そうとも、自分たちの
行動は変わらない。言葉にはせずとも、二人とも同じ思いであった。
やがて、シフが拳を握って巫女に向き直る。
「・・・やる」
何かを吹っ切ったような表情であった。
「シフ殿!」
「シフさん・・・良いのですか?」
二人も、隣に歩いて来た。
「ああ。俺が力不足なのは事実だ。せっかくの修業の場を活かしてみようと思う。秘宝が手に入るかは分からねぇけど、
他に方法はないのかって聞くのもカッコつかねぇしな」
ようやく光を灯したシフの瞳を見て、グラディウスもカッツも口角を上げた。
「お前たちは、その間どうすんだ?」
「私は、元の世界へ戻してもらいますよ。この二年の内に、やっておきたい事がありますから」
「自分も、戻るよ。シフ殿が修行している間、何もしないわけにはいくまい」
「そっか・・・ちょっと寂しくなるな」
「あなただけを強くさせるのは悔しいですからね」
「はっはっは、見ていろ。今の倍は腕力を付けてくるぞ」
三人の笑顔が交わされる。
『では、再会の日は二年後で宜しいですね?』
巫女の言葉に、頷いたのは全員同時だった。
『分かりました。大陸へ戻る二人の為に、道を開きます。二年後の生誕祭の日に、預けた鍵でまたここへいらして下さい』
巫女がゆるりと手を上げると、ミルクのような濃い靄が現れた。
『さあ、どうぞ』
「シフ殿、また二年後に!」
「どうかお気をつけて」
「おう、お前たちもな!」
短い別れの挨拶を残し、二人は躊躇なく靄の中へ身を投じた。
「へへ、俺一人になっちまった」
シフが、巫女を見て笑う。巫女もつられて笑った。
『シフ。ここから北へしばらく歩くと、神殿があります。そこへお行きなさい』
シフは、こくんと首を縦に振る。
「なあ、一つ聞いていいか?」
『?』
「アンタ、名前は? ちゃんと名前あったんだろ?」
思ってもみなかったシフの言葉に、巫女は一瞬だけ目を丸くしたが。
『生きていた頃は、クローディアと呼ばれていました』
ちゃんと教えてくれた。
「クローディア・・・いい名前だな。俺に道を作ってくれたこと、感謝してる。ありがとな!」
そのまま踵を返し、祭壇を後にして行った。
小さくなってゆく背中を、巫女・クローディアは最後まで見つめていた。
そして空を仰ぐ。雲一つない、空を。
『・・・どうぞ、お導きを』
胸の前で手を組み、祈りを捧げる。