<それぞれの過ごす二年>

 

「召喚?」

「そう。我々魔導士の遙か祖先が使っていた、今ではもう失われた力だ」

国家マイヤにある、人里離れた山奥の森の中。グラディウスは、一人の老婆と向かい合っていた。

名を、アルマという。グラディウスの肩にも満たない小さな身体に漆黒のローブをまとい、木で出来た杖をついて

歩く姿は、魔女という表現がよく似合う。腰は曲がり、顔の深い皺の間に覗く瞳は悟りを思わせるほど穏やかである。

「ここに来て数ヶ月。お前さんは基礎的な魔導の技の向上はおろか、内在する力も大きく成長した。しかし、それはまだ

魔導の力の真髄とは言えないよ。異界のモノを呼び出し、使役する召喚が使えるようになったら本物だ。それが、

お前さんの望む・・・大きな力のことだ」

 

二人が会話をしているこの場所は、かつての大陸戦争で魔導士一族がラウォ軍に連行されるまで暮らしていた場所である。

シンディたちの元へ流出したラウォ側の記録では、一人残らず連れ去られたことになっていたが、この長老・アルマは

唯一、その手をかいくぐっていた魔導士である。

現在は、当時の戦災孤児たちと共に小さな村を作っている。この、マイヤの一般市民も見付けることが出来ない

辺境の村をグラディウスが訪れたのは、三ヶ月前になる。

かねてより、彼は微弱ながらも自分以外の魔導士の力を感じていた。シフ達と別れて元の世界に戻ると、今まで

どんなに探しても見付からなかったこの場所へ辿り着いたのである。魔導力と集中力を最大限に使い、かすかな力の

方向を読み、昼夜を問わずひたすら獣道を歩いた。そうしてぼろぼろの姿で村に足を踏み入れた時、アルマは驚くでもなく、

拒絶するでもなく、ただ静かに

『思ったより早く見付けたね』

と言って、招き入れてくれた。もちろん彼女も、グラディウスの存在には気付いていた。いずれ力を増した時には、

この村を探し出して来ると思っていたのである。

 

「召喚に関しては昔、文献で見たことがあります。その手順や使役する対象までは書かれていませんでしたが」

「当然さ。今はもう、アタシの頭の中にしかその方法は残されていない。かつて魔導の力が今とは比べ物にならないほど

大きかった頃には、一族の誰もが使えたというがね。呼び出されていたものは精霊や幻獣が殆どだった」

「それは・・・」

「あっ、いたいた! グラディウスー!」

言葉を遮るように後方から甲高い声が響いたかと思うと、長い髪の毛を結い上げた小さな女の子が走ってきた。

「ルティア、どうしたんですか?」

「こら、話し中じゃ。邪魔をするな」

「えへへ、アルマ様ごめんなさい。だってもう、約束の時間なんだもん!」

大きな瞳を輝かせて、グラディウスを見上げる。グラディウスもまた、優しい笑顔を向ける。

「もう、そんな時間でしたか。すぐに行きますから、皆を集めて待っていて下さい」

その小さな子の頭に、ふわりと手を乗せる。

「分かった。じゃあ待ってるねっ」

素直にグラディウスの言葉に従い、元来た道を走って行った。

「また、歌ってやるのかい」

「時々、ああして子どもたちが集まってくれますので」

突然村を訪れたグラディウスは、村の子どもたちにとっては大変珍しい外界との接触であった。アルマの元で

魔導の修業をしながら、折を見て歌う美しい彼。その物腰の柔らかさも手伝って、いつしか村でも人気者になっていた。

「お前さんが来てからというもの・・・あの子たちも変わってきたね。あんなに楽しそうにしているのは、あまり

見たことが無かったかもしれない」

「歌には、様々な壁を取り払って相手の心に響く、不思議な力がありますから」

グラディウスが屈託のない微笑みを見せる。アルマも笑顔を返したが、すぐに真剣な顔付きになると、対峙する

グラディウスを指差した。

「・・・お前さんの力は、まだ大勢の相手を前に戦えるものではない。そもそも昔の魔導士と違って、アタシたちの

魔力の器は随分と小さくなってしまった。それで召喚を使おうというのは、本来なら馬鹿げた話だ」

アルマは、木漏れ日の下に置かれた揺り椅子に腰掛けた。

「だが、召喚が使えれば比類なき力となる。消費する力もケタ違いだから、ここ一番という時にしか使えないだろうが。

それ以前に、習得できるかどうかさえ、確率はあまりにも低い」

「どんなに難しかろうと、やるしかないのです」

彼の声に、迷いは無かった。

「もう老いぼれたアタシには、異界を繋ぐ技を使うのは無理だ。やって見せることは出来ないが、知恵だけは授けよう。

出来るか出来ないかは、お前さん次第だよ」

「ええ。今日を最後に、しばらく歌うのも辞めます。明日からは、召喚の習得だけに全てを注ぐつもりです」

近くに置いていた竪琴を抱えて、アルマに向き直る。

「風が・・・大地が、危険を教えてくれる。争いの再来も、そう遠くはないだろう。もしお前さんが力を手にすることが

出来たら・・・愚かな人間の欲の手から、あの子たちのことも守ってやっておくれ」

「・・・はい。明日からもよろしくお願いします」

アルマは背もたれにゆっくりと体重を預けると、丁寧に会釈をする若い魔導士に、骨と皮の目立つ細い手を弱々しく振った。

 

            ☆

 

「オレに稽古を付けろだと・・・? 久しぶりの再会で、妙なことを言うもんだな。ふざけてんのか!?」

眼光の鋭い中年男性が、ギロリとカッツを睨み上げる。

「この三ヶ月、ずっとあなたを探していました」

カッツは動じることなく、冷静に言う。

「自分は、これから短期間で出来る限り強くならなければいけない。かつて『拳王』の二つ名で呼ばれたあなたに、

技を教えて欲し・・・」

言い終わる前に、カッツの目に火花が散った。鈍い音と共に、相手の拳をもろに左頬に受けたカッツの巨体が地面に

叩き付けられた。

ここは国家ヴァレンの街の中だ。道行く人々は、関わらないように早足で去って行く。

「っつ・・・」

「お前、オレがもう戦いなんざやるつもりがねぇのは知ってんだろがッ!」

男は、上半身を起こしたカッツの、今度は右頬に一発入れようとする。しかし、素早くその拳を受け流したカッツが

体勢を起こし、相手の頬に拳を入れた。

「ぐあっ!」

今度は、男の身体が吹っ飛ぶ番だった。

「てめぇ・・・何しやがる!」

「最初、拳が来るのが全く見えなかった。凄いスピードと力だ。あなたの能力は、今でも健在のようですね」

カッツは切れた口から流れる血を拭い、にいっと笑う。

「どうしても必要なんです。父と共に戦った、あなたの力が」

「・・・何故だ。もう戦争は終わっただろう」

「また、次の戦争がいずれ始まります。そうなったら自分は、仲間たちと共に戦いに出るつもりです」

「正気か、お前一人で何が・・・」

しかし、男はカッツの瞳を見て言葉を失う。それがあまりにも真剣で、とても懐かしいものだったから。

 

カッツの探していたこの男は、ゼルガという。二十年前の大陸戦争の際、恐ろしく喧嘩の強かった十八歳の彼は

エントルス軍へ入れられていた。兵士の人数が足りず、半ば無理やりの徴兵がゼルガの反発心を引き起こし、彼は

軍の規律など糞喰らえという態度で戦っていた。

そんなある日、交戦中に彼が作戦指示を無視し、味方に損害を出した揚句に、腹いせに敵を嬲り殺そうとした事件が

起きた。その時に彼を殴り飛ばして怒号を浴びせたのが、当時の部隊長・・・他でもないカッツの父親であった。

『戦争を舐めるんじゃないッ! 味方にも、敵にも、背負うものと守りたいものがある。真剣に戦えないのなら、

さっさと国に帰れ! 戦場にガキは要らん!』

普段は気の優しい人物だっただけに、誰もがその迫力に震え上がった。敵の首を獲ることだけが戦争における栄誉だと

信じて疑わなかったゼルガには、敵のことまで理解しようとした上で戦っている隊長の気持ちが、むしろ純粋に

不思議であった。

しかしその件をきっかけに、だんだんとゼルガは隊に馴染むようになっていった。隊長という一人の人物の強い信念、

倒した敵へすら向けられる敬意、そして類稀な戦闘力の高さ。ゼルガの人生を変えるには十分な、大きすぎる出会いであった。

 

「・・・あの時の、馬鹿だったオレに説教くらわせた隊長の目と同じだ。最後にお前を見た時はまだガキだったのに、

よくもまぁそっくりに成長したもんだ」

この二人が最後に顔を合わせたのは、カッツが十三歳の時。理由は、父親の遺体の引き渡しであった。ラウォ軍に

捕虜として捕らえられた部隊の仲間を逃がすため、カッツの父親は盾となった。ゼルガとて共に戦おうとしたが、

『まだ若いお前には未来がある。仲間を守って、最後まで逃げ切ってくれ』

そう言い残し、たった一人で死んだ。

その後、彼は無残な遺体をカッツたち家族に引き渡し、行方をくらませた。

「あの時、オレが一緒に残っていれば隊長は死ななかったかもしれない。そればかりが悔やまれて、オレは国にも

軍にも戻らずに逃げた。まともな仕事もねぇし、家族も居ねぇ。本当にどうしようもない人生さ」

「・・・今度は、逃げなければいい」

「こんな世捨て人に、何が出来る!?」

目を剥いて叫ぶゼルガを、カッツは静かに見た。

「父があなたに教えて来たことは、無駄になったようだな」

「っ・・・」

「自分は、決して逃げない。戦場でこの命を落とそうとも、父の遺志を継ぐつもりです。自分には背負うもの、

守りたいものがありますから」

父は戦争に出て行く直前、カッツに伝えた。誰よりも強く、何よりも守れる男になれと。短いその言葉に父の想いが

どれほど詰まっていたかを、成長と共に感じてきた。

「自分には時間が無い・・・もう行きます。お時間を取らせてしまって申し訳ありません」

そう告げて頭を下げると、カッツはゼルガに背を向けて引き返してゆく。その後ろ姿は、自分を逃がして仁王立ちして

死んでいった恩人の記憶と重なる。

「ま・・・待て!」

思いがけず呼び止められた声に振り返ると、ゼルガの表情が動揺に染まっていた。

「親子揃ってオレを置いて行くんじゃねぇ・・・。悪かった。お前まで黙って死なせちゃ、オレはあの世で隊長に

礼を言う事も出来ねぇよ・・・」

「ゼルガ殿」

「オレの技、隊長は気に入ってくれていた。どこまで思い出せるかは分からねぇが」

「・・・有難うございます」

カッツが笑顔で右手を差し出す。ゼルガは思わず握り返していた。それは、かつて自分を渾身の力で殴り、時には

優しく肩を叩いてくれた大きな手と同じぬくもりであった。

 

            ☆

 

グラディウスとカッツを見送り、クローディアと別れた直後。シフは遺跡と呼ばれるようになった静かな街中を

歩いていた。この足の向かう先に、何が待っているのか。二年後、自分は秘宝を持つにふさわしい人間になっているのか。

様々な思いが交錯し、わずかに身体が震えてしまう。

(らしくねぇけど・・・怖ぇ)

正直な、今の気持ちであった。

堅い石畳の上を歩くシフは、久々に一人であった。最近は当たり前のように傍に居た仲間は、それぞれの道に

向かって行った。二年後の、約束の日のために。

 

「・・・あ」

ほどなく、クローディアが言った神殿が姿を見せた。エントルスの巨大な神殿とは違い、小さな建物だった。

屋根を支える柱は中央が太い曲線の造りで、神秘的な印象を与える。質素ながらも品を感じさせる佇まいであった。

そして、入口が目の前に来た。少しの躊躇いはあるが、引き返したいとは思わない。シフは真っすぐに扉に手をかけた。

ギイッという音を立て、それは左右に開かれる。

中は、暗かった。シフにより開かれた入口からの光で、やっと明るさを得られた室内の先に、人影が一つ。

「眩しいな・・・」

澄んだ声が耳に届く。その人は、柔らかい笑顔をシフに向けている。

「アンタが、クローディアの言っていた人だよな」

「ヒト、というと語弊があるかな。僕もまた、生きているわけではないから」

そしてゆっくりとシフの目の前に歩いて来る。心臓と腹部を守る鎧を着けた体躯は細めだが、弱そうには見えない。

背が高く、長めの髪の毛はシンディのものより明るい白銀であった。

年の頃は二十五あたりだろうか。微笑をたたえる瞳は垂れ型で優しく、吊り目のシフとは正反対だ。

しかし、瞳の色がシフと全く同じ、黄金であった。

「僕はカムラッド。よろしくね。以前、まだファニークスが地上にあった時に人間として生きていたんだ。

君のことは、クローディアから聞いているよ」

「え? いつの間に・・・」

秘宝の話の途中でシフがその場を離れた後も、クローディアはグラディウスと一緒に居たはずである。

「悲しいかな、人間ではないからね。会わなくても会話が出来るんだ。しかし実際に会ったのは一度だけだ。

彼女があの祭壇から離れられないように、僕はここから離れると相当な力を消費してしまうから」

あくまで仕方のない事だという風に言うカムラッドに対し、シフの発した言葉は意外なものであった。

「ほんとは、会いたいんだな」

「え?」

「好きなんだろ? クローディアのこと」

「・・・・・・」

カムラッドは、ぽかんとした表情でくそ真面目なシフのそれを見下ろす。

「いや、ははは。君はそういう所は鈍そうなんだけどね」

「余計なお世話だ」

「うん、そうだよね。うん・・・こういう形になって初めて彼女と知り合ったけれど、正直に言うと、そうかもしれない。

気の遠くなるほど長い時間、ここを守ってくれている彼女の力になりたいとは思うんだけどね」

照れて笑うカムラッドの姿は、純朴な青年そのものであった。

 

「俺は、アンタに二年間修業つけてもらうんだよな?」

「クローディアの意向としてはそうなんだけど・・・。何から教えたらいいのかなぁ」

「頼りねぇな」

「ははは、ごめん。でも剣の稽古はつけるよ。君は誰かに師事して、ちゃんと剣を学んだことはあるかい?」

「軍の養成所には居たけど、特別に教えられたわけじゃなかったな。常に養成所の奴らと手合わせして切磋琢磨するって

いう方針だったから。そういう意味で言えば、剣は我流だ」

「そっか」

白銀の前髪から覗く眉間が、少し寄った。

「でも、それじゃダメだ。本当に強い敵と戦う時に、不利になる。稽古の中で自分の腕を上げるのはもちろんだけど、

相手の心と動きを読む訓練もしなきゃいけない。君は実戦あるのみでやってきたかもしれないけど、この先それじゃ・・・

死ぬことになる」

さらりと告げられた言葉は、しかし厳しさを含んでいた。

シフも反論出来ないものを感じる。

「今さら稽古なんて、まどろっこしいと思うかもしれない。でも大切なことだ。回り道だとしても、それをこなせる

地道さを手に入れると、良いことあるよ」

優しい声は、教会で神の教えを説く神父のようでもあるのに、不思議と鋭さが相反して存在する。

「心や想いの強さが最大の力になるって、よく言うじゃない。間違ってるとは言わないけど、想いが強くてもさ、

首を刎ねられちゃったらおしまいだろ? 力がしっかり備わってこそ、初めて想いの強さが意味を成すんだよ」

シフは、その言葉に視線を落とした。カムラッドは、おやっと顔を覗き込む。

「プライド傷つけちゃった?」

「違うっつーの。早く修行したくなったんだよ。俺の仲間も、あっちの世界で腕を上げてるはずだ。負けてられねぇ」

生意気に吊り上がった瞳がカムラッドを見る。

「うんうん、そうだよね。僕は厳しいけど、二年間よろしく」

「おう、こちらこそ」

二人が握手を交わす。

「あれ・・・」

そこで初めて、シフは一つの疑問を抱いた。

「クローディアは、すり抜けちまうのに」

そう考えてみれば、カムラッドの身体はクローディアのように透けてもいない。

「ああ、そうだね。移転させたこの場所に結界を張って維持している彼女と、こうして来るべき日を待つだけだった

僕じゃ、内在する力の余り方が違う。彼女だって、ずっと昔は今の僕のようにまだ実体があった。彼女の限界も、

そう遠い未来じゃないのかもしれないな」

「・・・そっか。なら、クローディアのためにも急いで修行しないとな」

そう言ったシフを、カムラッドは嬉しそうに見た。

「飲食に関してだけど、この神殿の裏に僕が世話している畑があるんだ。太陽もあるし、数日ごとにまとまった雨も

降るから、野菜も育つ。水は、雨を濾過しないといけない。贅沢は出来ないけど、剣の稽古もしながら土いじりを

すれば何とかなるよ」

ある程度は、干したものを備蓄もしている、と彼は言った。

「いつかこんな日が来るかもって思ってたからね・・・僕なりの準備というわけさ。純粋な人間でいる間は、

物を食べないと死んでしまうから」

「別に贅沢は望まねぇよ。これでもサバイバルは得意分野だったし、少ない食料で戦う経験も積んできた」

「頼もしいね。僕も師匠として頑張らないと」

カムラッドはふわりと笑うと、シフの肩に手を置いた。



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