<約束の日>

 

二年、と簡単に口にしてみても、人それぞれ過ごし方によって、体感する長さも違うものである。

大陸最東部に領土を構えるエントルス。最高神官シンディにとっては、これまでの人生の中で一番長く感じる日々であった。

リバイアサンに向かう三人を見送り、数日経った時。砂漠を横断する行商のキャラバンが、三頭の馬をシンディの元へ

届けに来た。一緒に手紙も預かっている、と渡してくれたそれは、グラディウスの筆跡であった。エントルスに報告に

戻る時間すら費やせないことを冒頭で詫び、遺跡に辿り着けたことや、それぞれが別の道に進むこと、いずれ秘宝入手の

審判が下されることなどが簡潔に記されていた。最後は『必ず全員で戻ります』という文字で締められていて、

その後の彼らの行方は分かっていない。

 

秘宝は本当に手に入るのか。皆、怪我などしていないだろうか。

あれこれと思いを巡らせながら、毎日を送っていた。誇りを持ってこなしてはいるが、国政は楽しい事ばかりではない。

目を通さねばならない書類は常に山積みで、国家情勢も相変わらず厳しい。頭の痛くなる問題は容赦なく湧いてくるものだ。

どの国も表面上は大人しくしているものの、静かなラウォは逆に不気味でもある。

シンディは、念には念を入れての各国の情報収集を欠かすことはなく、また有能な諜報員の育成には投資を惜しまない。

そして、国政の合間を縫っての剣術、柔術、馬術の鍛錬を欠かさなかった。

そんな多忙な毎日の中、集中力を解いた時・・・特に執務の終わった夕方などに心に浮かぶのは、やはりあの三人の顔である。

 

「のう、ジェシー」

「どうなさいましたか?」

呼ばれた女性は、二年前よりも更に腹回りが増したようである。

「もう、二度も季節が巡ってしまった。私の仲間たちは無事なのだろうか」

「最近はそればかりですね、神官は」

薄めに淹れた紅茶を手渡しながら、ジェシカは苦笑する。シンディが日々の仕事終わりに飲むことが日課になっている

ハーブの紅茶は、かつてシフにも振る舞ったものだ。それすら、彼らの安否を心配する気持ちを呼び起こしてしまう。

「私とて、言っても詮無いこととは分かっているのだが」

溜め息をつくと、窓の外の景色に目をやる。

夕暮れの中を、エントルスに暮らす人々が歩いている。子どもの手を引きながら歩く母親や、杖をついて家路を急ぐ

老夫婦、また若い恋人たちも居る。平凡だが優しい日常の風景を、シンディは厳しい顔で見つめていた。

「ここは私の国だ。私には民の生活を守る義務があるし、そのための努力を惜しむ気はない。しかし、もし姉上が

政権を継いでいたとしたら・・・」

「継いでおられたら・・・何です?」

シンディが仮定形の話し方をするのは珍しい。ジェシカは思わず聞き返してしまった。

「私も、彼らと共に世界中を歩き回ってみたかったな、と」

「おやおや、神官ときたら・・・おてんばな所はお子様の頃から変わっていらっしゃいませんねぇ」

ジェシカは大きな身体を揺らして笑った。

 

            ☆

 

長くとも確実に時間は過ぎて行き、やがてその日が訪れた。

今ではもう数少ない、各国共通の年中行事である生誕祭。それは毎年必ず訪れるものでありながら、今年に限っては

特別な日でもある。

リバイアサンの浜辺に、二つの人影があった。

遺跡に残り訓練に明け暮れた彼は、その気配を本能的に感じていた。暦も、はっきりとした季節の巡りもない、

次元の違う世界。そこに居ながらにして、感じたのである。カムラッドが教えてくれるよりも、先に。

「案外、あっという間だったな」

そう言って空を仰いだ彼は、少年から青年へ、容姿も二年分の成長を遂げている。使い込んだ剣を鞘に納め、

簡単に身支度を整えた。

 

「よっ、久しぶり!」

そんな明るい声で、再会の場面は始まった。クローディアと共に祭壇の前で待っていた二人も、その言葉に振り返る。

「シフさん、お久しぶりです」

「グラディウス、無事で何よりだ」

長い金髪を一つに束ねるようになった美しい魔導士。彼もシフと同じ十九という年齢になり、もう少年とは呼べない。

相変わらずの穏やかな雰囲気でありながらも、内から滲む異能の力が以前の比ではない事を感じさせる。

「シフ殿、元気そうで良かった」

「カッツは、ますますゴツくなったな」

厳しい修業をこなしたのを物語るように筋肉の厚みが増した彼だが、その笑顔の優しさは全く変わらない。

衣服は、以前より動きやすいものへと変わっていた。

「あれ・・・何だそれ」

ふと、シフがカッツの左の二の腕を見る。露わになった太いそこに、印象的な模様があった。

「ああ、これは生まれつきなんだ。以前は袖で隠れていたかな。ファニーの村の者には、だいたいこんな痣があるんだよ。

妹のリィスは右腕にあったと思うが・・・何なんだろうな」

わははと笑う彼にとっては、大して重要な事でもないらしい。しかしそんなカッツとは対照的に、驚きの声を上げたのは

クローディアであった。

『まあ・・・! それは、ファニークスの技術者たちに必ずあった痣です。やはり、そちらの世界のファニーの民は、

大陸で生き残った者たちの子孫だったのですね。その模様が、何よりの証ですわ』

クローディアが、カッツの腕の痣を見たまま懐かしそうに微笑む。ファニークスの都市部を転移する際に、革命派の

妨害を阻止して大陸で生き延びたのは、彼女と同じ平和を望む者たちであったからだろう。

「そういえば、ここへ来る鍵をメカレさんの家で探していた時、カッツさんが鍵に触れたら妙なことが起こりましたね」

言われて、カッツも思い出す。鍵を受け取った時に、一瞬だけ左腕に激しい衝撃が走ったことを。

『そうなのですね・・・不思議なことですが、ファニークスの血と鍵が一種の共鳴を起こしたのかもしれません』

「・・・・・・」

「シフさん、難しい顔をして、どうしたんですか?」

「んー・・・何かその痣・・・どっかで見たような気がすんだよなぁ」

カッツの左腕を睨んだまま、しきりと首を傾げていたが。

「ダメだ、思い出せねぇ。ま、いっか」

難しく考え事をするのが何よりも苦手な所は、これまた相変わらずのようだ。

「それにしても、シフ殿も随分と逞しくなったなぁ」

「足運びにも、全く隙がありませんね」

二人も、シフの変化をはっきりと感じていた。細く、しかし無駄のない筋肉がついた身体から、洗練された強さを感じる。

「へへ、修行の中で何回も死にかけたからな。冗談抜きで」

笑い合い、そして三人は改めて堅い握手を交わした。

『仲間の存在というのは、良いものですね』

クローディアが優しく言葉をかける。

「アンタも、色々とありがとな」

『シフ・ギルフォード。あなたの修業の様子は、時々聞いていましたよ』

「ああ、だろうと思った」

『他の二人も、時間を有意義に使えたようですね』

この場所から、別々の道へ歩いて行った三人。己の限界へ挑み続ける毎日を過ごして来たからこそ、またこうして無事に

再会出来たことが感慨深い。

「自分は修業しながらも、常に二人のことを気にしていたぞ」

「へへ、何かシミジミ来るよなぁ」

「本当に。シフさんが無茶をやらかしていないか、私も気が気じゃありませんでした」

「あぁ!?」

「あっはっは、自分も、シフ殿を一人にすることが一番心配だったからなぁ」

「お前ら・・・」

そんな三人のやりとりを、クローディアは微笑んだまま見つめていた。彼女の変化といえば、それだ。深い悲しみの影が

確実に薄くなっている。彼女もまた、この二年の間に変化を遂げていたのだ。

 

「んじゃ、改めて・・・今日が約束の日だ、クローディア」

シフがそう言うと、クローディアも頷く。

「カムラッドも、もうすぐここへ来る。それまで待っててくれ」

『・・・はい』

彼の身を案じたのか、クローディアの表情が少し硬くなる。特定の場所に存在する彼らにとっては、そこから

移動するだけでも大きな力を消費する。下手をすれば、自身の消滅にも繋がりかねない。

「大きな危険を冒して来てくれるんだ。本当に感謝してる」

シフの呟きは、クローディアの心にも不思議と沁みてゆく。

「シフ殿、カムラッドというのは・・・シフ殿に指導を行った人なのか?」

「ああ、俺のお師匠さん。のほほんとしてるけど、修行に関してはものすごく厳しかったな」

「シフさん、もしかしてその人は・・・」

言いかけたグラディウスを、シフが目線で遮る。

「俺もカムラッドとは、あえてその話をしていない。カムラッドが来てから話す。この二年、何をしてきたかを」

シフの言葉に、グラディウスは真剣な面持ちで頷いた。

 

白銀の髪の男性がやって来るまで、そう時間はかからなかった。

「クローディア・・・」

まずは、ファニークスに眠る秘宝を守り、結界を維持し続けている巫女へ言葉をかける。鎧を着けた身体で地面に

片膝を立て敬意を表す姿は、女王に忠誠を誓う騎士のようでもある。

『お越しいただき、光栄です。カムラッド様』

「また、こうして会えて良かった」

『はい・・・』

人間の常識では計れない、長い長い時間。精神感応の会話だけでお互いを支え合ってきた彼らの間に流れる空気は、

恋人とか家族とか、そういう概念で表すことの出来ない何かがあった。

短い言葉を交わし合い、カムラッドはシフの横に立つ二人に微笑みかける。

「シフから、君たちのことをよく聞いていたよ。話の通り、どちらも個性的だねぇ」

カムラッドの声は、空気をふわりと和らげる。グラディウスたちも一通りの挨拶を終え、いよいよクローディアが

シフへと言葉をかける。

『シフ。この二年間のことを、あなたの言葉で教えて下さい。何を想い、何を考えたのかを・・・』

ついに、この時が来た。

 

            ☆

 

シフとクローディアが、祭壇の前で向かい合う。青い空からは、暖かい陽射しが降り注いでいる。

「この二年、カムラッドにつけてもらった稽古はすごく厳しくて、何度も投げ出しそうになったけど・・・本当に良い

経験になった。今は、どこかで自分の腕を過信していた頃よりもずっと強くなれたと思う。これが、ひとつの報告だ」

『はい』

「そして、剣の修行の他に、もっと大事なことをした。それは、俺が俺自身ときちんと向き合うことだ。これまでは、

そんな時間も環境も無かった。子どもの頃は養成所で訓練をして、騎士になってからは戦いの毎日。国を飛び出した後は、

ここへ来るために休みなく旅をしていたからな」

シフが、もの柔らかに語る。

「俺、確かに平和な大陸を実現したいと思ってる。でも、やっぱ大事な奴らを守りたい。それに尽きるんだ。

仲間や、旅で出会った人たち・・・俺の大事な皆が傷付くのは許せねぇ。だから、彼らに危害を加えようとする敵がいたら、

俺はやっぱり戦う。結果的に相手の命を奪うことになっても、だ」

『・・・・・・』

わずかな沈黙がその場を支配する。

「・・・悪い、クローディア。アンタの欲しい答えとは違うのかもしれねぇのは分かってる。確かに、俺は人の命を

奪うのは良いことだとは思ってないし、進んでしようとも思わねぇ。でも、自分の大事なものが傷付けられそうに

なった時、指を咥えて見てるだけで後悔するのは嫌なんだ。かつて、俺は何も行動出来ずにメルビアを死なせて

しまったから・・・」

 

今でも忘れられない、闇の中で腕に抱いたメルビアの軽い身体。冷たく、もう物言わぬ、彼女の死に顔。

 

『あなたのメルビアへの後悔は、一生続くものなのですね』

「ああ。本当に、生きてて欲しかったんだ。もっとアイツに笑ってやって、気持ちを伝えていれば良かった。

結局、自分から行動しようと思い切るまでに時間がかかった俺のせいなんだ。もっと早くに攫って逃げる事も

出来たかもしれない。失って、俺は初めて後悔という言葉の意味を知った。もう、こんな思いは二度と御免だ」

クローディア以下、全員が身じろぎ一つせずにシフの悲痛な声の紡ぎを聞いている。

「俺、大事なものはもう絶対に失いたくない。失わないためなら、戦う。例えそれで自分が死んでも構わない。

後悔するよりはよっぽどマシだ。修行の合間に、何を考えても、何を思っても、頭に浮かぶのはメルビアの顔だった。

アイツは、本当は俺に助けて欲しかったと思う。でも現実的に無理だと思ったから、自分の命を犠牲にして俺を

逃がしてくれたんだ。アイツの泣く顔も、怒る顔も・・・笑顔も。もう見ることは出来ない。触れることも、

抱きしめる事も、もう出来ない」

必死で抑える感情を、彼の強く握られた拳が教えてくれる。

『・・・』

「そして、思ったんだ。戦争で大事な人を失った誰もが、俺と同じように悲しんで後悔してるんだって。

それほど、人の争いってのは愚かなものなんだ。だから、それを止めたいと本気で思う」

ラウォの支配から全ての人を守りたいということ。その理由、そして覚悟。今、シフはその全てを自分の中に

しっかりと見付けていた。

「過去の俺は、国王に命じられるまま戦っていた。でも、この先の俺は大事なものを守るために、自分の意志で戦う。

結果的に、戦いに出て人を傷付けるんだから同じだと言われたらそれまでだけどさ。俺の気持ちの変化なんだ。

何のために力を使うのか、の」

そこまで言い終えたシフの顔は、どこか晴々としていた。もはや、秘宝を得られるかどうかは彼の頭には存在して

いなかった。自分という一人の人間と向き合い、戦う意味を得た。これは彼の人生における、最大の出来事であった。

 

「もう結構だろう」

割り込んできたのは、カムラッドだった。

「僕は、ずっとシフを見て来たよ。彼は、苦しんでいた。自分が奪ってきた多くの命に対して。そして、守れなかった

メルビアに対して。その思いを抱いて、強くなったんだ。命の重さを本当に理解している人間は、道を間違う事はないよ」

『私も、そう思います』

「え?」

しっかりと頷いたクローディアに、シフが視線を寄こす。

『戦いを起こそうとする者がいるのなら、止める者が必要です。しかし、それをきちんと、信念を持って出来る

人間でなければ・・・秘宝を渡すことは出来なかったのです』

「そうだよ。シフ、今の君になら、僕の遺志を継いでもらえると思う」

「カムラッド・・・いや」

 

二年間、分かってはいたが、あえて口にしなかったその呼び名。

 

「・・・聖騎士」

「うん」

カムラッドは、金の瞳を細めた。

「シフ殿・・・その人が聖騎士だって・・・」

思わず身を乗り出すカッツの隣で、グラディウスは黙ったままだった。

「ああ。最初に会った時に何となくそう感じて、修行の間に予想が確信に変わったって感じだ」

「僕は・・・クローディアもだけど、いつか来るこの日のために存在し続けたんだ。真の意味で強さを求める人物が

秘宝を探しに来た時に、見極め、導くためにね」

そう言うと、カムラッドは祭壇の前に進む。心なしか、彼の身体が薄くなって見える。彼の存在していた神殿から

ここまでは、距離がある。随分と無理が来ているのだろう。

「シフ・・・君に、正式に譲り渡そう」

重々しい口調で告げると、かつて大陸の秩序を取り戻した聖騎士は祭壇の蓋に刻まれた紋章に手をかざした。



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