<継承と終焉、争いの胎動>
カムラッドが手をかざした紋章が薄く、紅く光り出す。彼はそのまま蓋を押し上げ、それを取り出した。
鞘に納められた一振りの剣。質素で、飾り気のないそれをシフに手渡す。
「これが・・・秘宝?」
「うん。抜いてみてごらん」
シフは言われるままに、スラリと鞘から引き出す。
刀身は、とても軽い。
「・・・!」
シフ達は、息を呑んだ。
「何だこれ・・・刃がっ!」
シフの右手に構えられた剣。握った柄から流れるように伸びる刃の部分が、深紅の光を帯びている。
『それが秘宝です、シフ。私たちが生きていた時代に、皆が崇めていた神の宝です』
「正確に言うと、もともと神の宝とされていたのは大きな石だったんだ。魔力が込められた石。それを、
ファニークスの技術者が剣に加工したんだよ」
カムラッドたちの説明では、そもそも魔力が人間以外のものに宿ることはなかったのだという。
それが、当時の常識だった。しかしその石が発見された時、誰もがそれに感じたのは、紛れもない魔力であった。
「その石はファニークスに祀られ、神の石と人々が呼ぶようになった。しかしちょうど戦争が激化してきて、
それまでは生活に必要な物の発明ばかりしていた技術者たちが、初めて武器を造ることにしたんだ。それが、これさ」
「何で、その石を加工することにしたんだ?」
『石が、魔力を持っていたからこそです。その力が宿った経緯や詳細は最後まで分かりませんでしたが、とても軽く、
同時に堅いのです。大陸で最高の硬度とされるルリア石でも遠く及ばないくらいに。そんな石を加工出来たのは、
高度な文明のお陰でした。おそらく今のシフたちの世界でも、これを加工することは出来ないでしょう』
そして、とクローディアは剣の刃を指差す。
『その光です』
「この剣は、持ち主によってその能力を変える。僕が使っていた時は、刀身は青に輝き、一振りするごとに
水が流れ出て・・・争いで付着した血を清めた。持ち主の力を、魔力をもって反映するんだよ」
シフは、全員と距離をとって剣を縦に振り降ろした。すると、刃の軌跡が炎の尾になった。
「シフさんの力は、カムラッドさんとはまた違う・・・炎の、猛々しい力ですね」
「僕がそれを持つまで・・・何人もが命を落したんだ」
『その剣は、相手を主と認めない場合には力も起こしませんし、逆に握った者の生気を奪ってしまいます』
「なるほど。それが、試練を超えた、強くて清い肉体と精神を持った者にしか手に入れられない、という伝説の
由来になったのだな」
カッツの言葉に、カムラッドは頷く。
「でも、今のシフなら大丈夫だと確信していたよ。だから渡したんだ」
最高の軽さと、最高の硬度。そして込められた強大な魔力。
三位一体の神の宝と呼ばれた石を最高峰の技術で練磨し、加工した最終形態。
ついに、シフはそれを手にしたのである。
紅く輝く自身の剣を見つめながら、シフがぽつりと言う。
「この光・・・何なのか、俺には分かる」
「シフさん?」
「メルビアの光だ。ラウォの地下牢で、メルビアが姿を変えた紅い光と同じだ。光だけじゃなく・・・あたたかさも」
カムラッドが、それを聞いてふわりと笑う。
「そうか・・・。僕にはずっと見えていたよ。クローディア、君もそうだろう?」
『はい。シフを見守り、照らす紅い輝きが常に傍にありました。それが自身の力と相まって、剣に表れたのですね』
カムラッドとクローディアに見えていたという光は、もちろんシフたちには不可視のものだ。しかし、シフには
それで十分であった。
「この剣は、カムラッドやクローディア、そしてメルビアの・・・平和を願う想いが詰まった剣だ。大事にする。
俺が、絶対にラウォの侵略を阻止してみせる」
シフの黄金の瞳が、カムラッドの黄金の瞳と向かい合った。
「うん。それを成し遂げた時、君は真の聖騎士となる。君の目指して来た目標だよ」
かつて六王国戦争を終結させ、リオール大陸に平和をもたらした青年が、そっとシフに言う。
「・・・頼んだよ」
☆
気の遠くなる年月、そこに存在し続けた二人。彼らは『役目を終えた』と言った。守ってきた秘宝を希望と共に
シフに託し、太古に栄えた遺跡と、そして二人は消滅する運命にあるのだという。
「カムラッド・・・クローディア・・・俺はっ」
『もう何も言わなくていいよ、シフ』
そういう青年の身体は既に、クローディアと同じように背景を映すほどに透けている。もう、触れることは叶わない。
「俺、アンタに教わってきたこと、学んだこと・・・絶対に忘れない。一緒に畑を育ててメシ作ったのも、
全部いい思い出だ」
『有難う、シフ。僕も楽しかったよ』
声も、もうはっきりとした肉声ではない。
『グラディウスにカッツ。シフを・・・カムラッド様の想いを継いだシフを、支えてあげて下さいね』
「はい、クローディアさん。きっと・・・」
「シフ殿の歩く道を、この身に代えても守ると誓う」
名残を惜しむ暇は、もう無かった。
『そろそろ限界だね。君たちまで一緒に消滅させてしまうわけにはいかないから』
『あなたたちを、元の世界に戻します。鍵は力を失いますが、思い出に持っていてもらえると嬉しいです』
クローディアが、靄を発生させる。
『さあ、急いで』
促されるまま、グラディウスとカッツが一礼して身を投じる。
最後はシフだ。
「ありがとな! 俺・・・アンタたちの理想の地をきっと再現してみせる。見守っててくれ!」
決意を込めて大声で叫び、彼もまた靄へと姿を消す。
『行ってしまったね』
『はい・・・』
『大丈夫かい? お疲れ様』
靄が消えた途端、体勢を崩したクローディア。二人がここに留まる時間は、もう幾許も無い。
ビシッ。
突如響いた、大きく亀裂が走る音は終焉の知らせである。
空が、壊れた。
異空間は、それを維持する結界を失ったのだ。上空から大量の海水がどんどんと注ぎ込み始めた。
『とうとうこの時が・・・カムラッド様の都が・・・』
『いいんだよ。僕らもこの街も、眠りにつくんだ。本来あるべき姿に戻るだけだよ』
お互いに、お互いの感触はない。それでも二人は、そっと抱き合っていた。
『こんなにも長い時間、僕を支えてくれて、辛い役目を負ってくれて有難う。無事に後継者を送り出すことが出来た』
『はい。シフの瞳は、あなた様と同じでした。黄金の、とても美しい色で・・・』
『あの子なら信じられるよ。大丈夫』
全てを託した青年と同じ色の瞳を、カムラッドが優しく細める。
ビシビシと音を立てて壊れてゆく空から何本もの海水の滝がうねり落ちるさまは、まるで青い龍が次々と
降臨してくるかのようだ。先程まで静かだった遺跡の街中を、海水の龍たちがどんどんと呑み込んでゆく。
神殿も、祭壇も、人々の暮らした家々も。何もかもをめちゃくちゃに押し流して進んでくる。あっという間に、
水位は二人の腰の高さまで来た。
消滅の時。しかしその壮絶な場景と反し、二人の間には穏やかな最期の時間が流れていた。
『不思議だな・・・こうしていると、君の感触や体温が伝わってくるような気がする。まるで、生きている時に
逢うことが出来たみたいだ』
『カムラッド様・・・私もです』
クローディアの瞳から静かに落ちた涙が、終わりの瞬間を告げた。
☆
リバイアサンの浜辺に出たシフ達には、遺跡の最期の様子は何も分からない。目の前に広がる真昼の海は、
ただ静かに満ち引きしているだけだ。カッツの手にある鍵も、もう二度と輝くことはない。
「お二人は、本当に長い役目を果たされたのですね」
「ああ。俺にこれを託してくれた・・・」
シフの右手には、あの剣がしっかりと握られている。
「それは、シフ殿が自分の力で得た秘宝だぞ」
「うん。カムラッドの・・・そして俺の剣だ」
握る手に力を込めた。秘宝と共に受け継いだ、聖騎士の想い。それはシフの体内で強い熱を放っている。
「・・・よっしゃ、行こう」
しばし物言わぬ海を眺めた後、シフが言った。
「まずはエントルスに向かいましょう。シンディ様にご報告をしないと」
「へへ、二年ぶりかぁ。驚くだろな」
「ここへ来る前に、行商の一行から駱駝を三頭借りて、近くに繋いであります。馬よりも足は遅いですが・・・」
「歩くよりも、うんと早いよ。さすがグラディウス殿は抜かりがないな」
三人はエントルスを目指して大陸の東へ向かう。
☆
「なぁ・・・何か街の様子が変じゃないか? やけに騒がしい気がする・・・」
エントルスの入国門が近付いた頃、シフが怪訝な顔をする。
真夜中だというのに、街の灯りが全く消えていない。ざわめきが風に乗って聞こえてくる。
「急いだ方が良さそうですね」
「ああ」
シフが、耳を隠すターバンをしっかりと結び直す。
入国門を抜けて街まで出ると、三人はその光景に息を呑む。
住民たちが騒ぎ立て、通りがごった返していた。その顔は恐怖や、憤りの色に染まっている。
「一体、どうしたというんだ・・・」
こんな時刻だというのに老人や子どもも表に出ていて、荷物を運び出している者も居る。三人は人の波に
揉まれながら、足を進める。右に左に、誰かとぶつかる。
「おいッ! こりゃ何の騒ぎだよ!」
シフが、人混みの中で年配女性の腕を掴んで尋ねる。
「何って・・・アンタ知らないのかい!? ラウォの奴が、フォングに攻め入って王様を殺害したって話だよ!」
「なっ・・・!?」
「いよいよまた戦争が始まるのかね・・・シンディ様はもう兵を整えていらっしゃるらしいけど、アタシ達は
一体どうなるんだろう・・・」
もうあのような思いは嫌だと、その女性は涙を流す。
シフは、足元が揺らぐのを感じた。
「グラディウス! カッツ! 神殿に急ぐぞッ!」