<そして、大陸戦争へ>

 

各国の王や政治に関わる者たちの間では、戦争の開始は十年後・・・早くても五年以内だと予想されていた。

その推測に基づいて、各国とも内々に軍事力を整えつつある状況であった。それをあっさりと裏切り、ラウォの

侵攻が唐突に始まったのである。

最初に陥落したフォングは、ラウォの北側に隣接する国である。国王は老人であり、軍事力、経済力共に最も乏しかった。

それが、ラウォ軍の入国からたった二日で王城も街も完全に制圧されるという無残な結果を招く原因になった。

フォングに派遣していた諜報員からの連絡でシンディは早くにこの情報を掴んだ。無論、彼女としては事が起こる前に

知りたかったのは言うまでもないが。

 

「ええい・・・バルめ! 大胆な宣戦布告をしてくれる!」

シンディが執務室で、苛立ちと共に机を叩いた時だった。衛兵の一人が扉を開ける。

「神官! 客人がお見えです」

「誰も通すなと言っておろう! 引き取り願え!」

シンディがここまで激しい感情を表すのも珍しい。

「いえ、あの・・・しかし」

「おい、シンディ! 俺だ!」

衛兵を押しのけて駆け込んできたのは、行方を案じていた黄金の瞳の青年であった。

「そなたは、シフ!」

シンディは目を丸くすると、シフの両肩を掴む。

「生きていたか・・・安心したぞ」

「そう簡単に死んでたまるかっての。それより本当なのか、フォングの話は」

遅れて、グラディウスとカッツも部屋に入ってきた。

「よくぞ三人とも無事で帰って来てくれた。悠長に再会を喜んでいられないのが口惜しいが・・・フォングがラウォに

落とされたのは事実だ。王も、殺された」

「ちっ、何だってこんな早く!」

「油断をしていたつもりはないのだが、バルの計画は我々の上を行っていたようだ。軍を動かす情報を事前に

得ていたらしい我が国の諜報員は、全員ラウォで殺されていた」

シンディはすっかりやつれていた。ろくに眠っていないのだろう。

 

「それで、ラウォの状況はどうなっているのですか?」

神殿の最上階にあるシンディの自室に場所を移し、四人で情報を共有することになった。

「元々、向こうの兵数は六十万と踏んでいた。しかし実際には七十万は居たようだ。そこへ捕虜としたフォングの

兵士を指揮下に入れ、約百万という数に膨れ上がった。これから、他国を落としにかかるだろう。二手に別れ、

北のマイヤと南のヴァレンへ同時に攻撃して来る可能性も濃厚だ」

「俺がラウォを抜けて、たった三年足らずで更に兵力を増してたってわけか・・・」

フォング軍を取り込む前の、七十万人という兵数だけでもラウォの総人口の四割近くになり、他国に比べて

高い割合を示す。しかもその殆どが幼い頃から訓練を受けて来た、いわば純粋な職業軍人だ。戦争が起こってから

徴兵されるような兵士とは、格が違う。

 

「マイヤとヴァレンまで、歩兵を含むことを考えると移動日数は五、六日というところですね」

グラディウスの推測に、シンディは頷く。

現在のリオール大陸では戦争といえば騎馬戦や白兵戦が主流であり、移動は馬と徒歩にほぼ限定される。

ラウォ軍の場合は国王を総指揮官として統率される純粋な騎馬部隊が大部分を占め、彼らに従軍する形で武器補充や

キャンプでの補佐、そして戦いを行う徒歩部隊で編成されている。徒歩兵の速度も判断材料に含むと、グラディウスの

弾き出した移動日数の推測は妥当な数字である。

「フォング侵攻から既に二日経っていることを計算に入れると、我々はあと三日以内で全ての準備を整えねばならない」

「具体的に、準備はどこまで進んでいるのだ?」

「・・・もう、行動を起こしてある」

シンディは、カッツの顔を見据えて重々しく口を開く。

「同盟を、結んだのだ」

 

フォングの陥落を知ったシンディは、すぐに使者をマイヤとヴァレンの国王へ送っていた。そして、共同戦線を張ろうと

提案した。これは、前代未聞の出来事である。

二十二年前に勃発し、四年間続いた大陸戦争以来、各国は交流を絶って現在に至る。

言い換えれば、どこかの国が行動を起こせば、すぐに周囲は反応出来るような緊迫状態であったということだ。

それでも、今まで何とか均衡を保ってきたのは、何かがあれば自国以外の全てが敵になるという抑止力があったからこそ

である。そこを顧みず侵略行為に出られるとすれば・・・それは圧倒的な軍事力と自信をもって動ける、まさしく

ラウォのような国だけだろう。

シンディには、その後起こりうる政治的な問題や国民の反対は、もはや足枷ではなかった。最大の武力を持ったラウォに

対抗するには、これしか方法はないと判断した末の行動だ。マイヤとヴァレンの国王も、さすがにこの状況下でシンディの

提案を断る事は出来なかった。意地を通せば、ラウォに各個撃破されるのは火を見るより明らかだ。

このような経緯で、緊急だが東の三国同盟が結ばれ、エントルスやヴァレンの警備隊は『軍隊』として機能することに

なったのである。

 

「我がエントルス、そしてマイヤとヴァレンの兵力を全て合わせても九十万・・・どうしてもラウォに十万は

劣るということになる」

「その差を、どうやって埋めるかだな」

シフは唇を噛む。ラウォの力なら、むしろこちら側の兵力が大きかったとしても状況をひっくり返される可能性がある。

十万の差は、致命的な程に大きい。

「とりあえず、明朝から三国の王と側近で軍議を行う。そして昼過ぎからは守備隊長たちを集めての出陣式が

執り行われる予定だ」

「出陣式・・・このような時にか?」

カッツが眉間に皺を寄せる。

「いや、むしろこのような時だからでしょう。緊急で手を組んだ国同士であるからこそ、慣例に則って意識を

統一する必要がある、ということではないですか?」

グラディウスの言葉に、シンディは首を縦に振る。

「最大の目的は、それだ」

現在、他の二国の王や主な将たちがエントルスへ急ぎ向かっているという。

「なるほどな。流れは分かった。シンディ、俺はもちろん三国同盟軍に加えてもらうぜ。せっかく秘宝を手に入れたんだ。

ここで使わなくて、どこで使うんだって話だからな」

「・・・そなた、今なんと言った」

「手に入れたんだ、シンディ」

「・・・・・・」

グラディウスとカッツも、黙ったまま頷く。この状況のせいで、シンディの頭から秘宝のことは完全に忘れ去られていた。

しばらく呆けたような表情でシフの顔を見つめていたシンディだったが、急に目の色を変えた。

「明朝の軍議まで、まだ少し時間がある。その話を詳しく聞かせてくれ」

「ああ。元々は、そのつもりでここへ来たんだからな」

シフの表情にも、緊張が走っている。

 

            ☆

 

朝が来るのが、普段よりとても早いような気がした。軍議はエントルスの神殿にて行われる。偵察部隊によるとラウォの

進軍速度は予想より少々遅れているようで、こちら側にとっては不幸中の幸いであった。

シンディは夜を徹して自軍の進路などを軍師と練り終え、この時を迎える。

「久しいですな。シンディ神官」

最初に会議室に入ってきたのは、大陸最南端の国、ヴァレンのレナード王であった。先述の通り、シンディとは幼い頃に

交流もあり、現在も書面でのやり取りを行っている相手である。

まだ三十二歳と若く、凛々しい風貌の彼はシンディに向かって丁寧に挨拶を述べる。

「レナード王・・・ご足労いただき、感謝しております」

シンディもまた、背筋を伸ばして深々と頭を下げた。

 

今回は三国の王と側近、そして各国の議員や幹部も同席しての会議となる。しかし開始予定を過ぎても、マイヤの王が

現れない。側近たちはよもや裏切りかと騒ぎ出したが、シンディとレナードはそれを諌めて静かに待った。

しばらく遅れる形となったが、マイヤのジール王も会議室に入ってきた。しかしその顔は、苦虫を噛み潰したような、

という表現がピッタリである。

大陸最北端の国、マイヤに王として君臨するジール王。若いシンディやレナードと違い、彼はもう初老に達していた。

前回の大陸戦争の際にも王として指揮を執った過去を持つ。

突然の同盟への警戒が、その瞳に表れていた。国民のため、そして国の保身のためにやむを得ず手を結んだだけであり、

心から納得していないということは明らかである。

会議室内の空気が、一瞬にしてビリっと凍りつくのを、誰もが感じていた。

「・・・・・・」

つと、シンディが席を立ってジールの元へ進み出る。

「お初にお目にかかります。私がエントルスの神官、シンディでございます」

武芸にも秀でる彼女の一礼は、見事と言うしかない。凛とした瞳を真っすぐにジールへ向ける。

「遠路はるばるお越しいただき、心より感謝しております。この度は緊急でのお顔合わせとなってしまいましたが、

ジール王の経験に基づくお知恵を、どうぞ若輩者の私にお貸しいただけますよう・・・お願い申し上げます」

続いて、レナードも立ち上がる。

「ヴァレンのレナードと申します。今回の同盟にご協力いただきましたことへ、改めてお礼を申し上げます。

我が国も、決して二心なく尽力しますことを、この名に賭けて誓います。ご指導を、よろしくお願い致します」

ジールは、拍子抜けの感のある顔をした。彼こそ、他国の王たちにこれほど丁寧な挨拶を受けるとは思って

いなかったのである。

「・・・年老いたワシの知恵が役に立てるかは分からないが、有意義な時間にしたいと思う」

少々戸惑った口調ではあったが、しっかりとそう返事をした。不安と警戒の全てが氷解したとは言い難いが、

先程までと比べて空気は明らかに和らいでいた。シンディとレナードの、良い意味での若さが最大の救いであったと

言えよう。

軍議は数時間に及んで行われた。まずはラウォ軍についての情報の共有から始まる。それを踏まえた上で、

こちら三国同盟軍の主力隊長たちの配置場所と進軍の道筋の確認。次に、非戦闘員である住民たちの避難先や

確保すべき食料の打ち合わせ。

それが終わると、軍内で使用する武器の補給についてなど、手際よく話し合いが進められて行った。

昼からは略式ながらも出陣式を行うことになっていて、表ではその準備が進捗している。少しの時間も無駄には

出来ないという全員の思いが、その場を熱くしていた。

 

「では、以上をもって軍議を終了とします」

議長の言葉で皆が呼吸を整えた時だった。突然シンディが椅子から立ち上がった。

「ジール王、レナード王、そして各国のお歴々・・・少しだけ私に時間をいただけないでしょうか。

ここで、紹介したい人物がおります」

予定外の項目だっただけに、二人の王も、他の者たちも怪訝な顔をしてシンディの顔を見る。

「入ってまいれ、シフ」

シンディの声が響くと、すぐに入口の扉が開いた。正装したシフが一礼して会議室へと足を踏み入れる。

「神官? 彼は・・・ッ!?」

レナードが、言いかけて硬直した。ジールも、大臣たちも皆が一様に息を呑む。

シフは、耳を隠していなかった。

 

            ☆

 

出陣式。ラウォ軍が向かって来ている状況下で各国の守備を疎かにするわけにはいかないので、主に部隊の指揮を

執ることとなる各守備隊長や軍師たちを集めて行われる。

場所は、エントルス神殿の中庭。総勢五十名ほどが整然と並び、王たちの軍議終了を待っていた。

グラディウスとカッツは、この中に居る。そして、カッツに訓練をつけたゼルガも、また。

前回の戦争において第一線で活躍した彼は、ヴァレンの守備隊へ所属するには十分な人物であった。そして、参戦が

本人からの希望であったのが、カッツには何よりも嬉しい事であった。二年間に渡って厳しく稽古をつけてくれた

師匠の後ろ姿に、亡き父の姿まで見えるような気がする。

 

やがて、一糸乱れず立ち並ぶ兵士たちの前に、軍議を終えた三国の王たちが姿を現す。一同、彼らに対して敬礼を行う。

「うむ・・・」

まずは最年長のジール王が、言葉をかける。

「諸君、残された時間は残り少なく、事態は深刻だ。正直に言って、我々もこの状況に困惑している。しかし、

もう動くしかないのだ。諸君の働きを心より期待する。ここに、簡単ながら出陣式を執り行う」

中庭は厳重な警戒態勢を取り、居並ぶ兵たちの目も静かな光を放っている。まさに覚悟の決まった、戦士の目である。

次いでレナードが翌日からの進軍についての説明と激励の言葉を述べる。最後は、シンディ。

「ここへお集まりの諸君に公表がある。先程の軍議において、我が三国同盟軍の総隊長を決定した」

そして王たちの後方から進み出た人物を見て、一気にその場がどよめいた。

 

紫の髪に、黄金の瞳。まばゆい白銀の鎧と深紅のマントに身を包んだその人は・・・シフであった。

 

「ど、どういう事だ・・・ラウォ人じゃないか」

「総隊長だって!? まさか・・・」

「王たちは何をお考えなのだ!?」

先程まで押し黙っていた兵士たちが全員、戸惑いを超えて怒りの声を上げ始めていた。

「諸君、静かに。話を聞いて欲しい」

レナードがぴしゃりと言い放つと、一同はシンと水を打ったようになった。王の命令は、いかなる場合であっても絶対である。

しかしその表情までは従う事が出来ないようで、憎々しげな冷たい視線がシフに突き刺さる。

対するシフは、その視線を静かに受け止めていた。落ち着いていながら、どこか悲壮感を感じさせる。これもまた、

自分が背負う罪の一つであると思っているせいだろうか。

「シフ、まずは私が・・・」

「いや、シンディ。俺が行く」

こうなることは分かっていたとはいえ、やはり心配そうなシンディの言葉を遮ってシフが全員の前に立つ。

群衆の中に立つグラディウスとカッツ、そして事前にカッツから話を聞いていたゼルガの三人だけが冷静にその姿を見守る。

「俺の名は、シフ・ギルフォードだ。以前まで、ラウォで騎士隊長を務めていた」

その容貌は知られずとも、ラウォの騎士隊長・シフという名は軍人たちの間では有名であった。天才的な剣の技術を持ち、

戦で負けたことがない。国王バルの片腕、いや、たった一人で両腕とまで言われた時期もある。そんな人物が、なぜ今

目の前に立ち、そして対ラウォ軍の総隊長なのか。もはや、理解不能といった様子で兵士たちは息を細める。

 

「まずは、見て欲しい」

シフはおもむろに鞘から剣を抜くと、天に向けて掲げた。そしてその刃が紅に輝き火の粉を放っているという

信じられない光景に、誰もが愕然とした。

「これは、太古の時代に大陸を統治した聖騎士、カムラッドの秘宝だ」

現在ではおとぎ話の扱いとはいえ、聖騎士という言葉に覚えが無い者はいない。無論、聞くだけなら馬鹿らしいと

片付けられる内容であろうが、目の前の剣はあまりにも説得力を持っていた。

「・・・ワシもシンディ神官から彼を紹介された時には、血が凍るような気持ちになった。諸君の動揺は、無理もない」

そう言い、ジール王がシフの隣に並ぶ。

「あまりのことに、ワシは部屋を出ようとした。そこでシンディ神官は土下座をして、彼の話を聞くように懇願されたのだ」

「シンディ様・・・」

グラディウスの声が漏れる。

「そうまでしなければ、他の王たちがシフ殿の話を聞いたとは思えない」

カッツも、静かに呟く。

「そして彼の話を聞き、過去は事実としても、今は聖騎士の秘宝を継承するに値する、高潔な男であるということを

理解出来た。あとはシンディ神官、あなたがお話しなさい」

「ジール王、かたじけない・・・」

ここ数日の激務で痩せたシンディは、それでも美しかった。

彼女はシフの隣に並ぶと、まるで物語を紡ぐような口調で話し出す。

「私は・・・大きな罪を背負った少年と出会った。彼は多くの命と自分の自由を引き換えに、ただ一人の大切な娘を

守ってきた。だが、それは決して正しい事とは言えない。少年は罪の意識に苛まれ続け、それを憂えた娘は、自らの

命を絶って少年をラウォという国から解放したのだ」

真昼の陽射しの中、シンディの声が響く。

「少年は己の罪を悔い、これから何が出来るかを模索し、死んだ娘との約束であった聖騎士という目標を見定め、

姿を消した。長い二年だった・・・。だが彼は約束通り、私の元へ帰ってきてくれた。先代の聖騎士から受け継いだ、

この秘宝を手に」

シンディの目線が、シフの持つ剣へ向く。それはますます輝きを強め、その身にまとう炎も揺らぎ続けている。

「私は、彼を総隊長に推すことにした。それが彼の罪滅ぼしであり、すべきことだと思ったからだ。そのために、

彼もまた自ら戦うと申し出てきたのだから・・・」

 

「しかし・・・信じられるか」

「改心したと、どうやって証明する」

「うまく取り入って、王たちの寝首をかくつもりだったらどうする!?」

そのような疑惑の声が漏れてくるのもまた、無理のないことであった。

「大丈夫ですよ」

ふいに、柔らかな声がその場に割り込む。一同は何事かと一斉にその声の方向を振り返る。そこには、グラディウスが

佇んでいた。

「私は、彼と共に旅をしてきました。聖騎士カムラッド様から秘宝を受け継ぐ姿も、それまでの苦悩も、後悔も・・・

全て見届けてきました。もし、万が一にもシフさんが裏切るような行動を起こしたなら、私が命に代えてでも止めて見せます」

「あ、あいつの仲間の言う事など信用できるか!?」

「お前のような優男に、止められるわけがないだろう。あの、悪名高いシフ・ギルフォードだぞ」

「止めますよ・・・何があっても」

静かに言い放つと、グラディウスが右手を振り上げる。急激な突風が、まるで嵐のようにその場を襲い、全員が足に

力を入れてその場に踏み留まる。

「おい! グラディウス・・・」

前方からシフが叫ぶが、グラディウスは意に介さないといった表情で風を静め、次に地面に向けて炎の竜巻を放った。

「ひぃッ!?」

周囲の兵士たちが慌てて飛び退く。

「私はマイヤを祖国とする、魔導士と呼ばれる一族の末裔です。この力は祖国を守るために振るわれるもの・・・。

もし脅威となる敵が立ちはだかるなら、それが友人であろうと決して容赦はしません」

目の前で繰り広げられた未知の力、そしてグラディウス自身から溢れる深沈とした殺気。兵士たちの誰もが、肝の

潰れるような思いを味わっていた。

あえて、グラディウスは正体を明かしたのである。シフへ刺さる視線と憎しみを、少しでも和らげようと。

先の言葉は彼の本心であり、それは逆にシフへの絶対の信頼でもあった。

 

一般兵のみだと思われていた群衆の中に、かつてのラウォの騎士隊長と、もはや架空の存在とされる魔導士が

存在していたという事実は、誰にとっても驚愕の事実であった。

「確かに・・・あんな力をぶつけられたら、俺も無事では済みそうにねぇな」

くっと短く笑うと、シフは秘宝の剣を鞘に納める。

「今すぐに信じてもらおうとも、受け入れてもらおうとも思ってはいない。でも俺の正直な気持ちと・・・国を守る

立場でありながら俺を信じてくれた王たちの気持ちは、どうしてもここで伝えておきたかった」

シフの真摯な声が全員の耳に届く。

「俺は、大事なたった一人の命を救えなかったことを今も後悔し続けている。だから、同じような思いをする人間を

少しでも減らすために、やれることをやるだけだ。一人もこの場を離れずに話を聞いてくれたことだけでも、俺は嬉しい。

感謝している」

何かを吹っ切ったような、爽やかな笑顔でシフが言う。一同は、再び静まり返ってしまった。

 

「最後に、私からも言わせて欲しい」

レナードが歩み出る。

「諸君にも、家族や恋人がいるだろう。その人たちの笑顔と命が今、奪われようとしている。大事な人たちの危険を、

黙って見過ごしてはいけない。そしてまた、その人たちのためにも我々も死んではならない。平和を守ろうとは言わない。

ただ、自分たちの大事な人の笑顔を守ろう。その気持ちが重なれば、きっと大きな力となるはずだから」

 

            ☆

 

出陣式のあと、やはりそれでもシフの元で動くことを拒絶する兵士が約半分、指揮下を離れた。三国同盟軍の軍人で

あることには変わりないが、総隊長であるシフの命令で動くことはない。

「しかし正直・・・半分で済むとは思いませんでした」

「うむ、ワシもだ」

それぞれ自国へ帰るために、マイヤのジール王とヴァレンのレナード王が神殿を出て短い立ち話をしていた。

「あの場で、半分の兵士があの青年を受け入れたのだ。複雑であっただろうし、不本意な者も居るだろうがな。

人の想いというものは、誠実であれば少しずつでも伝わるのだと・・・この年齢にして初めて学んだ気がする」

白髪の混じる髭を撫で、ジールがしみじみと言う。レナードも、同意を示すように微笑む。

「・・・戦後から十八年か。長い時間、国同士は交流をせずに牽制し合ってきたというのに、シンディ神官は

大きな賭けに出たものだ。同盟の申し出にしても、あの青年の正体の公表にしても」

「彼女は、ああいう性格なのです。昔から・・・」

レナードの返事に、ジールは頷く。

「だからこそ、救われたな」

そして片手を上げ、先で待つ自国の馬車に合図を送った。

「ワシも、あのシフという青年と、秘宝の力を信じてみようと思う。明日からは忙しいぞ・・・そなたも、今日は

早く休むようにな」

「ジール王、有難うございます。共に頑張りましょう」

レナードは頭を下げ、ジールの乗り込んだ馬車が見えなくなるまで見送っていた。



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