<砂漠の楽園>

 

リオール大陸の中心部に広がる砂漠には、名さえない。

先に述べた五つの国は、この広大な砂漠を真ん中に、ぐるりと陣取る形で存在する。大陸自体が、空から見ると

いびつな円形になっているのだ。

各国に交流がないせいで、この砂漠を通る一般人は殆どいない。見渡す限り一面の砂の海は、日中は恐ろしく

高温になるが、夜は急激にその温度を下げる。

名はないと言ったが、行商のキャラバンたちの間では『地獄』と呼ばれているようだ。

 

そして今、この地獄を歩いて横断する人影があった。

 

「ちっくしょ・・・・・・暑ィ・・・・・・」

元・ラウォの騎士隊長、シフ・ギルフォードである。

何やらぶつぶつ言いながら、わずかな手持ちの水だけを頼りに歩いていた。

ラウォ城から脱け出したものの、国の中に居る限り、彼は有名過ぎる。砂漠に出るしか選択肢はなかった。

現在地は砂漠の真ん中あたりだろうか。幼い頃から鍛え抜かれた強靭な肉体のおかげでここまで来られた。

普通の人間なら、とっくに命を落としていてもおかしくない。

しかし、着のみ着のままで、丸三日。

いいかげん水も底をつき、眩暈が始まった。

「・・・・・・っ」

 

太陽は、素肌をジリジリと焼き付ける。

砂面の温度も相当なものだ。

破れた靴を通して、熱が足にまとわりつく。いつもなら何ともない自分の剣も、今は鉛のように重い。

 

方向を見失わないよう気を付けていたが、変わらない景色の中で目が霞み、もはや自分がどこに向かっているのかも

分からなくなってしまっていた。

もしかすると、ずっと同じ所をグルグルと回っているのかもしれない。

かろうじて引きずっていた足の感覚が無くなる。

 

「あ・・・・・・」

そして一瞬、身体の中に心地良い脱力感が走ったかと思うと、果てしない砂漠へ倒れ伏してしまった。

もうもうと砂が巻き上がったが、シフはぴくりとも動かない。

 

          ☆

 

  鳥は水面に舞い唄う  

空は蒼く  

川は煌き  

その目に映るは 女神の愛した 

豊穣の大地・・・・・・

  

 

(ん・・・? う・・・た?)

 

軽やかで美しい歌声に意識を呼び戻されたシフ。しばらくは思うように体が動かなかったが、やがて自由がききだし

恐る恐る目を開けた。

「ああ、やっと気が付きましたか。もう大丈夫ですよ」

シフの目に飛び込んできたのは、そう言って自分を見下ろす一人の男・・・だろう。

中性的な顔立ちにオレンジがかった金色の長い髪、穏やかな青い瞳・・・どれをとっても美しかった。

醸し出す雰囲気そのものに品を感じる人物である。

 

そのまま数秒が経ち、仰向けに寝かされているシフはぼうっととした表情でゆっくりと唇を動かした。

「まさか本当に天使がいるとはな・・・俺、やっぱ死んじまったのか・・・」

それを聞いて、まだシフを見下ろしている美麗な顔がきょとんとした。

「私は天使ではなく・・・・吟遊詩人のグラディウス・ガビルといいます。ここは砂漠の中のオアシスで、

あの世ではありません・・・けどね」

遠慮がちな口調で、まだ夢と現実の区別が上手くいっていないシフに告げると、立ち上がってカップに水を注ぎ始める。

 

ようやくシフもよろよろと上半身を起こす。

見たところ小さなテントの中だった。寝かされていた体の下には薄い布が敷いてある。上部から透けて届く光の

明るさから、外は真昼のようだ。

 

「具合はいかがですか?」

グラディウスと名乗った人物は、シフにカップを手渡す。彼は水を見た途端、急激な喉の渇きを感じて一気に飲み干した。

グラディウスは、その細い指でシフの額にそっと触れる。

「体温は平常になったみたいですね。あなたは幸い、このオアシスのすぐ傍に倒れていたんです。見付けた時には、

もう息がないのかと思って心配しましたけれど」

ふっと微笑む。

「何だって? 俺が倒れる直前までオアシスどころか、一面の砂以外は何もなかったぞ」

短気なシフは少々語尾に苛立ちを含めた。しかし相手は動じる素振りもない。

「それだけ元気なら大丈夫ですね」

再び、微笑む。

 

「この砂漠は、稀にですが侵入者を拒むことがあるんですよ」

シフの持つカップに再度水を注ぐ。

「はぁ? それじゃアンタは侵入者じゃないってことか?」

「まあ、そういうことです」

青い瞳が、シフの金色の瞳に向けて細められる。

(さっぱり分かんねぇ)

謎掛け的な会話を最も嫌うシフは、水を一口含むと話題を変えることにした。

「なぁ・・・グラディウスって言ったな。さっきの歌はアンタが?」

「ええ、そうですよ」

グラディウスは片手で持てる小さな竪琴を取り出して、弦を一本弾いて見せる。

豪華な造りではないが、細々とした細工が美しい。

「私は、この竪琴だけで大陸を歩き回っているんです」

優しい笑顔を絶やさないグラディウスとは対照的に、シフは怪訝な顔をした。

「今のリオール大陸は、どの国も表向きには中立って形を取っていても、一触即発の冷戦状態だぜ。

平和な場所なんて限られてるし・・・吟遊目的とはいえ、そう簡単にはフラフラ出来ねぇだろ」

「確かに仰る通りです。しかし、語り部は割と歓迎されるものなんですよ。国交がなく文化も閉鎖的になっている

せいか、昼は子供の集まる広場で、夜は大人の集まる酒場で・・・歌の需要は、馬鹿に出来ないものなんです」

 

グラディウスは、十七歳だと言った。その若さで放浪者というのは珍しい。

「家族とかは、いねぇの?」

「ええ。しかしあなたは私にばかり問いますね。私は、あなたの事も知りたいですが」

「・・・・・・」

シフは言葉に詰まった。自分がラウォ人であり、ましてや元・騎士隊長で脱国中などとは口が裂けても言えない。

ラウォは他国者が国に入ることを固く禁じ、また、ラウォ人が国を出る事も厳しく禁じているのだ。

 

余談だが、シフの居なくなったラウォは大騒動になっている。地下牢の扉は開き、メルビアの姿もない。

当然、誰もが彼女はシフに攫われたのだと思った。国王バルの隠そうにも隠しきれない驚愕は激しい怒りに変わり、

様々な刺客が追手として国外へ送り出されている。

さてグラディウスとの会話だが、正体を明かすわけにもいかないので、特定の雇い主のいない傭兵で、新たな

仕事先を探していると曖昧に流しておいた。

グラディウスも何かを隠している事を見抜いてはいただろうが、深く立ち入っては来なかった。

 

「それにしても、お若くて剣が扱えるなんて凄いですね」

「別に凄くはねーよ。ラウォだったら俺くらいの年齢の剣士なんて腐るほど居るぞ」

「さっきから思っていましたが、ラウォに詳しい様子ですね。他の国では、ラウォの名前を出す事すら、

禁忌のようになっていますが」

じっとグラディウスが見つめてくる。

(しまった・・・)

出した言葉は引っ込めることが出来ないのだ、ということをシフは改めて痛感した。

「いや・・・何せ一番の武力国家だしな。傭兵として旅をしてると、噂は色々入ってくるんだよ」

「そうですか。しかし何故、旅に出られるようになったのですか?」

「・・・昔、大事な人と交わした約束を果たす為に、な」

先程までのしどろもどろな口調とは打って変わり、その言葉には素直な、しかし寂しげな含みがあった。

「大事な人・・・・・・恋人ですか?」

「恋人かどうかは分からなかったけどな。もう死んじまった」

一瞬、沈黙が流れる。

「・・・すみません、悪いことを聞いてしまいました」

美しい顔が悲しみに染まり、さすがのシフも慌てた。

「いいって! それより、もう一回歌を聞かせてくれねーか? 最初は女が歌ってるのかと思ったほど綺麗な声だったぜ」

「有難うございます。それでは・・・」

 

再びグラディウスの美声を聞きながら、シフは眠気に誘われた。思わずごろんと横になって目を閉じる。

人前で、こんなにも無防備な姿を晒すのは初めてである。

多くの部下を率いる騎士隊長という立場にあり、常に緊張し、戦場で殺すか殺されるかの日々を送っていた彼にとって、

不思議なほどに安心できるひと時であった。

とろとろと、幸せなまどろみを繰り返し・・・・竪琴の音とグラディウスの声はやがて、シフを完全な眠りへと誘った。

 

           ☆

 

しっかり数時間は眠ってしまったらしい。次に目を覚ました時にはテントの中に一人だった。

(あいつ・・・どこ行ったんだ)

とりあえず、枕元にある水を飲んだ。先程は無我夢中で流し込んで気付かなかったが、ひどく美味しい水だった。

シフは、初めてテントから出た。そこで目に映ったオアシスの光景はまるで、楽園という言葉をそのまま絵に描いた

かのような眺めであった。

「すっ・・・げぇー!」

キラキラと水面が光る小さな湖があり、それを取り囲むようにヤシや果物のなる木が生えている。

射し込む太陽の陽ざしと相まって、色鮮やかな一帯であった。

 

「あっ、グラディウス」

木陰で、涼しげに素足を湖に浸すグラディウスの姿があった。シフの声に振り向くと、彼の長い金色の髪の毛が

光を反射する。
顔の造作といい、立ち居振る舞いといい、つくづくこれで男にしておくのは勿体ないな、

とシフは思った。

「お目覚めですか。どうです? ゆっくり出来ましたか」

「ああ、疲れも一気に吹き飛んだぜ。アンタには色々と借りを作っちまったな」

「いいえ、そんな事は」

シフも真似をして、湖に足を垂らしてみた。

「うひゃ、冷てぇ!」

思わず調子の外れた声を上げてしまった。

グラディウスは微笑んで小さく頷いて見せる。どうやら、この口の悪い少年を気に入った様子だ。

ぶっきらぼうで粗野で、しかし根が素直なシフの持つ、不思議な魅力である。

 

「綺麗なオアシスだな。いつからここを知ってたんだ?」

「さぁ・・・もう覚えていませんね。長いこと旅をしていますから」

「じゃあ、これからはどこに行くんだ?」

「さぁ、風の向くまま気の向くまま・・・歩いてみようかと。今までと同じですけど」

「へっ、『さぁ』ってしか言わないのな」

「今は名前を覚えてくれただけで十分ですよ。それより、私はまだあなたの名前を伺っていませんが」

「え、俺言ってなかったっけ!? 名前はシフだ。シフ・ギルフォード。アンタと同じ十七歳」

グラディウスは満足げに微笑むと、素足のまま歩き出した。

シフも続く。

 

「なぁ、ここから一番近い王国はどこだ?」

さくさくと砂を踏みながら、グラディウスの背中に問いかける。

「しばらく東に歩くとエントルスに出ます。でも、他国者は歓迎されませんよ」

「あー・・・ま、大丈夫だ。色々と世話になったな。また旅してりゃ、どこかで会うかもしんねぇな」

「そうですね。必要な水と食料は持っていくといいですよ」

 

テントに戻り、剣と所持金、水と果物をまとめてグラディウスと別れる。

「私は、もう少しここに留まります。どうかお気を付けて」

「おう。お前こそ気ィ付けろよ。物騒な世の中だからさ」

「はい。あの・・・シフさん」

「ん?」

「・・・いえ、また会えると良いですね」

「ああ。そん時はもう一回歌を聞かせてくれ」

 

たった数時間の交流だったが、いざ別れとなるとひどく淋しい気持ちになった。

しかしそれを言葉にするのは照れ臭くもある。結局、固い握手を交わすのみでシフはオアシスを後にした。



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