<中立国家エントルス>

 

エントルスはリオール大陸の最東に君臨する国家で、二十年前の大規模な大陸戦争の後に固い中立国家として

生まれ変わった。ラウォ同様、他国とは交流をすることなく、自給自足で国を成り立たせている。

 

さて、シフ。

地獄の砂漠を抜けて、このエントルスに入国していた。

大陸の西端にあるラウォと対角に位置するこの国には、歴史的資料や文献が数多く残されているという。

聖騎士に関しての情報を掴めないかと目論んだのである。

もちろん、ラウォの人間だと悟られないように細心の注意を払っている。国王の次に高位である騎士隊長という

立場に居ただけあって、情報の弄り方などはお手の物である。入国にあたっての手続きもあっさりパスしていた。

そして念には念を入れ、ターバンで頭をすっぽりと覆い隠して行動している。

 

この頃、シフの心内には新たな課題が生まれていた。

全ての禍事の根源であるラウォ国王・バルを倒し、彼が目指す全土統一の野望を阻止するというものである。

もちろん、国王という立場的なものだけでなく、一人の人間としての能力面から見ても、文武共にずば抜けて

秀でたバルを、何の考えもなしに倒せるなどとは、さすがのシフでも思ってはいない。

バルという男の恐ろしさと冷酷さは、その下で働いていたからこそ肌で感じることが出来るのだ。

しかし、たった一人の娘であるメルビアを幽閉し、逆らうことの出来ない自分を徹底的に利用したバル。

そして結果的にメルビアは自殺してしまった。許せる理由などない。

今でもメルビアの死に顔や、バルの冷笑が夢に出て来て飛び起きることもしばしばある。

 

聖騎士になる、という幼い頃の約束は、ただそれだけではない。聖騎士になり、平和な大陸にしなければ意味がない。

 

『平和が一番いいのに。幸せの中で、新たな命が生まれ続けてゆく、そんな世界が実現すればいいのにね』

 

地下牢でメルビアが呟いた切ない想いは、しっかりとシフの中に焼き付いていた。

 

           ☆

 

「おい、そこのガキ」

人通りの少ない、細い路地裏で人相の悪い集団に呼び止められた。

「・・・・・・」

厚い雲の向こうに月が見え隠れする夜。

 

シフは一瞬で、目の前の暗がりの中に十人の男が隠れているのを悟った・・・と同時に、ホテルでも取って

大人しくしているべきだったと後悔した。

ただでさえ自分はラウォから手配されている身なのである。出来る限り面倒は起こしたくないわけだ。

 

「返事しろよ、口が無いのかァ?」

その言葉が聞こえると同時に、複数人の笑い声が上がった。

シフは囲まれている。

「・・・・・・」

「おいって、こっち向きな? ボ・ウ・ヤ」

「・・・黙って聞いてりゃぁ・・・」

シフの、地を這うような声が響く。

まずいことに、シフがこの挑発に乗ってしまった。

元来が喧嘩っ早い性格なのだ。この展開では最悪である。

チンピラ集団の目当ては、結局は恐喝だ。有り金さえ渡してしまえば事は済んだのかもしれないのだが、

シフにとって売られたケンカは買うのが礼儀で、たとえ相手が何倍の人数であっても決して怯まず、独りででも

突進してゆく。それこそが、多くの戦いの中で培ってきた彼の財産でもあるのだが。

 

シフの黄金の瞳が威嚇にも似た光を帯びている。

「うっせぇんだよ、この烏合の衆がッ! 寄ってたかってカツアゲたぁ、暇なもんだな」

「なにィ!? ふざけんじゃねェ!」

瞬間、集団の中から一人が怒号を発して躍りかかってきた。

いくら何でも、懐に隠している剣を一般人相手に繰り出すわけにはいかない。

シフは瞬時にぐっと腰を落とし、体勢を整えた。

建物に挟まれている、狭い路地だ。逃げ道はない。

(上等じゃねぇか)

相手の拳を軽くかわすと、その隙を突いて腹部に強烈なヒザ蹴りをかます。

男は、どうっと地面に倒れ込んだ。

シフの素人業ではない身のこなしに、一同たじろぐ。

「おら、どうした!? もうかかってこねぇのか?」

形勢逆転、今度はシフが挑発する番であった。

「ちっ、このクソガキ・・・ふざけやがって」

どうやらリーダー格らしい男の歯が軋む。

チンピラとはいえ、彼らにも意地というものがある。

双方、ここで引くわけにはいかなかった。

「坊やだと思ってたが、どうやら手加減は不要のようだな」

「たりめーだコラ、俺が誰だか知ってから吠え面かくなよ!

俺はシ・・・」

言いかけて、慌てて口をつぐむ。

(あぶねー、頭に血が昇って自分から名前を名乗るとこだったぜ)

「あァ?」

「何でもねぇよッ! どうした、まだやんのか逃げんのかハッキリしろ!」

巻いたターバンの陰で、シフの目が再び光る。

次の瞬間、闇の中から相手が全員で襲いかかってきた。

もう乱闘である。たった一人ながらも、シフは見事に次々と薙ぎ倒す。

しかし相手チームも、何度地面に叩き付けられても躍起になって攻撃してくる。

殴る、蹴る、打つ・・・何でもありの喧嘩だった。誰もが口々に何かを叫んでいる。

 

「ちくしょう、このガキっ!」

「悔しかったら捕まえてみろよ」

男の体当たりを軽く避けたシフ。何人でかかろうと、戦場を生き抜いてきた彼に喧嘩で敵うことは不可能だった

・・・はず
が、ふいに後ろから近付いてきた男の気配を感じ、再びその身をひねってかわそうとした瞬間、

頭に巻いたターバンの結び目を掴まれた。

「あーっ、ちょっと待て! 触るなッ!」

シフの叫びも虚しく、ターバンの布がするすると解かれてしまった。

周囲の雰囲気が凍りつき、シフは肝が縮む。

(み・・・見られたっ)

しばしの沈黙を破ったのは、シフいわく『烏合の衆』の一人。

「その耳、お前・・・・・・ラウォの人間じゃねェか!?」

 

シフにとって致命傷だった。耳を見られてしまったのである。

エントルスをはじめ、他国家の人間は普通の耳だ。しかしラウォの純粋な血を引く者は、先が尖った耳をしている。

これは古来にラウォ人と動物系の亜人が混血していた証拠という説などもあるが、ここでは蛇足に過ぎない。

とにかく、ラウォ人であるという証をターバンで隠していたのに、こんなつまらない喧嘩で曝してしまったのだ。

 

ちょうど雲から顔を覗かせた月が、煌々とシフの顔を照らし出す。

シフの紫色の髪の毛からちょこんと飛び出した耳は、ひやりとした風を感じた。

「ラウォだと・・・」

男の中の一人が呻くような声で言った。

エントルス国民のラウォに対する憎悪もまた、激しい。

終了した大陸戦争から、まだたったの十六年。それから生まれた子供たちも、子守唄代わりにラウォという国への

恨みつらみを聞かされている。

当時のラウォがどれほど残虐な方法で略奪や惨殺を行ったのかを窺わせる。

彼らにとって、他国とは別格でラウォという国は忌まわしい存在なのだ。

 

「ラウォの人間だと聞いちゃ、ただじゃ済まないな」

「おい、こいつ密入国者ってことじゃねぇか」

皆、口々にそう言いながらシフへにじり寄って来る。

「こいつを捕まえれば大手柄だぜ!」

さすがのシフも身の危険を感じ、咄嗟に陣を抜けて細い路地を走り出した。

(こんなとこで捕まって、祖国送りなんてされてたまるか!)

もちろん、烏合の衆は全員で追って来る。

シフは息を切らして駆け、やっと路地から大通りに出た。

さすがに、この時間だから人通りは少ない・・・と踏んだのだが、前方から警備隊員が数人走って来ていた。

「マジかよッ!」

絶体絶命。挟み撃ちをくらった。更にまずいことに、耳も出しっ放しである。

(ちくしょう・・・殴り倒してでも)

だが、それも失敗に終わった。焦って冷静さを欠いたシフは、あっさり取り押さえられてしまう。

現在は中立国家という立場上『軍隊』という名目は取らないものの、エントルスの警備関係者はほとんどが

戦争時代に軍人だった精鋭たちである。その戦闘能力の高さは常人の想像を遥かに超える。

かつては戦場で畏怖されていた騎士隊長も、最後には十数人の前に敗れ伏してしまった。

「近くで喧嘩があっているとの通報があって来てみたら・・・まさかラウォの子供がいたとはな」

隊員の一人がシフを組み敷き、両腕を太い縄で縛りあげる。

「いってぇ・・・!」

「俺たちゃお手柄だよなァ?」

烏合の衆は、してやったりの顔。

「くそッ! 放せ! 触んじゃねぇぇぇ!!」

あらん限りの力を振り絞ってジタバタする。

「こいつ、大人しくしろ!」

鳩尾に強烈な一発をかまされ、抵抗も虚しくシフはそのまま気絶した。

 

            ☆

 

「ん・・・? な、何だっ!」

次に気が付いた時には、両手首に手枷が掛けられていた。

石壁の狭い個室に古びたベッド。言わずと知れた場所だった。

「牢屋・・・だな」

持ち物も、もちろん剣もない。あのままエントルスの塀の中に入れられてしまったようだ。

「ちくしょう! 誰かいねぇのか! 出せ!」

薄暗い廊下に面している鉄格子を蹴る。しかし太くて硬いそれは、びくともしない。

(やべぇ・・・このままじゃすぐに身元も割れて強制送還か、この国で処刑か、だよな)

 

牢の中は、大人二人が両手を広げたくらいの狭さ。窓もなく、光といったら壁の石と石の僅かな隙間から差し込む

日差しだけである。

こんな部屋に、一人。

(アイツも・・・ずっとこんな中に一人だったんだな)

ふとメルビアの事を思い出して冷静になり、どかっとベッドに腰を下ろした。

今のところ牢の周囲に見張りは居ないようだ。何としてでも脱獄しなければ・・・と色々考えてはみたものの、

暫くして挫折した。まず両手も自由がきかない上、どこにも逃げられそうな隙が見当たらない。

「さすがの俺も、これまでか・・・」

諦めたくはなかったが、諦めるしかない状況であった。

 

だが、危惧していた処刑の通告はその後数日経っても無く、それどころか何の伝達事項も届いてこない。

1日に二度食事を運んでくる見張りに尋ねても、自分の知る範囲外だという返答がくるだけで、即刻処刑の

覚悟をしていたシフは、逆に気味が悪い。

 

「あーあ・・・何やってんだかエントルスのお偉いさんはよ。敵国の元総大将さまをとっ捕まえたんだぜ。

さっさと処分するのが普通だろーが・・・」

何もすることがない牢の中、シフはぶつぶつと悪態をつきながら1日を過ごす。

もしや、この国は自分を情報源として利用しようとしているのではないか、などと考えた。

もちろん、仮に拷問にかけられてラウォについて問われても、絶対に口を割らない自信はあった。

それはあくまで祖国のためなどではなく、彼のプライドの問題だが。

 

人間、こういう環境だと気が狂いそうになるほどに暇過ぎて、考えたくないことを色々と考えてしまうらしい。

眠るとメルビアの夢を見て、起きているとバルのことを考えてしまい、頭の中がめちゃくちゃになる。

安息の時間は、彼には訪れなかった。

壁の隙間からの明るさの具合でおおよその時間が判断出来るだけで、ゆっくりと日にちの感覚も無くなってくる。

(俺なんか終身刑にしたって何の得にもなんねーぞ・・・)

 

「おい、出ろ」

その言葉に、シフはゆっくりと目を開けた。

力なくベッドに腰掛ける彼の身体は逞しさは残しているものの、頬はすっかりこけてしまっている。

やっと狭苦しい牢から出されたのは、投獄されて半月ほど経ったであろう頃だった。

 

ついに、来た。

シフは騒がない。常に命を落とす覚悟で戦場を駆けてきた彼は、その運命をも受け入れようと決心していた。

まずは久々に身体を洗うことを許され、新しい衣服を着せられた。この一連の流れは、処刑に向けた準備だと思われる。

そして手枷をかけられたまま、警備隊員に連れられて外へ。

(まぶし・・・)

ちょうど昼ごろの晴れた世界。

長いこと独房の暗い部屋に居たせいで、しばらくは目を開けているのもやっとだった。

こうして太陽を見るのも今日が最後だろうと考えながら歩かされるシフが着いた先は、なぜか大きな神殿の前の扉だった。

巨大な白い石を精巧に組んで建築されたそれは、とても荘厳で、とても優美で。

比較するのも野暮だが、ラウォには存在しないものである。

「おい・・・こんなとこに何の用だよ」

しかし、周りに立つ警備隊員たちは厳粛に口を閉じている。

代わりに、手荒に背中を押されて神殿の中へ促された。

 

廊下をしばらく進み、階段を何度も上り、最奥の大きな間取りの部屋に通されたかと思うと、ソファに座って

しばらく待つように命じられる。

(何だ・・・? 処刑場に行くんじゃないのか)

神殿とは、神を祭った建造物であることはシフも知っている。よもやそんな場所で人の首を切ることはないだろう。

だが、祖国送りの可能性も残っているので、シフの心中は穏やかではない。

ここで処刑されなくとも、ラウォに引き渡されたら死ぬより辛い拷問が待っているのだ。

 

          ☆

「待たせたな」

ふいに、凛とした女性の声が響いた。

奥の扉から姿を現したのは、年齢二十四、五歳くらいの、長身の美女だった。

まばゆい銀色の髪の毛を背中の辺りで切り揃え、ゆったりとした衣服を身にまとい、神秘的な雰囲気を漂わせている。

「そなたたち、苦労であった。彼の手枷を外して・・・私と二人にしてほしい」

その人物は警備隊員たちにそう告げた。知的な声は案外低く、よく通る。威厳のある口調は決して嫌みがなく、

まさに『賢』と『美』を絵に描いたような人である。

 

ほどなく、シフとその女性二人だけの空間となった。

「ようこそ、ラウォの騎士隊長シフ・ギルフォード」

女性は開口一番、そう切り出した。

「しっかり正体バレてんのな。誰だ、アンタは」

シフはギロリと相手を睨み上げる。

「私の名前はシンディ。このエントルスの最高神官だ」

 

この国でいうところの最高神官とは、国王と同じ立場である。

彼女がまだ幼い頃は、彼女の父が『国王』として国を治めていたが、大陸戦争の終局から数年後に他界。

国王には娘が二人居たが、長女は身体が弱かったために次女であるシンディが若くしてその位を継ぐこととなり、今に至る。

その際、呼称を『最高神官』と改めたのは彼女である。

リオール大陸にはいくつかの宗教が存在するが、最も広く浸透しているのはセントリア・ルシェ教という。

ルシェとは女性の神の名で、平和を願い流した涙の一滴が海に落ち、リオール大陸になったという神話が伝えられている。

もともとエントルスは信心深い国民が多く、シンディやその一族も敬虔なルシェ信仰者たちだ。

彼女は神ルシェの教えの元で至純な政治を行うことを使命だと考えており、前代未聞の呼称変更も、その決意の

表れかもしれない。

 

「へぇ、エントルスのトップが女だとは聞いていたが、まさかこんな若いネェちゃんだったとは驚いたぜ」

シフは素直にそう言った。

「私からも言わせてもらうが、他国の軍をたった一人で蹴散らしていたのが十七歳の少年だったのには舌を巻いたぞ」

「ま、俺は生まれながらの天才ってやつだからな」

シンディはそういうシフを見つめ、ゆっくりと向かいのソファに腰掛けた。

「ふふ。そなたの・・・利き手のタコを見る限り、天才というよりは秀才だな。陰で相当な訓練を重ねていたと見える」

「!」

「こう見えて私は男勝りな性分でな、馬術や弓術も好きだが、剣術も嗜んでいるのだ」

「・・・・・・」

シフはその風変わりな、しかし鋭い観察眼を持つ神官を前に押し黙った。

シンディは微笑を浮かべて髪をかきあげる。

「安心するがいい。ここへそなたを呼んだのは、処刑のためではない。少し、話をしようと思ったまでだ」

「え?」

「ある者から、そなたの命、しばらく預かって欲しいとの申し出を受けてな。面と向かって話をしてみれば、きっと

気が変わるとまで言われ・・・ここへ連れてきた次第だ」

シフには、訳の分からない話だ。

「ある者?」

「今は明かすまい。とりあえず、そなたの身元を調べ、一度はラウォに送ろうかとも思ったのだが・・・

一つ不審な点があってやめておいた。そなたを捕らえたことも、まだラウォには知らせていない」

「何だよ、不審な点って」

しかしシンディは続きを促すシフを無視するように立ち上がり、すぐ戻ると告げて部屋を出て行ってしまった。

 

「・・・・・・」

少し緊張感から解放されたシフは、ふっと息を吐いてソファの背にもたれる。天井を見上げると、採光用の丸い

天窓から青い空が見えた。

(いー天気だな・・・)

まだ行く末がどうなるか分からないというのに、そんな能天気な感想が浮かんだことに、少々自嘲した。

 

しばらくすると、シンディは紅茶の注がれたティーカップを二つ持って戻ってきた。

「飲め」

シフは目の前に置かれたそれを、何の躊躇もなく飲んだ。

「美味いな、コレ」

久しぶりの温かい味に、黄金の瞳が細くなる。

シンディは思わず笑った。

「そなた、私が毒を入れているとは考えなかったのか?」

それに対し、シフは笑わない。

「ああ、何となくだが・・・アンタはそんなことしない。それより俺を一人残して出ていくなんて、アンタこそ

俺が部屋から逃げるとは考えなかったのか?」

「ああ、そなたは、そうしないと思ったからな」

敵同士の国の者とはいえ、お互いに不思議な確信があった。

 

「さて・・・」

優雅に紅茶を一口すすり、シンディが話を再開する。

「そなたなら、我が国の情報網の力は存じておろう」

「ああ、よく知ってるよ。ラウォが最強の武力国家と言われるのに対して、エントルスは最強の情報国家と言われてる

からな。俺も自分の国に居ながらして、アンタらお抱えの情報網やスパイに引っかからないように注意してたぜ」

シフの言葉に、シンディは頷いた。

 

事実、エントルスの強みはその諜報力である。シンディの元には、幼い頃より諜報工作員としての訓練を受けた

エリートが数多く揃っている。
そして情報のやりとりは人間だけに留まらず、特殊な調教をされた鳥や小動物を使っても

行われていた。宗教色の強い中立国家とはいえ、他国の動きには十分警戒する必要がある。まだ大陸戦争の禍根も

断たれていない今、いつ不意打ちを受けないとも限らないからだ。

 

「近頃、穏やかならない情報が耳に入ってきたのだ。それが、先程言った不審点なのだが」

「そうそう、何なんだよそれ」

「ラウォの騎士隊長・シフが国王の娘を連れて逃げた、というものだ。これはラウォに於いても一部の者しか知らない

ほどの機密情報だ・・・。しかし、調べによるとそなたは単身でエントルスへ入国していたのが分かった」

シンディの、深い栗色をした瞳が、ゆるりと窓へ向けられる。

「娘は、メルビアと言ったか。彼女の居所が分からぬうちは、下手にラウォに知らせても逆に我が国に疑いをかけられ

る懸念があったから、そなたの件は保留していたのだ」

シンディらしい、賢明な判断である。

(俺がメルビアを連れて逃げた・・・か)

そう思われるのも無理はなかった。

シフは、観念して潔く全てを話す決心をした。

「・・・俺は確かに国を逃げたが、最初から国王の娘を攫ってはいない」

「なに?」

情報は完璧だったはずなのに、とシンディは言った。

驚いた顔をすると、意外に年齢より幼く見えた。

 

           ☆

 

幼い頃にラウォの兵士養成所に入り、血を吐くような訓練を経て騎士団に所属。それから騎士隊長を命じられる

まで時間はかからなかった。同時にメルビアが幽閉され、文字通りの地獄の始まり・・・。そしてついこの間

起こった、信じがたい現実と、聖騎士への誓い。

シフの口から語られる言葉を、シンディは真剣な顔で最後まで聞いていた。

 

「なるほど・・・娘が、そなたを逃がすために自害していたとはな」

「さすがの情報国家でも、まさか遺体が消えたなんてことまでは分かんねぇだろ。非現実的すぎて、俺だって

まだ信じられないけど、ホントなんだ」

「もちろん疑ってはいない。しかも娘の亡骸が消える直前、赤い光を見たと言ったな?」

「ああ。あれも何だったのかよく分かんないんだけどな」

「うむ・・・・・・」

シンディは何かを考えるような表情をして茶を一口飲み、

「やはり、そなたを殺さないで良かった」

と呟いた。

「笑わないんだな、聖騎士とか聞いても」

「ああ、笑える要素はひとつもなかったぞ」

シンディはそう言うとソファから立ち上がり、近くの窓を開けた。

陽の光が彼女の横顔を射し、風がその髪をなびかせる。まるで一枚の繊細な絵画のような光景だ。

シフは手招きされるままに近付いた。

「この部屋は父の代から自室として使っているのだが、とりわけこの窓からの景色が素晴らしい。わざわざ最上階を

選んだ理由だろう・・・」

眼下には緑多い町並みや人の往来が見え、遠くにはシフが歩いてきた広大な砂漠が広がっている。

エントルス中を大きく一望出来る場所であった。

「終戦から十六年、やっとここまで復興したのだ」

「ああ・・・」

シフは素直にその景色を美しいと思った。

「メルビア嬢の言葉・・・幸せの中で、新たな命が生まれ続けてゆく世界・・・だったか。私も同じ想いだ」

シンディはシフの瞳をしっかりと見据える。そこには、逸らすことが出来ないほどの迫力があった。

「中立体制を取っているのも、争いから逃げたいためではない。戦うべき時には戦うし、民のためなら喜んで命を

差し出す覚悟もある。しかし、それが必ずしも正しいことだとは思っていない。人間とは争ってゆくべきものではない。

助け合い、愛し合ってゆくのが本来の姿だ」

「アンタ・・・」

「誰しもそれは当然のこととして知っている。しかし、知っていながら欲に負け、戦いで私腹を肥やしている愚かな

連中を、今の私には止めることが出来ない」

シフには、耳の痛い話だ。

自分の意志ではなかったとはいえ、過去には自ら軍を率いて人を殺していたのだから。

 

「私は・・・」

シンディの瞳が、シフのそれを捕らえたまま続く。

「太古の時代にリオール大陸を統一したという、聖騎士の存在を信じている」

 

そもそも聖騎士とは大昔に、今のように争いの絶えなかったリオール大陸を、平和と秩序のもとに統治したと

言われる剣士のことで、位置付けとしてはおとぎ話のレベルである。

現代の人間にとっては英雄的言い伝えでもあり、剣術を生業とする者にとっては信仰の対象になっていたりもする。

しかしながら、世界を平和にしたいという目的で憧れている者など居ないであろう。他ならぬシフも、最近までは

そうであったのだから。剣士の頂点がすなわち聖騎士であり、強くなってその証を手にしてこそ、聖騎士なのだと

漠然と思っていた程度である。

それを聞くと、シンディは鼻で笑った。

「そなたの言う強さの証とは何だ? 戦争で敵の大将の首を獲ることか? 例えそれが出来て、周りがそなたの強さを

認めたところで、真の聖騎士と呼べるのか?」

シフは言葉を失う。反論出来る点など微塵もない。

たとえ今の自分がリオール大陸を統一出来たとしても、それはかつての聖騎士の行いとは程遠い、『力で抑えつけた支配』

に過ぎないのだ。

 

「俺は・・・十五で騎士隊長に任命されて、その時は誇りに思ってて・・・国王に絶対の忠誠を誓って、ただ浮かれてた。

そしたらいきなりメルビアが監禁されて・・・」

シフはシンディの目を見つめ返すことが出来ない。視線を落としてぽつりぽつりと気持ちを紡ぐ。

「国王の口から漏れる、全ての人間を馬鹿にした言葉・・・毎日の戦いの中で俺の手に付く返り血・・・

死んだ部下の目・・・俺は、だんだん分からなくなったんだ。一体何のために戦っているのかが」

「そなたは若すぎた。人を殺めざるをえない道を歩かされた、憐れな子供だったのだ。そなたのせいではない。

このおかしな世の中が人々を狂わせ、死に追いやっている。だからこそ・・・そなたのような人間が必要なのだと

思っている」

「なんで、俺が」

「そなたには可能性があるのかもしれぬ。自分の犯した過ちを戒め、その腕と・・・心で、この混沌とした世界を

救ってくれる。そう、聖騎士となる可能性が」

「え・・・」

シンディは笑わない。むしろ、恐ろしいほど真剣だ。冗談を言っているのではないらしい。

「信じないのか? 私の予感は当たるのだぞ」

シンディの細い指が、シフの左頬にある大きな傷をなぞる。

「もしそなたに、本物の聖騎士を目指すという決意があれば私も助力を惜しまない。しかし、生半可な気持ちで

そのような話をしていたのであれば、ここで打ち首、もしくはラウォ行きだ」

シンディの口元が、僅かに上がる。

シフは彼女の指を軽く払った。

「俺は・・・聖騎士になるつもりで国を飛び出してきたんだ。最初はただ国王を倒すことが目的で・・・でも今は

変わったと思う。俺だって、出来る事なら平和の中で暮らしたい。俺に、それを成し遂げられる可能性があると

言われると、男として燃えるモンがあるな」

「ふ・・・」

シンディが噴き出した。

「頭が単純に出来ているというのも、情報通りだったな」

「なに!?」

「冗談だ」

「ったく、調子狂うやつだな」

シフは毒づくが、心なしか顔が赤かった。

 

しばらく二人は無言で窓から景色を見ていた。ゆっくりと日暮れが近付き、さっきまで青色だった空がオレンジ色に

変わろうとしている。

「私は、そなたに賭けてみることにしよう。かつての、平和なリオール大陸というものを、一度見てみたい。

国同士が助け合い、それは素晴らしい世界だったそうだ」

シンディにとって、それは長年の夢であった。

「やはりこんな時勢と私の立場ゆえ堂々と後押しは出来ぬが、何か困ったことがあれば相談してほしい」

「ああ・・・なら、さっそくだけど」

シフは頬を掻いた。

「俺、どうやったら聖騎士として認められんのか具体的に知らねーんだわ。どうすんだ?」

「そなた、そんなことも知らずに聖騎士になると公言していたのか。恥ずかしい奴だな」

「う、うるせぇ! 俺の聖騎士伝説の知識なんて絵本で読んだ程度なんだよ」

シンディは声をあげて笑いだした。初めて見せた姿だ。

「あはははは、なるほどな。面白い奴だ・・・分かった、絵本以上の知識を教えてやろう」

そうして、またソファへと移動した。

 

「かつての聖騎士は、聖騎士の証たる『秘宝』を手に入れたそうだ。最大の試練をも越えた、本当に強くて清い

肉体と精神を持った者のみが触れることの出来る、神の秘宝らしい」

「え、じゃあ俺の他にもそれを探してる奴がいるのかな」

「それは可能性は高いと言えないな・・・この話は希少な古文書に書かれているものだ。そもそも聖騎士そのものが

存在していたのかも確かではないほどだからな。この世界で人々が騒ぎ立てる『聖騎士』とは・・・」

ちらり、とシフを見る。

「争いで勝利を得ることだけに喜びを見出す者たちの、馬鹿らしい合言葉に過ぎぬ。呆れたものだが・・・

そういえば、そなたもそうだったか?」

「あんだと!」

「ふっ、怒る必要があったのは先程までのそなただろう。今は、漠然としていた目標をしっかり形に出来たものだと

思うが?」

「・・・そうだな。今まではラウォを抜けたことで精一杯だったけど、まるで曇った窓を拭いたあとみたいな気分だ。

メルビアも、俺に気付いて欲しかったのかな。一番大切なことに」

シフは最後に抱えた彼女の感触をしっかり思い出すように、両手を見つめていた。

 

           ☆

 

「世話になったな。アンタのお陰で生まれ変わったような気がするぜ。牢の中の飯はマズかったけど」

「ふふ・・・食べられただけでも感謝しろ」

シンディと軽口を言い合うシフの表情は明るかった。

神殿の入り口。彼は新たな目標を胸に、再び旅立とうとしていた。

「今回の件は、逮捕されたのはラウォの一市民で、即刻祖国に送り返したということにしてある。しかし十分気を

付けろ。耳を見られるようなヘマは二度とするな」

「へーいへい」

シフは、耳をしっかり隠したターバンの結び目を面倒くさそうに確認する。

「ここから北にある、ファニーの村に行け。私も秘宝のありかまでは知らないが、聖騎士の古い記述に地名が出ている

唯一の場所だ。手付かずの遺跡もあると聞くし、何かの手がかりが掴めるかもしれない」

「おう」

「それと、くれぐれも老人たちの言葉を聞き流したりするんじゃないぞ。最近の若者はそういう点が問題だからな。

長い人生の中で多くのことを見聞きしてきた・・・」

「あー、そりゃもう何度も聞いたってばよ! 分かってるって。あんま小言ばっか言ってっとシワ増えんぞ」

「ほう・・・?」

「冗談冗談。んじゃ、とりあえずそこに行ってくるわ」

無事に返してもらった愛用の剣をマントの中に隠し、勢いよく背中を向けて手を振る。

「あ、そういえば」

そこへシンディの声。

「そなたを助けろと申し出た者が、入国門の近くで待っている。旅に同行したいそうだ」

「は!? すっかり忘れてたけど、一体誰なんだよ、そいつ」

「見れば分かる。先ほど、その人物に手紙を届けている。そなたの旅の目的など、簡潔にな」

「なっ・・・」

「それではな。健闘を祈っているぞ」

シンディはそう言うと、あっさりと神殿の中に戻って行ってしまった。

「何だってんだ・・・」

 

シフは全く心当たりのないまま、少し緊張した表情で門まで歩いてみた。

確かに、前方に人影がひとつ。

はじめは強い西日でよく見えなかったが、その人物の正体が判明するやいなや、シフは大声を上げた。

「ああぁ! おめーは・・・グラディウス!?」

「どうも、お久しぶりですね」

久々の、天使のような笑顔。小さな竪琴を抱えて夕焼けの中に幻想的に佇むその人は、シフの命の恩人・

グラディウスであった。

「なんでお前が・・・」

「私は以前からエントルスにも歌いに来ていて、シンディ様にはごひいき頂いてたんですよ」

「・・・・」

シフの口は開いたままだ。

「私も、あなたの旅にご一緒しようと思いましてね。言っておきますけど、こうして命あって歩いていられるのも、

私の動きがあってこそですよ。否、とはおっしゃらないように」

にっこりと笑顔で言った。

「ちょっと待てよ! 旅っつっても物見遊山の旅じゃねーし」

「分かってますよ」

「え?」

「あなたと私は、出会うことが決められていたんです。あなたが聖騎士になるのを、この目で見届けるために」

気付けば、グラディウスの顔が笑っていなかった。

「どういうことだ?」

「それは・・・」

「・・・・・・」

シフは、続きを待ってごくりと唾を飲む。

「内緒です」

多少意地悪い表情をしても、グラディウスの雰囲気は柔らかい。

「何なんだよ!」

「はは。ただ、オアシスで出会った時に何か引っ掛かるものがあったんです。言葉で言い表すのは難しいのですが・・・」

それを聞いたシフは、別れ際にグラディウスが何か言いたげだったことを思い出した。

「どうしても、そのことが気になって後を追いエントルスに入ったものの、あなたは既に投獄されていました。

それを知らなかったので、消息が掴めず大変だったんですよ」

グラディウスが、やれやれといった表情で語る。

「そりゃ悪かったな・・・って、何でオレが謝ってんだ」

「街の中で噂を拾っていたら、捕まったという人物の風貌が、あなたと似通っていたので分かったんです。

すぐにシンディ様に連絡を取り、お話をして頂いて・・・最終的に先程の手紙で旅に同行しようと決断しました。

しかし、聞けば街で喧嘩して捕まったそうですね」

「う・・・」

「全く、先が思いやられますね。やはり私が一緒の方が良いでしょう」

得意げにそう告げ、グラディウスはゆっくりと歩き出す。

シフは慌てて横に並んだ。

 

「でもよ・・・聖騎士になれるって確証もないのに付き合わせんのも、悪い気がすんだけど・・・。危険なことも

あるかもしんねぇし」

「何を弱気なことを言ってるんですか・・・なるんでしょう? 聖騎士に」

「え・・・ああ・・・」

「心配なさらなくても、幼い頃から旅をしてきたので足の強さには自信があります。危険が起きても、自分の身くらい

自分で守れますし」

「そ、そうなのか?」

グラディウスの見た目が中性的で物腰が穏やかなせいか、シフは半信半疑といった返事をする。

「まぁ、あなたのように剣を扱うことはしませんが、こんなことは出来ます」

グラディウスが、おもむろに掌を上に向ける。

次の瞬間、そこにボッと炎の塊が現れた。

「うわっ!!」

シフは獣並みの反射神経で飛び退く。

「な、な、火! 一体どこから・・・」

「魔導術と呼ばれるものです。私は、こういう力を持った一族の末裔なんですよ。魔法使いなどの呼び名で、

絵本なんかの世界では有名でしょう?」

さらりと言いながら炎を自在に動かして見せ、それを消したかと思うと、今度は小さな竜巻を作った。

「人目があるので、最低限のお披露目ですけど」

「まさか、そんな力持ってるヤツだったなんて・・・何ちゅうか、まだちょっと信じられねぇっつーか・・・」

「ふふ、無理もありません。おそらく、この世で魔導術を使えるのは私を入れても、もう何人とは居ないでしょう。

お役に立ちますよ」

にこりと笑う。

「この力が、私の武器であり戦い方です。攻撃も補助も、お任せ下さい」

「まあ・・・そこまで言ってくれるんなら有難ぇや。よろしく頼むぜ」

「こちらこそ。今日はどこかで宿を取りましょう。エントルスへの入出国に関しては、シンディ様に許可証を

戴いたので心配ないですよ。他の国に関しては、あなたの密入国という名の得意技に頼ることになるかも

しれませんが」

「それは嬉しいような嬉しくないような・・・」

二人は口調を弾ませながら宿を探すために街中へ歩き出す。

 

            ☆

 

シンディは、神殿の最上階の窓からいつまでも彼らの姿を見つめていた。

「グラディウスは長い間待ち続けた人物に、やっと出会うことが出来たというわけか・・・」

 

グラディウスが過去に

『これはとても大切な詩なので、あまり人に教えたことはないのですが・・・』

と一度だけ聴かせてくれた予言詩と、シフの話の内容を思い返し、不思議に心地よい胸のざわめきを感じていた。

 

 

『闇ニ浮カブ 赤イ魂

我 目覚メノ時 金色ノ騎士ニナラントアラバ・・・』



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