<夜明けの出陣>
空が明るくなり始めた早朝。
「一同、整列ッ!」
シフの鋭い号令が響き渡る。エントルスの入国門を背にした砂漠の上に、シフ直属の兵士の一部である、約五万人が
馬に乗って整列している。最後列の方になると、遙か彼方の豆粒のようだ。幸い、風がないので砂は静かである。
白銀の鎧と、総隊長の証である深紅のマントに身を包んだシフは、馬から降りると広く一同を見渡す。
「我々は、西のラウォ方面へ向けて砂漠を一直線に突き進む! 途中で先に布陣させている部隊と合流するが、
その時には既に交戦中の可能性が高い。臨戦態勢で進むぞ!」
拡声の役割を果たす道具などはない。シフは喉の潰れる限界で叫んだ。それに対し、前列から後方へ、波が広がるように
戦士たちが呼応し、その声はまるで狼の群れの咆哮のようである。
総隊長という立場ではあるが、シフも兵士を率いて実戦に出る。
エントルス・マイヤ・ヴァレンの三国から集まった三国同盟軍は、九十万の部隊を大きく三つに分けて進軍する。
まず、大陸北部のマイヤ側へ向かう三十万の部隊。騎馬兵と徒歩兵で編成され、指揮はジール国王の長男である
アレン王太子が務め、『北方部隊』と呼ばれる。グラディウスはこの部隊に所属していて、既に出陣済みである。
次に、南側のヴァレン方面へ進む三十万の『南方部隊』である。こちらも騎馬兵と徒歩兵で組織され、指揮はレナード
国王が自ら務め、本人も実戦に出る。カッツとゼルガはここに所属し、同じく出陣済みだ。
そして、総隊長シフ率いる三十万の『西方部隊』は、ラウォのある西へ正面衝突の形で砂漠を突き進む。基本的に
国の守備ではなく、ラウォ軍の布陣を崩し、戦力を削ぐことを目的としているので、特に戦闘力の高い精鋭で固められ、
徒歩兵は居ない。全員に馬が一頭ずつ与えられ、機動力にも秀でた完全な騎馬部隊だ。
シフは先に二十五万の兵士を出陣させ、これから時間差で残りの五万を率いて突撃する。
「もうすぐ、前列から出陣を開始する。各自、呼吸を整えておけ! 後方にも、前から伝えていってくれ」
雄々しく指示を飛ばす姿は、普段の彼からは想像も出来ないほどの気迫に溢れている。
「ふふ。なかなかサマになっておるではないか」
シンディが、一呼吸置くシフの元へ近付いて来た。
「まぁ・・・こういう役割に慣れてるってのも、ラウォでの経験からだと言えば皮肉だな」
シフは足元の砂を見る。
「砂漠戦は視界も悪くなる。ラウォ軍は砂の上での戦闘訓練も徹底的に行ってる。こっちは数でも劣るが、経験でも
かなり不利だ」
砂の上では、馬は脚を取られやすくなる。
幸いにリオール大陸の中央部に広がる砂漠は砂が薄いので馬でも移動しやすいが、やはり所々は深い部分があり、
馬の脚は不安定になりがちである。
「否定は出来ぬが、我らの軍も砂の上での実戦経験や訓練が無いわけではない。信じるしかあるまい」
「ああ、そうだな」
ふいに、シフの隣で馬が嘶き始める。
「大丈夫だ、落ち着け」
動物にも緊張は伝わるものなのであろう。シフが優しく身体をさすると、ようやく大人しくなる。
「お前とは、初めての実戦だからな。よろしく頼むぞ」
以前シンディから与えられた栗毛の馬で、名前をジーニアという。たっぷりの餌と水を与えられた後は軽くて丈夫な
馬鎧を着けられ、こちらも出陣の準備は整っている。
「私が育てている馬の中で、最も脚が丈夫で持久力もある。まさしく自慢の子だ。相棒として、うまく乗りこなしてやれ」
「おう。ありがとな。じゃあ・・・俺からはコレを」
「え?」
シンディの手に乗せられたものは、カッツの妹・リィスからシフが譲り受けていたルリア石のナイフだった。
「預けとく。アンタの父親が、特別に造らせてカッツの親父さんに贈ったものだ。娘のアンタが持ってると、良いこと
あるかもしれねぇしな」
「・・・っ」
「ん? 要らねぇってか?」
「・・・いや、違う」
シンディは、ぎゅっとナイフを両手で握りしめた。
「父と、亡き英雄の魂が込められた大事な品だ。肌守りにさせてもらおう」
ふいにシンディが、まるで幼い少女のような柔らかな笑顔を浮かべた。父を思い出し、思わず素が出てしまったという
感じだった。
「・・・その顔は反則だ」
「?」
「俺はやっぱ、いつものおっかねぇシンディがいいわ。調子狂うだろ」
「何だと!?」
「あ、ほらほら早く戻んねぇと、軍議があるんだろ?」
鎧を着込んだ総隊長といえど、そこはやはりシフであった。
「くくく。分かった。私は神殿に戻るとしよう」
シンディが背を向けて少し歩き、また振り返る。
「シフ、必ず・・・生きて帰れ」
「ああ。暴れてくるぜ」
☆
ラウォ軍の兵力は、当初の情報の通り百万に近い人数だった。かつてはシフもその身にまとった、漆黒の鎧の戦士たち。
フォングを制圧したあとは三つの部隊に別れ、マイヤ、ヴァレン、エントルスを同時に攻撃せんと近付いている。
無論、三国同盟軍がそれぞれの場へ向かっていることは、ラウォ側も予測済みだ。
徒歩兵がいるために素早い進軍ではなかったが、静かな漆黒の波がゆっくりと大陸の東へ迫って来る光景はかえって
不気味で、やはり『死神の騎士団』の二つ名にふさわしい。
そして今、広大な砂漠の上で漆黒の軍勢と、シフが先に出陣させていた白銀の軍勢が向かい合う形となった。
ちょうど太陽が真上に来た。急に出てきた風により、砂嵐が巻き起こる。
ついに、全面戦争が幕を開けた。
静かだった砂の世界に、おびただしい数の剣と剣のもつれ合う金属音、断末魔の悲鳴、馬の激しい嘶きが天に突き上がった。
ラウォ軍の兵士たちは冷酷に、そして確実に急所を狙い、三国同盟軍の兵士はそれを必死に防ぐ。数の差と経験の差を
感じながらも、それを何とか埋めようと死力を尽くす。
「・・・始まった!」
シフは兵を率いて疾走しながら、戦いの幕開けを感じ取った。もうもうと砂を巻き上げながら五万の騎馬兵が突き進む様は、
何と勇壮で、猛々しいか。
激しく見開かれる黄金の瞳は、砂に阻まれる視界の中で、それでも真っすぐに先を見つめている。
(俺は負けねぇ・・・!)
空気を切り裂くような速度で走る馬の背で、シフが剣を抜く。
刃から放たれる紅い光が、シフの身体ごと包み込むほどに強くなっている。
やがて彼の双眸が、砂の中で入り混じる漆黒と白銀の大軍勢をとらえた。シフの戦いが、いよいよ始まる。
(行くぜ、カムラッド・・・メルビア)
右手で握った剣に集中し、後方の兵士たちへ怒号を上げる。
「絶対に怯むな! 突っ込めぇぇぇぇッ!」
振り上げられたシフの剣から、火の粉が舞う。
どんな戦況においても平静を失う事なく、死すら恐れる事なく戦えるように鍛え上げられているラウォの兵士たち。
しかし彼らでさえ、後方から突入してきた部隊の先陣を切る人物の姿を見た瞬間、魂を掴まれるような感覚を覚えた。
―― かつて自分たちを率いていた、負け知らずの騎士隊長。
失踪し、死んだという噂まで流れていたはずであった。
これは、シフの仕掛けた一種の心理戦だった。状況から考えて、ラウォ軍の中で砂漠を東へ進軍する部隊は、こちらと
同様に精鋭で固められる。そうであれば、過去に自分が直属の部下として率いていた面々も選抜されるはずであった。
狙い通り、シフの姿を認めてラウォ軍が僅かに動揺した。シフとその後方の兵士たちは、崩れた陣形の一部分を見逃さない。
スピードを緩めることなく突入し、新たな死闘が始まる。
☆
砂漠戦での情報は、調教された鳥により素早くラウォの国王へ伝わる。
「そう、か・・・やはり、あやつは死んでいなかったか・・・くっくっく」
薄暗い城の中。玉座に悠然と腰掛け、血のように赤い酒の注がれたグラスを傾けて笑う。
いくらか老いが進んだものの、逆に暗澹とした眼光はいっそう凄みを増したバルは、足元にひざまずく側近の女性を
見下ろす。
「こうでなくてはな・・・戦は面白くないだろう?」
「陛下、シフの生存もですが・・・彼の手にあるという、炎をまとった剣のことが気になりますわ」
「ふん、神の秘宝か。あんなものを持ち出したところで、あやつの技など児戯に等しい」
そう吐き捨てると、バルは玉座に立て掛けた剣の柄を撫でる。
「血が騒ぐ。お前も、そうだろう?」
問われた女性は、赤い口紅を引いた唇を引き上げる。
「ええ。あちらにも、私と同じ・・・失われた力を持つ者たちが居るようでございますゆえ」
意味深にそう言って、喉の奥で笑った。そしてバルの手の、空になったグラスに酒を注ぐ。