<失われた力>
西方部隊を率いるシフの戦いぶりが闘神のようだという報告を受け、グラディウスは当然だと言い放った。
「そうでなくては、聖騎士に二年も師事した意味がありませんからね」
「はは、グラディウスさんは手厳しいですね」
大陸北側、マイヤの森の中。グラディウスの言葉に苦笑したのは、この北方部隊の指揮を執るアレン王太子である。
父ジールが高齢のため自ら今回の任を買って出た、人望も厚い国王の後継者だ。
マイヤの守備を目的とした北方部隊は、中規模ないくつもの集団に分かれて身を隠すようにバラバラに布陣した。
地面や砂の中に穴を掘る者もいれば、樹木の上に潜む者もいる。真っ向からラウォを迎え撃つのではなく、
こちらの陣地に入ってきたところで多方面から奇襲をかける遊撃作戦を展開する。さきほど見張りの兵士から、
近付いて来る黒い軍団を発見したという知らせが届いているので、間もなくラウォ軍と激突する見込みである。
戦線の準備は完璧だった。しかし、グラディウスの胸中には別の不安がよぎっていた。
(おかしい。結界の力がとても弱い・・・いや、ほとんど消えている・・・)
マイヤに入ってから、嫌な予感はまるで黒い霧のように彼の心を占めている。
「アレン隊長、勝手ながら別行動を取ることをお許し願えませんか。ご迷惑はかけません」
「なっ、どうしたのです!?」
「それは・・・」
グラディウスが言葉を濁した瞬間、合図の爆竹音がこだました。
味方の兵士が走って来る。
「マイヤ西口からラウォ軍入国ッ! 交戦開始です!」
「グラディウスさん、今は別行動を許可できる状況ではありません。あなたは軍師たちと共に戦況の分析をお願いします」
「・・・・・・」
ついに、マイヤ戦も開始となった。ラウォ側も奇襲は想定済みだったが、次から次へ、上から下から攻撃を仕掛けて来る
三国同盟軍には手を焼いた。自然とラウォ軍はいくつかに分断されてゆき、ここまでは狙い通りだったが。
「・・・まずい、押されている」
軍師と共に高台から戦場を見下ろしたグラディウスは唇を噛んだ。自軍は、ゆっくりと後退させられている。
やはりラウォ軍の戦闘能力は恐るべき高さだ。
「前線へ援軍の依頼をするべきでしょうか」
軍師が提案する。
「しかし・・・もう少し東へ後退した所にはディロイ中隊が布陣しています。彼らなら、あるいは」
「さすがですな、ディロイ様のことをご存知でしたか」
ディロイは、特にジール王が信頼を置くマイヤ城の近衛兵である。まだ青年だが、天才的な槍術は大陸でも五本の指に
入ると言われている。
「・・・そこで食い止めることが出来れば・・・」
グラディウスは、血と叫びの入り乱れる地獄絵図を見下ろしながら、わずかに眩暈を覚えた。
「下から見付かると、矢を射かけられます。もう少し下がりましょう。私は、今からディロイさんの応援に行きます」
「わ、分かりました」
軍師を残し、グラディウスはすぐに交戦地から後退する方向へ馬を走らせる。森の中は、足場が悪い。
地面に伸びる木の根に脚をすくわれそうになりながら、グラディウスを背に乗せた馬は無我夢中で進む。
まもなくディロイ中隊が待機する場所が見え始めるという頃、彼の真横を青い鳥が素早く追い越して行った。
「!?」
恐らく、先程まで高台で話していた軍師が、ディロイ隊へ向けて放ったと思われる。
足に手紙を付けて情報のやりとりを行う、調教された鳥。更に、内容の重要度はその色で区別される。
たった今横切った青色は、緊急事態を意味する。
「一体何が・・・」
最悪、前線に居た自軍の全滅の可能性も否めない。
そのままディロイの元へ行くか、戻って戦況を確認するか、グラディウスは躊躇った。しかし、別の確信が胸を突いた。
「あの方の・・・気が消えた!?」
その表情は険しく変わり、次の瞬間には馬を元来た道へ走らせていた。
(まさか・・・まさか・・・)
馬の脚の限界まで速度を出し、高台に戻るなりグラディウスはその背を飛び降りて軍師の肩を掴む。
「・・・はぁっ・・・何が・・・あったのです!?」
「あっ・・・グラディウスさん! 敵の援軍です・・・南の森から、敵兵たちが人質を連れて出て来たのです!」
「人質・・・」
グラディウスの顔が蒼白になる。すぐに身を乗り出して戦場を見下ろす。
「いけません! グラディウスさん、そんなに前に出ては!」
軍師は慌てて止めるが、彼の耳には届かない。
グラディウスの瞳は、ほぼ全滅の自軍の屍の山、そして群がるラウォ軍の中で恐怖に泣き叫ぶ人たちの姿をとらえていた。
「そんな・・・どうして!?」
漆黒の兵士たちに引きずられている子どもや大人たちは、紛れもなくあの魔導士アルマの村の者たちであった。
二年の修業を終え、村を発つ時に長老であるアルマは言った。
『おそらく、このマイヤも交戦地になるね・・・。アタシは村に結界を張って皆を守るとするよ』
そしてその言葉通り、グラディウスも彼女の張った結界を遠くに居ながら感じていた。魔導士の作る結界は、
かつてファニークスの遺跡を異空間で維持していたクローディアのものと似ている。同じ力を持っていなければ
見付けることも破ることも出来ず、向こうから招き入れない限りは足を踏み入れることなど不可能だ。
(アルマ様が・・・あの中に居ない!)
だんだんと薄れていった結界の力、消えたアルマの気。
次の瞬間、グラディウスは高台を駆け下りていた。
「グラディウスさんっ! お一人で何を!? だ、誰かお止めしろっ!」
軍師の悲痛な叫びだけが、遠くに聞こえた。
グラディウスは、単身でラウォ軍の眼前に飛び出したのである。
「何だ、おまえは!?」
足元には、三国同盟軍の数多の遺体、そして折れた武器や馬の死骸が山のように転がっている。そこでラウォの
大軍勢と、たった一人のグラディウスが向き合う形になった。
「ぐ・・・グラディウス!」
人質の中から声を上げたのは、よく彼の歌を聞いて遊んだ少女、ルティアであった。他の者たちも一斉に顔を見上げる。
「グラディウスさんっ!」
「た、助けて下さい!」
「何だ貴様・・・マイヤ軍の奴か?」
ラウォの兵士がグラディウスを睨み付け、剣を構える。
「その人たちを・・・どうするつもりですか」
全く動じる様子も無く、グラディウスが静かに問う。
「女子供ばかり生かしておいても役に立ちゃしねぇ。見せしめに、お前たちの軍の目の前で始末するまでよ」
「・・・彼らの居場所は、絶対に見付けられなかった筈です。あなた方は、何故そこへ」
「老いぼれのババァを確実に殺しさえすれば、あとは好きにしろという上の命令に従ったまでだ」
さらりと、黒い鎧の男がそう言った。
命令だと。
(ラウォに・・・魔導士がいる!)
あの村の場所を、アルマの存在を、アルマの結界を破る方法を、何もかも知る者が敵側にいるのだ。
「・・・・・・っ」
グラディウスの青い瞳が、激しい闘気を帯びる。
(こうやって・・・前回の戦争でも、私の一族は連行され、殺されたのか・・・)
二十二年前に行われた、ラウォ軍による魔導士一族の大虐殺。
まるでその時の光景を見せられているかのような気がした。
「・・・い」
「あ?」
「放しなさい・・・その人たちを」
「無理な注文だ。貴様から先に殺してやる!」
大軍の先頭に立つ男が、グラディウスに向けて剣を振りかぶろうとした、その時。
「ぎゃあああああああ!」
その男を含む、周囲一帯のラウォ兵たちがグラディウスの放った炎で火ダルマになった。
村人は全員、その隙を突いてグラディウスの元へ走る。
「みんな・・・私の後ろにいてください」
全員を背後に庇ったが、目の前の軍勢は遙か後ろまで数万人は居る。魔導力だけでどうにかなる人数ではない。
「ああ・・・ディロイ様が着くまでに間に合わない・・・」
軍師は高台から様子を見ていたが、この絶望的な状況に目を塞ぐ。
「こいつ・・・ふざけやがって」
仲間を焼死させられたラウォ軍は、一斉に盾と剣を構えた。
「ひっく・・・グラディウス・・・殺されちゃうよぉ」
恐怖の涙でぐちゃぐちゃの顔になった子どもたちが、グラディウスの裾を引く。
「大丈夫ですよ。殺させはしません・・・アルマ様と約束しましたから」
『もしお前さんが力を手にすることが出来たら・・・愚かな人間の欲の手から、あの子たちのことも守ってやっておくれ』
そう言って弱々しく手を振ったアルマの姿が、蘇る。
(今が、その時ですね)
彼は拳を握る。
(もう二度と、戦えなくなるかもしれない。しかし、彼らを守るためならば・・・私はどうなっても構わない!)
「覚悟しろォ!」
漆黒の軍勢が、地響きを立てて迫って来る。
対するグラディウスは、地面に向けて精神を集中する。同時に、体中を食い千切られるような痛みが走る。
「ぐあっ・・・!」
契約の代償は、呼び出す相手の等級が高いほど、相応のものを求められる。
(まだだ・・・もっと強いものを・・・もっと!)
グラディウスの身体のあちこちが、内部から血を噴き出す。
(まだ、だ・・・私の全てを賭けてでも・・・!)
「いやああぁっ!」
頭上に振りかぶられた、剣という剣の波。
ルティアが絶望と共に叫んだ時だった。
「・・・我が魂を喰らい、その身を現せ!」
「ギャアアアアアアアアアアアアッッ!」
人間のものではない、硝子を引っかくような巨大な咆哮が、鼓膜を突き破るほどの勢いで大地を揺るがした。
グラディウスの眼前に迫っていた兵士たちは、地面から『それ』が出現したと同時に吹き飛ばされ、木っ端微塵に
肉体が弾け飛んでいた。
後方のラウォ軍の足が止まったのは、言うまでもない。
彼らの目の前に、突然現れた巨大な生き物・・・それは、幻獣ドラゴンであった。
堅い銀色の皮膚に覆われた体躯に、鋭い爪、そして牙。背中から生える翼を広げた姿は神々しくもあり、悪魔のようでもある。
低く唸りながら、血のように赤い瞳でラウォ軍を見下ろしている。
かつて召喚が当たり前に使用されていた昔、強い魔導士の力を持ってしても、扱うことが難しかったドラゴン。
グラディウスは長い時代を超えて召喚という技を再現して見せただけではなく、ドラゴンを使役するまでに至ったのである。
巨大な幻獣の足元で、グラディウスは血まみれで立っていた。
召喚者が意識を失えば、契約は消えてしまう。
今にも崩れ落ちそうな身体を、懸命にその両足で支える。
ドラゴンは、主に応えるように大きく首を揺らした。
どれだけ戦い方を極めていても、人外の物を相手に出来る度胸など有りはしない。ラウォの大軍勢は、悲鳴を上げながら散り散りに逃走を始めた。
「・・・はぁ・・・はぁ・・・逃がしませんよ・・・」
息も絶え絶えに、グラディウスはドラゴンの右足を撫でる。
たった今まで簡単に人の命を奪っていた者たちが、今度は自分の命を惜しんで蜘蛛の子を散らすように逃げている。
その姿がグラディウスにはあまりにも滑稽で、同時に、ひどく腹立たしかった。
内部から噴き出した血で視界も潰れ、周りの様子は見えない。しかし、彼が口にする命令はただ一言で良いのだ。
それで、全てが終わる。
「・・・ゆけ」