<城壁前の陰謀>

 

気が付けば、傍にいる仲間は僅か数十人になっていた。シフは返り血で真っ黒になった姿のまま、馬を下りて

一人一人の顔を見渡す。

「・・・随分と少なくなっちまったな。でも、みんなのお陰でここまで来られた。ありがとな」

薄くだが、笑ったのはどれくらいぶりだろう。

背後には、彼が人生の大半を過ごしたラウォ城がある。

交戦が始まって幾度目かの夜、彼らはついに辿り着いたのだ。

波のように押し寄せるラウォの大軍勢をかいくぐり、多くの命を犠牲にして、ついに。

「・・・長かった」

ぽつりと呟くと、城を見上げる。闇の中に佇む堅牢なそれは、記憶のままの姿である。しかし、何かが取り憑いているのかと

思えるほどの不気味な様相を醸し出している。

(死の、匂いがする)

ほんの数年前に、大切な人が命を落とした場所。

唇を硬く引き結び、シフは恐怖とも興奮ともつかない気持ちで剣を握っていた。

「・・・隊長」

味方の兵士が進み出る。

「まだ城の中にも、護衛の兵士が居るかもしれません。油断は出来ませんね」

「ああ」

言わずもがな、ラウォ城は敵の本拠地である。周囲には見張りの気配は見受けられないが、中にバルが居る以上は

城内に護衛兵が集められていても不思議ではない。

「俺にも、中で何が起こるかは分からない。せっかくここまで生き残った命だ。無駄にしないよう、気を引き締めて行くぞ」

「はい!」

兵士たちの声が揃う。

 

「うふふ・・・」

ふいに、冷たく響く女の笑い声が上がったと思うと、城門からゆっくりと人影が出て来る。闇に溶け込むような、

長い漆黒のローブで身を包んだ黒髪の女性。まだ若く、やけに赤く引かれた口紅が異様に目立つ。美人と言えるが、

どこか毒を含んだような、妖艶な美しさだ。

空気は一瞬にして緊張し、シフの身を守るために兵士たちはこぞって武器を構える。

「あらあら、物騒だこと」

全く動揺する様子も無く、女は揶揄するような表情で更に近付いて来る。

「相変わらずね。あなたに似て、部下も粗野なのかしら?」

「・・・マーリエ」

シフは鋭い瞳で女を見据える。

「隊長、お知り合いですか」

シフの前に出て剣を構えていた兵士は、女から目線を外さずに尋ねる。

「ああ・・・国王の側近だ」

シフがマーリエと呼んだその人物は、ゆったりと片足に体重をかけて腕を組む。

「覚えていてくれたのね。あなたに、陛下からの伝言を届けに来たのよ」

兵士たちは、武器を下げない。マーリエはシフの手にある剣を舐めるように見ると、口の端を上げる。

「あなた一人で、玉座まで来いとの仰せよ」

「なっ!」

「隊長を単身で行かせるわけにはいかん!」

味方の兵たちの顔色が変わる。

「私は、シフと話しているのよ?」

笑顔を浮かべたまま、やんわりと制す。

「この期に及んで、あなた一人を兵に襲わせたりはしないわ。陛下は、正式な一騎討ちをお望みだから」

「そんなことが、信じられるか!?」

シフの後方から兵士がマーリエに飛び掛かろうとするが、すぐにシフが声を上げる。

「やめろ!」

「しかし、隊長!」

「やめろって言ったんだ。お前らの敵う相手じゃねぇ」

シフの口調は静かだった。暗闇の中で、マーリエの赤い唇が更に吊り上がる。

「あら、少しは出来るようになったのねぇ」

 

シフとて、この女の素性は一切知らない。彼が国王の騎士として城に入った時から、マーリエは常にバルの傍に

付き従っている。会話すら交わした覚えは殆どない。華奢で、シンディのように武芸をしているようにも見えない。

しかし、シフの本能が逆らうのは賢明ではないと警鐘を鳴らしている。

「あなたたち、シフに救われたわね」

自信満々にそう笑うマーリエに、シフの背筋が寒くなる。

しばらく、その場はシンと静まっていた。

 

「さ、シフ」

マーリエが、肩にかかる黒い髪を払って促す。

「・・・・・・」

「そんなに警戒しないの。私は、これを伝える役目を負って来ているだけだもの。陛下は一対一でお話されたいそうだから、

私だって邪魔は出来ない。兵士さんたちが後を追わないように、ここで見張りでもしているわ」

シフは、城門と兵士たちを交互に見る。バルの性格上、確かに城の中で奇襲をかけて来るような手段は

取らないだろうという妙な確信はある。だが、自分が一人で行かねば、バルは何をするか分からない。

かと言って、ここに残して行っても味方の安全が保証されるというわけでもない。

(くそ・・・どうすれば・・・)

「隊長」

仲間がシフの傍に立つ。

「あなたを一人で行かせるなんて・・・本来であれば、部下として失格です。しかし我々のために隊長に迷惑を

おかけするわけにはいきません。どうぞ、行って下さい」

「私たちは大丈夫ですから」

「きっと無事に戻ってきて下さい」

次々と、兵士たちは言葉をかける。

「みんな・・・」

「ふふ、お利口さんな部下たちじゃない」

マーリエは、どこか馬鹿にしたような口調で笑う。

「さぁ、どうするの?」

シフは仕方なく、剣を鞘に納める。

「分かった。俺一人で行く」

「正しい判断ね。あなたにとっては、故郷のような所だもの。陛下の所までは、迷わず行けるわね?」

「・・・・・・」

シフは返事を寄こさない。乗ってきた相棒のジーニアを仲間に預けると、前に立つマーリエの眼前へ厳しい表情で進む。

「あいつらには、手ぇ出すんじゃねぇぞ」

耳元で囁くシフの声は、冷徹な響きだった。

「嫌ね、かつては仲間同士だった間柄じゃない。少しは私のことも信用して欲しいわ」

ぽんとシフの肩を叩いたマーリエの『かつて仲間同士』という言葉は、ひどく苦々しくシフの心に刺さった。

そして、シフは振り返る事なく城門に向かって行った。

 

            ☆

 

細い月の浮かぶ闇の中。シフの姿はすぐに見えなくなってしまった。マーリエは、黙ってそれを見ていた。

兵士たちも、それぞれ複雑な思いを抱えて立ち尽くしている。

 

しばらくそうしていたが、突然マーリエが後ろを振り向く。

「さて」

にっこりと笑う。そこに、いやらしいものが含まれていることは誰の目にも明らかだった。

「やっと、厄介なのが居なくなったわねぇ」

「・・・・・・」

兵士たちは、爪先から頭まで悪寒が走るのを感じた。

「陛下から、シフに伝言を届けるように言われたのは本当だけど・・・だからといって、あなたたちを殺しては

いけないなんて、命令されていないのよ」

舌が、ぺろりと赤い唇を舐める。

「邪魔な人間は、一人でも多く消しておかなくっちゃ」

マーリエの黒髪がふわりとなびくと同時に、前に突き出されたその細い指からパリパリと雷のようなものが生まれた。

「な・・・」

武器を構えていた彼らは、じりじりと後退する。マイヤ方面へ守備に出たグラディウスの力と、似ている。だとすれば、

自分たちが武器を持って敵う相手ではない。

「おまえは・・・ま、魔導士・・・なのか・・・」

「ふふ、今頃気が付いても遅いのよ」

マーリエの手の雷はだんだんと大きさを増し、暗闇の中でバチバチと激しい音を立てて弾け出した。

「全員、黒コゲにしてあげるわ! 死になさいっ!」

 

凄まじい閃光と共に、音がぶつかった。

しかし雷は兵士たちを呑み込むことはなく、地面へと逸らされていた。突如割り込んできた、別の力によって。

「・・・・・・」

茫然と腰を抜かす兵士たちの前で、マーリエはゆっくりと視線を奥に向ける。

「あら。まさか生きていたなんてね」

これまで余裕の表情を崩すことが無かった彼女が、初めて憎々しげに唇を歪ませた。

「でも、そんな血だらけでどうしようと言うのかしら?」

黒髪の間から覗く、マーリエの赤い瞳。それが捕らえるのは、青く澄んだ、もう一人の魔導士の瞳である。



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