<過去と今を繋ぐもの>
(ここは・・・どこだ)
遠い意識の中で、水に浮かんでいるような不思議な感覚に包まれている。
(私は・・・どうなったんだ・・・?)
辺りは、真っ暗闇。目を開けようと思っても力は入らず、手足も動かない。途端に気持ちは恐怖に染まる。
(ここは・・・嫌だ・・・)
遠くから、自分の名を呼ぶ声がかすかに聞こえる。
(誰だ・・・助けてくれ・・・)
必死に動こうとするが、叶わない。だんだんと、自分を呼ぶ声が遠ざかって行くような気がする。
(・・・待って・・・待って!)
小さく、唇が震える。
「嫌だ・・・行かないでくれ・・・」
涙を流しながら、彼女は懇願していた。
「嫌だぁっ!」
「シンディ殿!」
はっと見開いた目の前には、自分の顔を覗き込む心配そうな瞳。
「・・・カッツ・・・?」
「良かった、気が付いてくれて」
シンディは、砂の上に寝せられていた。カッツは膝をついてその顔を見下ろしている。まだシンディの意識は
ぼんやりとしていたが、酷にも我に返らざるを得ない瞬間はすぐに訪れる。
男たちの叫び声、馬の嘶き、剣と剣のぶつかる音。それらがいっぺんに耳に届いたのである。
「あ・・・!」
シンディは額に汗を浮かべ、上半身を起こそうとした。
「うああッ!」
かつて経験したことのない激痛が、身体の力を奪う。
「動いてはダメだ! 自分は医者ではないから、適切な治療も出来ない・・・頼むから、助けが来るまで
じっとしていて欲しい!」
カッツの大きな手に、半ば押さえ付けられる形でシンディは再び寝かされる。
すっかり辺りは暗く、月が出ているので視界は悪くないものの、急激に下がった気温が身体を冷やす。
「乱戦の内に夜になってしまった。もう、両軍ともに夜通し戦うつもりだ」
エントルスの入国門まで、距離が無くなってきた。どちらの軍も悠長にキャンプを張っている余裕はない。
月明かりを頼りに、ラウォは一気にエントルスまで攻め入るつもりなのだ。
もう後がない状況で、三国同盟軍も必死である。
「はぁ・・・胸が・・・痛い・・・」
鎧を外したシンディの胸には、応急処置として布が巻かれていた。しかし血は一向に止まる事なく、染み出している。
「あまり喋らないでくれ・・・傷に障る。軍医が来るまで何とか堪えてもらわねば困る」
カッツの必死な訴えに、シンディは力なく頷く。
「少し離れているとはいえ、まだここは激戦区だ。師匠たちが何とか食い止めてはくれているが、まもなくラウォ兵が
やって来るだろう。しかし、自分が必ず守ってみせる」
「・・・・・・」
シンディの瞳から零れる涙は止まらない。
「手を・・・握って・・・くれ・・・」
よろよろと差し出される、血の気の引いたシンディの白い手。カッツは躊躇うことなく両手で握り返す。
「頑張るんだ。きっとシフ殿たちも帰って来るから・・・」
「カッツ!」
すぐに後方から大声がした。ゼルガを筆頭に、自軍とラウォ軍の大軍勢が揉み合うように視界に入って来る。
「来たか」
シンディの手を離し、カッツは棍棒を握って立ち上がる。
「絶対に、ここは通さん」
そう呟いた、仁王立ちする大きな背中。シンディは、唯一動かせる瞳でそれを見つめた。
(・・・あれは・・・)
亡き父がよく語っていた、英雄ディアブロスの伝説。彼は前回の戦争で、仲間を助けるために仁王立ちのまま
死んだという。そして彼の息子はまた、同じ背中で自分を守ろうとしている。
過去、そして今。この親子を突き動かすのは、ただ『守りたい』という必死な思い。
「・・・・・・っ」
声にならない言葉は、涙となって後から後から流れ落ちて行く。シンディの震える指は、かぼそく砂を掻く。
(女神よ・・・どうか・・・カッツを守ってくれ・・・)
視界が、どんどん薄くなる。抵抗しても、身体の熱が失われるのを止められない。
☆
月明かりの下、激しい閃光がぶつかり合っては消えて行く。
自分に向かってきた炎をかわし、大きく後ろに跳躍したマーリエが息を吐く。
「死に損ないのくせに、まだここまで戦えるなんてね」
「・・・・・・」
ラウォ城を背中にしてマーリエと対峙しているグラディウスは、腹部を押さえて軽くよろめく。
「悔しいですが、あなたの言う通りですよ。自分でも、何故ここまで無理が出来るのか分かりません」
血に濡れて笑う彼の顔は、むしろ壮絶に美しい。
「全く・・・思わぬ邪魔で、せっかく片付けようと思っていた兵士たちには逃げられて。本当にツイてないわ」
マーリエの口調が、だんだんと苛立ちを含んでゆく。
グラディウスの息は、かなり乱れていた。あれほど大規模な召喚を行って、まだそれほど時間も経っていない。
どれほど簡単な魔導であっても、体内の力を変換している事には変わりない。彼の身体は、もう限界だった。
(彼女が召喚を会得していないことだけが、唯一にして最大の救いでしたね・・・)
冷静に敵の瞳をとらえ、グラディスは呼吸を整える。
「私は、あなたに聞きたいことがあって来たんですよ」
「何ですって?」
急に、グラディウスが真っすぐに近付いて来る。
「来るんじゃないわよ!」
彼女の手から雷が放たれたが、グラディウスの動きの方が早い。
すぐにそれは相殺された。
「っ!?」
「修行をしていなかったら、ここまで来る事も出来ずに死んでいたでしょうが・・・私は絶対に負けられません。
もしシフさんが国王を倒して出て来たら、あなたは彼を始末するつもりなのでしょう?」
次の瞬間、ふっとグラディウスが視界から消えた。マーリエの心臓が跳ね上がる。
(ちくしょう・・・油断したわ)
辺りを包む闇の中、気配を断ったグラディウスの姿は全く見えない。唇を噛んで周囲を見回す。
正面、上空、左右と目を凝らす。耳に届くのは、遠くで鳴く梟の声だけだ。木や岩、城の気配すら今の彼女には邪魔だ。
(しまった!)
それに気付いた瞬間、彼女は身をかわそうとしたが叶わなかった。グラディウスは背後に居たのだ。そして、既に
彼女の左の手首を掴んでいる。
「女性に手荒な事をするのは、気が進まないのですが」
彼はギリギリとマーリエの手首を捻り上げる。
ごき、という鈍い音が響いた。
「きゃあああああ!」
「痛いでしょう?」
グラディウスの青い瞳と声は、深い怒りと悲しみに染まっている。少し前まで、生死の境を彷徨っていたとは
思えない底力だった。
「あなたの動きは、もう見切っています」
グラディウスは手を離し、マーリエは冷たい地面にくず折れる。
「何で・・・何でそんなに・・・」
強いの、とまでは言えなかった。魔導士のプライドとして。
グラディウスの、自分を見下ろす氷のような表情が、ただ恐ろしい。
(こいつ、死ぬ気で・・・)
今更ながら、彼を舐めてかかっていたことを後悔する。あれだけの召喚さえ発動させてしまえば、十中八九その場で
死に至るという予想があった。仮に生き残って戦うことになっても、楽に勝てると踏んでいたのである。
しかし、現実は真逆だった。彼女の脳裏に、『死』という文字が横切る。
「い・・・命乞いなんか、絶対にしないわよ・・・!」
地面に座ったまま、彼女は大きな瞳を剥き出しにして叫ぶ。
「殺るんなら、さっさと殺りなさいよ!」
言葉とは裏腹に、その瞳も、身体も、ガタガタと震えている。
「別に、あなたを殺すつもりはありません」
「何ですって・・・」
マーリエの細い眉が歪む。
「言ったでしょう、聞きたいことがあると。あの村の結界を解いたのは、あなたで間違いありませんね?」
「・・・・・・」
グラディウスは片膝を立てて、彼女の瞳を真っすぐに見つめる。
「あなたには、過去の記憶はありますか?」
「え?」
「あなたは、あの村の出身者・・・そして、あなたが殺すように命じたアルマ様の、孫娘です」
「!?」
明らかに、マーリエの表情が強張る。
「その、右目の下のホクロ。間違いありません。アルマ様の部屋にあった、小さな頃のあなたの肖像画。
名前をマリーレイアと言ったそうですね」
「え・・・名前・・・なに・・・」
心臓が破裂したような衝動を覚える。マーリエは激しく首を横に振る。
「聞きなさい」
グラディウスは、ぴしゃりと言い放つ。
「知らない・・・そんな名前・・・知らない!」
狂ったように頭を掻き毟る。
「う・・・うう・・・」
「マリーレイア」
その聞き覚えのない名前が、彼女の精神をかき乱す。
「やめて・・・やめてやめてええええ!」
「二十二年前の、魔導士一族の連行。アルマ様は、たった一人の孫を守れなかったことを悔やんでいました。
あなたは連行された中で、唯一生き残った人物です」
「分か・・・ない・・・頭が・・・痛いいぃぃ!」
口から泡を飛ばしながら、彼女は這うように地面に突っ伏す。
(完全に、過去の記憶を・・・)
グラディウスの予想は、現実だった。
「・・・っ」
急激に腹部の痛みを覚え、そこから血が滴り落ちているのを確認する。
(あまり時間はない・・・)
彼は、気が触れたように地面を転げ回っているマーリエ・・・いや、マリーレイアという女性の肩を掴む。
「・・・残酷なものですね、私たちの経験した過去は」
ひどく寂しげに、グラディウスの声は闇に溶ける。
「私たち魔導士の誰もが、ただ静かに・・・その力を隠して生きて行ければ幸せだったのに」
自らの壮絶な過去に思いを馳せる。
「本当は、私は今も・・・辛い」
シフにすら話したことがない本音を、そっと零していた。
「う・・・ううう・・・」
動きはおとなしくなったものの、マリーレイアは嗚咽を漏らし続けている。
「辛いですね、あなたも」