<心に届く声>

 

「いったぁ・・・」

シフの後を追って木に登ったメルビアは、鋭利な枝で腕に切り傷を作ってしまった。

「ったく、お前ってほんとにトロいよな」

今と変わらず口の悪い、小さなシフ。そうは言いながらもメルビアの袖をめくって傷の様子を見てやっていた。

「長袖だったお陰で、傷はそんな深くねぇよ。ツバでもつけときゃ治る・・・ん?」

メルビアの細い右の腕に、赤い痣があった。しっかりと、何か意味を持って象られたような、複雑な模様である。

「何だ・・・コレ」

メルビアは、はっとして腕を振り払う。

「だ、ダメ!」

「?」

「お父様に・・・これは絶対に誰にも見せちゃダメだって言われてるの。シフ、お願いだから、お父様にはこれを

見たことを言わないで!」

メルビアの大きな瞳が、恐怖に揺れている。よほど厳しく言い付けられているのであろう。シフとて、彼女の父である

バルが恐ろしいのは一緒だ。

「あ、ああ・・・分かった」

メルビアの剣幕に気圧されるように、シフは頷いていた。

 

シフが剣士見習いとして養成所に入る少しばかり前の記憶が、今はっきりと再生されていた。

遺跡でカッツの痣を見た時は、どこかで見覚えのあるものだとしか思わなかったが、それは回想の中の彼女の腕に、

そして今、目の前の大きな敵の腕にあるものと完全に同じである。

「てめぇ・・・は・・・ファニークスの血族・・・?」

シフは、絡まる思考の糸をゆっくりと解こうとする。

クローディアから与えられた知識を基に考えれば、バルとメルビア親子も、もとはカッツたちファニーの村の

人間たちと同じ、大陸で生き延びたファニークスの技術者の末裔だったということになる。

「ワシの直接の祖先は、相当な技術と知識欲を持っていたようでな・・・」

バルは、黒い炎を纏う剣をゆっくりと撫でる。

「美しいだろう? お前の持つ剣の、片割れだ」

 

遠い遠い、遙かな昔。

神の宝とされた、魔力を持った石。それを、聖騎士カムラッドのために剣として鍛えた、当時の技術者たち。

バルの祖先もまた、その中の一人であったのだ。彼は人間的には善良であったが、研究欲があまりにも強すぎた。

石が魔力を持った理由を知りたいがために、誰にも悟られないように石の一部を持ち出し、隠し持っていたのである。

月日は流れ、聖騎士カムラッドは逝去。やがてファニークスの中では欲にまみれた争いが蔓延し、巫女クローディアは

都市部を海の底に作った異空間に転移し、秘宝ごと封印する決意をする。その際に大陸に残ったファニークスの

技術者たちの中に、石を隠し持った、あの男の孫が居た。彼は人目を忍ぶように行方をくらまし、祖父の持ち出した石を

剣に変えたのだ。

 

「我が一族に、脈々と受け継がれてきたものだ。愚かな代々の当主どもは、ただの剣だと思って崇めていたようだがな」

バルは、初めて自分の過去を語る。

彼が国王の位を継いだばかりの、まだ青年の頃。好奇心から城の書庫を漁っていた時に、今にも朽ちそうな古書を発見する。

綴られた文字は現代のものとは異なっていたが、もとより頭脳も明晰だったバルは数年をかけて解読した。

そこには、信じられない真相が眠っていた。

かつて大陸に存在していた、六つ目の国。そこで造られた秘宝の剣。そして、筆者の数代前の先祖により持ち出された

石の一部、それで造られたもう一つの剣。

もしや、門外不出とされている家宝の剣のことか。まさかとは思いつつも、逸る気持ちを抑えられずに宝物庫をこじ開け、

絶対に触れてはならぬとされていたそれに、とうとう手を伸ばした。剣は容赦なくバルの命を奪おうとしたが、

彼の身に宿る潜在能力は、それにさえ打ち勝ったのである。

 

「あの時、この剣の恐ろしいほどの力を感じた。輝き出した光と、何も持たぬかのような軽さ。そして、この炎だ。

これさえあれば、大陸の全てを手にすることが出来ると確信した」

バルの持つ剣は、その興奮を映すかのように益々光っている。

「それが、アンタが全土統一をしようと思ったきっかけか」

「そうだ。前回の戦争の時には、軍事力の不足ももちろんだが、剣自体に今ほどの威力が無かった。

これを完全に飼い慣らすには、相当な時間が掛かってしまったな・・・」

白い毛が混じる眉の下で、バルの目が淀んで揺れる。

「シフ、お前もその剣を持った者なら分かるだろう。この力さえあれば、何でも手に入ると」

「・・・確かにな。この剣があれば、たぶん無敵だ。だが、俺はそうするつもりは微塵もない」

 

シンと静まり返る空間で向かい合う二人の間に、先程までは存在しなかった緊張が走る。

「ワシはお前を殺すことにしよう。神の剣は、この世に二本も要らぬ。持ち主も、な」

バルの瞳がカッと見開かれ、次にはその足が恐るべき速さで床を蹴った。

(早いッ!)

繰り出されたバルの一撃。シフは受け止めるので精一杯だった。

秘宝の剣同士がぶつかり合う衝撃は、予想だにしない重さである。紅と漆黒の光が激しい火花となり、シフは大きく

後ろに吹き飛ばされた。

「ぐあっ!」

「ふははは! その程度の腕でワシを倒そうなどと、笑わせるぞ・・・若造が」

「くそ・・・がぁ!」

シフが身を翻して突進する。

閃光の中、バルはシフの剣を受け止めて足を踏ん張る。

「ほお。力だけは、だいぶ増したようだな」

シフはバルの剣を横に弾くと、わずかな隙を逃さずに剣を振り上げる。しかしバルは間一髪でそれを避ける。

「おらああああ!」

瞬時に体勢を切り返して上段から振り降ろされる紅い剣を、漆黒の剣がまたも受け止める。

「甘いわあッ!」

再び、シフは後方に弾かれる。

 

(何て・・・馬鹿力だ・・・)

床に膝をついたシフは、咄嗟に汗を拭う。

(修業を思い出すんだ・・・)

呼吸を整える。二年間、何度もこうしてカムラッドに弾き飛ばされた。シフは全力で、しかしカムラッドは片手で。

何度も何度も地面に叩き付けられて学んだ、戦いの基本。

バルの圧倒的な強さを前に、無意識に焦りに呑まれていた心を落ち着かせる。

(そうだ、絶対に動きは見えるはずなんだ)

それを、徹底的に身体に叩き込んで来たのだから。

シフの脳裏に、カムラッドの黄金の瞳が浮かぶ。

負けられない。負けるわけにはいかない。遠く離れた所で、今も仲間たちが戦っている。そして、多くの命が消えている。

(約束したんだ・・・)

メルビアと。仲間と。

「負けねぇ・・・」

ゆらりと、シフが立ち上がる。その身体から溢れるものに、バルは気付く。

(こやつ・・・!)

シフの瞳の輝きと、シフの剣の光が明らかに強くなっている。

「お前を、そこまで動かすものは何だ」

「てめぇには、言っても理解出来ねぇよ」

シフは鋭く吐き捨てると、真っすぐに動く。

バルも、動いた。二本の剣がもつれる。

「っつ!」

シフの腕に、バルの剣が縦に突き刺さる。すぐに飛び退くと、シフは素早く傷を確認した。

(良かった、繋がってる)

漆黒の炎により、傷口は酷い火傷になっている。だが痛みに耐える力も養ってきた。切断さえされなければ、

シフはどんなに痛かろうと剣を握る自信があった。

バルは、まだ息を乱さずに立っている。

「ワシは、これでも腹を立てているのだ・・・。メルビアを利用していたとはいえ、お前には充分な褒美と地位を

与えてきた。何が不満で、城を出た?」

先程までの、余裕の笑みを浮かべた姿ではなかった。激しい怒りを宿す、暗黒の双眸がシフを見据えている。

「どんなに褒美を貰っても・・・俺が大切にしていたものを、アンタが全て奪っていった・・・」

己の自我、大切な人の自由、そして命。全て、彼の望んだものは手の平から儚く零れ落ちて行った。

「腹立ててんのは・・・俺の方だあぁぁッ!」

ぐん、とシフが一瞬で間合いを詰めて来た。

(何っ!?)

今度は、バルが防御で精一杯だった。剣が足元に弾かれ、刺さった床に亀裂が走る。次の一撃をかろうじて

避けたものの、その腹部にシフの強烈な蹴りが入った。

「がはぁッ!」

初めて、バルが叩き付けられていた。

「アンタ、本当に可哀想な人間だな。自分のためにしか戦えないなんて、気の毒だぜ」

「何を・・・青臭いことを・・・」

「真実だ。だからこうして、アンタは俺に負けるんだ」

シフの声は、異様なほどに静かだった。

「ワシが負けるだと!? ふざけるな・・・やっとここまで来た! 全てを手にするまで、もう少し・・・

そのためには、お前は邪魔だッ!」

バルが激昂し、床から剣を引き抜いて激しく繰り出して来る。

世界に並ぶ者なしと言われた、バルの剣。普通の人間が相手であれば、自分が死んだことにすら気付けぬまま

身体は細切れになっているだろう。

しかし、シフも聖騎士の後継者にまで成長しているのである。

全ての攻撃を、確実に防いでいた。

「ぬぅう!」

バルの怒涛の攻撃は止まらない。傍目には太刀筋すら見えない素早さ。ギインギインと、耳に不快な金属音が

辺りを満たす。

「・・・・・・」

シフは、冷静にバルの瞳を見ていた。黒い炎を放って振られる剣ではなく、瞳を。

相手の動きの見切り方。カムラッドが根気強く教えてくれた、最大の武器である。

『いいかい、剣の基本が出来上がれば、たいていの攻撃は防げる。あとは相手の目を見ればいい』

シフの尖った耳に、まるで今隣にカムラッドが居るかのような声が届く。

『相手の呼吸に呑まれないこと。それを守れば、必ず勝てる』

(カムラッド・・・)

自分に全てを託してくれた、聖騎士。

(そうだ・・・俺は負けないと約束したんだ)

『シフさん、また必ず生きて会いましょう』

『シフ殿、信じているぞ』

『シフ、絶対に帰って来るのだぞ』

別れ際に、仲間たちにかけられた言葉の数々が胸に蘇っている。

(俺は一人で戦ってるんじゃねぇ)

バルの動きに、微塵の鈍さが混じり出した。

(そうだよな・・・メルビア)

『シフ・・・』

彼の紅い剣が、いっそう激しく光を増す。その眩さは、バルの視界を真っ白に染めた。

 

『シフ、大好きだよ・・・負けないで』

 

もう決して手が届かない所へ行ってしまったあの人の声が、シフには鮮明に聞こえていた。

「俺はもう戦いを終わらせる! 覚悟しろおおおッ!」

「たわけがぁぁあああッ!」

シフも、そしてバルも、渾身の一撃に全てを込める。

 

ラウォ城の中から、本の光の柱が突き上がった。



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