<終わりと始まり>

 

リオール大陸に、新しい朝が訪れる。

戦で荒れ果てた大地に、死んだ兵士たちの屍に、大切な人の帰りを待つ人々に、陽の光は平等に降り注ぐ。

そして、シフにも。

いつしか、窓から射し込むのは月光ではなく陽光になっていた。

シフは全身に大怪我を負い、鎧もあちこち壊れてしまっている。血まみれで、それでもシフは秘宝の剣を握って立っている。

彼の見つめる先には、バルが片膝を立てる形で壁に寄り掛かって座っていた。その足元には、もう光を失った剣が、

折れて転がっている。

「くく・・・くくく・・・」

喉の奥で低く笑う声には、もう力が感じられない。バルもまた、全ての力を使い切っていた。

「まさか、お前のような若造に敗れるとは・・・思ってもみなかったぞ」

その言葉には、深い悲哀の響きがあった。

「自分の欲のためにしか戦えないアンタに、俺の剣を折ることは出来ない」

 

勝負のつく一瞬、シフの剣から生まれた紅の光は、かつてないほど大きいものだった。

あの日、牢獄を満たした光。

目も開けられない位に眩しく、全てを包むあたたかな光。

シフには、生涯忘れることの出来ない光景。

ただ一人の、あの人の命の光だった。

 

「シフよ・・・一つ、聞かせろ。メルビアはどうした」

「俺を逃がすために、死んだ。俺が城を出た日だ」

それを聞いたバルは沈黙した。そこには何の感情も読み取れなかったし、シフもまた、あまり悲壮な顔はしていない。

確かに彼女は死んだ。しかし、つい先程・・・間違いなく声が聞こえたのだ。

「アンタは笑うだろうが、メルビアは今も俺の中にちゃんと存在している。決して消えることはない」

「・・・・・・」

バルは笑わなかった。口を閉ざしたまま、虚ろな視線を窓に向けている。

 

「ぐ・・・がはぁッ!」

突然、バルが激しく吐血した。

「!?」

「がッ・・・があッ!・・ぅぐ・・・」

ドス黒い血が、次々とバルの喉から飛び散る。

「お、おい!」

思わず、シフが近付く。

「・・・お前にやられた傷ではない。自惚れるな」

よろよろと口元を拭い、バルは『触るな』と小さく呟いた。

「まさか、病気なのか」

「くくく、こんな身体でなければ・・・お前ごときに敗れることはなかった。世界を手に入れる神の剣は

扱えても・・・薬の効かぬ病魔をどうにも出来ぬとは、何とも情けないものよ」

バルは、だらりと首を垂らす。ひゅうひゅうという、か細い息遣いがやけに大きく聞こえる。シフは剣を鞘に納めた。

「医者は呼んでやる」

しかしバルは顔を上げぬまま、また低く笑った。

「必要ない」

「・・・・・・」

「長年の夢を阻まれた上に、お前の世話になるなどという辱めには耐えられん!」

急にバルは手を伸ばし、足元の折れた剣の刃を掴んだ。

「おいッ! やめ・・・」

シフの制止は間に合わなかった。バルは、刃の切っ先を自らの左胸に押し込んでいた。折れて光を失っても、

秘宝の剣の切れ味は変わらない。それは吸い込まれるようにバルの身体を貫通していた。

「ぐ・・・あ・・・」

「っ・・・バル・・・」

心臓部から鮮血が激しく噴き出し、バルの瞳がどんどん白く濁って行く。

「く・・・くく・・・命・・・あるうちに・・・全てを・・・手にしたかっ・・・た・・・」

各国の予想よりも格段に早く訪れたラウォの侵略行為。それは他ならぬバル自身の、焦りの表れだったのだろうか。

 

シフは国王の命の灯が完全に消えるまで、その場を動くことなく、静かに見守っていた。

 

            ☆

 

外へ出てみると、あのラウォ全体を覆う禍々しい空気は無くなっていた。

草木が、色鮮やかに陽を受けている。主を失った城は、ただ寂しげに佇んでいるように見えた。

シフは、石壁にもたれて立つ金髪の人物を見付ける。

「おかえりなさい・・・シフさん」

弱々しいが、懐かしくさえ思える柔らかな笑顔。シフは胸に熱くこみ上げるものを感じた。

「はは・・・お前、血だらけじゃねぇか」

「ここに鏡が無いことが悔やまれますね。お互い様ですよ」

グラディウスの足元には、仰向けに寝かされた国王の側近。

「・・・マーリエと戦っていたのか」

「ええ。部下の皆さんも無事ですよ。先に東へ戻ってもらっています」

「そうか、良かった」

「彼女は・・・私の師、アルマ様の孫娘だったのです。かつての戦争でラウォに連行された、魔導士一族の一人です」

「全員、人体実験や虐殺で命を落としたんじゃなかったのか」

「バル国王の計らいで唯一手元に置かれ、魔導力の使い方や結界の解き方など、ラウォにとって

都合の良い部分以外の記憶を操作されて育てられていたようです」

バルにとっては彼女もまた、手駒の一つであったのだ。

「私の力不足で、アルマ様を救うことは出来ませんでした。しかしアルマ様と約束した通り、村の人たちは無事に

守ることが出来ました」

シフがカムラッドと交わした約束を果たしたように、グラディウスもまた、師との約束を守り抜いたのである。

「彼女の、これまでの記憶を全て消しました。力の使い方も完全に忘れたはずです。過去の自分の行いに

嘆いて暮らすよりも、良いかと思ったので・・・」

彼女も、長きに渡っての戦争の被害者である。グラディウスに出来る、最大限の救済策であった。

昨夜までとは全く違うマリーレイアのあどけない寝顔と、安らかな寝息。シフも感慨深くそれを見た。

「よし、俺らもエントルス方面へ急ごう。あっちの戦況が分からねぇ」

伝令は完全に途絶えている。こちらで国王を倒したとはいっても、既にエントルスが制圧されているという可能性もある。

「ええ。私が乗ってきた馬と、部下の方から預かったジーニアを向こうに繋いであります。行きましょう」

 

            ☆

 

最後の砦であるエントルス入国門を背に戦っていた南方部隊。北から援軍として向かっていたディロイ部隊は、

かろうじて間に合っていた。ちょうどシフがバルと戦っている頃、こちらは完全に布陣を突破される寸前の、

際どい状況であった。

そこへ屍の山を越えて突撃してきたディロイの槍部隊は、ほぼ全員の命と引き換えに入国門を防衛した。

もう一歩たりとも引けぬ状況で、三国同盟軍は背後の人々の命を守り切ったのである。

ディロイは、最後の最後で絶命。朝が来て、グラディウスが鳥の足につけて飛ばしていたシフ勝利の伝令を受けた

直後に、敵に貫かれた。

 

国王と兵士を失ったラウォ軍は壊滅。しかしこちらも同様に、生存している者はほんの一握りだ。

戦場では、誰もがその胸に自分の信じる正義を秘めて戦っている。何が正しく、そして間違っているのかという

問いに答えられる者など、どこにも居ない。

シフたちの、ラウォの侵略を止めるという決意。それを貫くための犠牲は、とても大きなものだった。

 

戦争の壮絶さを物語る砂漠の光景。あちこちの砂は兵士たちの血で赤く染まり、壊れた武器や死んだ馬、そして

人間の屍が無残に転がっている。そんな中をシフとグラディウスは全速力で馬を走らせ、すっかり夜が更けた頃に

エントルスの目の前へ辿り着いた。

どうにかエントルスが防衛され、両軍が完全に力尽きた、少しばかり後である。

「くそ・・・もう少し早く帰っていれば・・・」

せめて、部隊の全滅だけは防げたかもしれない。しかしグラディウスは黙って首を振り、シフの肩を叩く。

月明かりの向こうに、戦禍を免れたエントルスの入国門が見える。

「街の様子も静かですね。不利な戦況で、最悪の結末だけは避けられたようです」

最後の交戦地となった砂漠のありさまは、本当に酷いものだ。見渡す限り、死体しかない。その多くが命を落として

なお、武器をしっかりと握っている。

「この一人一人が・・・戦争を終わらせたんだな」

シフが呟く。

 

争いのない世界。それを手に入れるためには、やはり争うという方法しかなかった。シフは、勝ったという実感や喜び、

そんなものは微塵も感じていない。自分が正しかったとも思っていない。ただ、己の信じる道を進んだだけなのである。

そして、地面で冷たくなっている誰もが同じように、大事な人であったり、国であったり、物であったり。

それぞれの譲れない何かを守るために、ただ必死で命を賭けたのである。

「・・・・・・」

屍の海を前に、シフの顔が厳しくなる。

「俺はまた、戦って多くの命を手に掛けた。でも・・・死んでいった奴らのためにも、そのことを悔やむつもりはない」

悲痛で、どこか複雑なその言葉にグラディウスも頷く。

「戦いの結果、私たちが多くの命を守ったのも事実です。これからも、まだまだ大変ですよ。大陸の立て直し、

国の秩序の再構築、国交問題・・・。それを考えれば、立ち止まっている場合ではありません」

「ああ・・・まだ何も終わっていないんだよな」

何かを振り切るように、シフは戦の跡地を進む。

 

「もう、生存者は居ないのか・・・」

倒れてはいても、まだ息がある者もいるかもしれない。二人は手提げランプを片手に、ゆっくりと戦場跡を歩いていた。

「・・・っ! シフさん!」

急にグラディウスが、遠くを指差す。暗闇ですぐには気付かなかったが、門の手前に人影がある。背が高く、

筋肉質で・・・近付けば近付くほど、それはシフたちの悲痛な予想を確信に変える。

「・・・カッツ!」

ラウォ兵の死体が折り重なる中、右手に棍棒を握り、頭から足まで赤く染まったまま目を閉じて仁王立ちしている

カッツであった。立っていると言っても、そこに力や生気は全く感じられない。

硬直死という言葉が脳裏をよぎる。

「おい・・・カッツ、嘘だろ!」

駆け寄るなり、シフは叫ぶ。

「馬鹿力のくせに、こんな所で死んでんじゃねぇよッ!」

叫びながらも、カッツの身体に触れることが出来ない。そのわずかな衝撃で、彼の身体が砂の上に崩れ落ちる

かもしれないのが、怖い。

「ちくしょ・・・ちくしょう・・・!」

黄金の瞳に、涙が一杯に溜まったその時。

「勝手に・・・殺さんでくれよ・・・」

シフの頭上から、か細い声が降ってきた。

「っ!?」

弾けるように見上げれば、カッツが薄く目を開いて笑っていた。

「・・・シフ殿」

「おどかすなよ・・・」

安堵と同時に、溜まった涙が砂の上に落ちる。

「よく・・・帰ってきた・・・」

そう言うと、カッツはゆっくりと地面に膝をつく。

「カッツさん、目が・・・」

グラディウスの表情が歪む。カッツは、左目を失っていた。

「なに、これくらい・・・命があっただけ・・・マシだよ」

力なく、だが優しくカッツは笑顔を浮かべて見せる。

「やっと帰って来たか・・・総隊長」

近くでうつ伏せに倒れていた影が、のろのろと起き上がる。

それは、カッツ同様に酷い怪我を負ったゼルガであった。

「おっさん! 生きてたのか!」

シフは飛んで行ってその身体を支える。

「何とかな・・・。弟子が命張って戦ってんのに、オレが先にくたばるわけにゃあいかねぇさ・・・」

「深い刺し傷が沢山ありますが、幸いにも急所からは外れているようです」

グラディウスが、手早くゼルガの身体のあちこちを布で縛って止血する。

「カッツの野郎・・・あそこで一歩も引かずに、神官どのを最後まで守ったんだ。あんたたちも・・・褒めてやんな」

「え?」

その言葉に、シフが怪訝な顔をする。

「シフ殿・・・自分はもう・・・動けない。あっちに・・・行ってやって欲しい・・・」

震える指でカッツが指し示すのは、彼のずっと後方。遠目では屍かと思える小柄な人物が、砂の上で仰向けにされている。

「神官って・・・まさか!?」

当時ラウォ城に向かっていたシフとグラディウスは、シンディの南方部隊への参戦は知らない。

見れば、真っ赤に染まった布を胸に巻き、瞳を閉じているシンディその人であった。

「おい、シンディ!」

シフは彼女の上半身を抱えて起こす。ひどく軽い。

「・・・う・・・」

血の気のない小さな唇が震えたかと思うと、その目がゆっくりと開かれる。

「シフ・・・か・・・夢では・・・・・・ないのか・・・」

「夢じゃない。帰って来たんだ」

「そうか・・・そうか・・・・・・」

シンディの瞳から、真珠のような涙が次々と零れる。

差し出されたシンディの手を、シフは強く握る。

「これから、アンタが望んでいた平和な世界が作れる」

その言葉に、シンディはゆっくりと頷く。

「生きている内に・・・真の聖騎士となった・・・そなたを見ることが出来て・・・本当に良かった・・・」

「シンディ・・・」

「ああ・・・月が・・・出ているのか・・・」

シンディのぼんやりとした視界に、自分を見下ろすシフの顔と、その遠く彼方の空に浮かぶ月が映っている。

「・・・美しい・・・月だ・・・黄金の・・・そなたの瞳と・・・同じ色だ・・・」

彼女は、揺れる瞳を細める。

「あの時の・・・晩餐を・・・思い出す、な・・・」

「また、皆でああやって時間を過ごそう。その為にはアンタが料理作ってくれねぇと、始まらねぇだろ」

シフが必死に笑顔を作り、彼女も応えるように微笑む。

「そうだな・・・有難う・・・シフ・・・」

消え入るような声でそう言うと、シンディは静かに目を閉じた。

その青白い顔や銀の髪に、黄金色の月光が優しく降り注いでいる。

 

夜風が、シフの頬をそっと撫でてゆく。

全ての国を巻き込んだリオール大陸の戦争が、ついに終わった。



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