<妖魔の棲む洞窟>

 

中立国家エントルスでタッグを組んだ、剣士シフ・ギルフォードと魔導士グラディウス・ガビルの二人は、

リオール大陸最北端の山岳地帯にあるファニー村の宿に居た。

「あー、マジで疲れた! 来るだけでひと苦労だったぜ」

服を脱ぎ捨てて、シフがベッドに転がった。

「今日は何も考えずに寝ようぜ・・・」

外は闇。

エントルスから徒歩で向かうこと丸二日。切り立った山を登り、ついさっき村に到着したばかりであった。

グラディウスはというと、さすがに表情に疲労が滲んではいるものの、幼い頃から鍛えたという足腰はなかなかのもので、

動けないシフとは対照的に荷物の確認などを行っている。

 

「それにしても・・・本当にさびれた村ですね」

その呟きに、シフは閉じていた瞼をゆっくりと動かす。

「まぁな。五つの国家のどこにも属さない辺境の土地だっていうし、こんなモンなんだろな」

十数軒の家が雑然と集まっている、まさしく村という感じの土地であった。

山の中腹の、広く平らになっている部分にひっそりと存在するファニー村。

中腹とはいえ眼下に見えるエントルスの街並みは、遥か豆粒のようである。

この宿にしても、長らく宿泊客が来ていないことを物語るように入口の看板も朽ち、部屋の布団や椅子は古ぼけていた。

グラディウスは、触ればホコリの舞い上がりそうな毛布を見てうんざりとした顔を作る。

対するシフは、早々とイビキをかいていた。

この少年は、眠れればどこでも良いらしい。

(とりあえず、秘宝や遺跡の情報を集めるのは明日からですね・・・)

窓から見える月を眺めていたグラディウスは、ランプを吹き消して椅子に座ったまま目を閉じた。

 

               

 

「シフさん、起きて下さい」

朝。今日もシフはグラディウスに揺り起こされた。

カーテンがさっと開けられ、そこから射す光の眩しさにシフは目を細める。

「お前・・・もう起きてたのか」

「ええ。おはようございます」

にっこり微笑むと、紅茶の注がれたカップを手渡してくれる。

一緒に旅を始めてからというもの、シフはまだグラディウスの寝顔を見た覚えがない。

魔導士の末裔だという美しい彼は、人の好い顔立ちと物腰をしているものの、決して隙を作らないという

別の一面を持っていた。
シフより早く寝る事もないし、遅く起きる事もない。

日中も、シフと談笑しながらも用心深くあちこちに気を張っていて、小さな物音ひとつ聞き漏らさない。

シフも軍人という経歴上、周囲への注意を怠る事はないが、グラディウスのそれは想像以上であった。

旅をしながら様々な危険を味わってきた事を物語っている。

(敵に回すと厄介なタイプだな)

シフの素直な感想である。

 

「朝メシ食ったらここを出て・・・まず何から手ぇ付ける?」

シフは、宿の主人が出してくれた朝食を頬張りながら問い掛ける。

「そうですね、過去の文献を集めた施設などもなさそうですし、村の規模からして住人に直接聞いて回る方が

早そうですね。
古代遺跡の場所と、それに関係があるかもしれない秘宝のこと。とにかく、分かるだけの情報を

集めましょう」

「よし、これで聖騎士の座は俺のモンだな!」

「ここに確実に秘宝があるとは限りませんし、秘宝を手に入れるために、かつての聖騎士は何らかの試練を

受けたのだと仰ったのはシフさんでしょう? そんな能天気な・・・」

「あ、そうそう。確かシンディがそう言ってたな〜」

「・・・・・・」

最近、シフは少しひょうきんになった。というのも、これまでの人生は戦いばかりが全てで、同年代の同性の友人が

一人も居なかったせいだ。

グラディウスという友人を得てからというもの、わざと彼をからかうような事を言っては、困らせている。

対するグラディウスもそんなシフの性格などお見通しのようで、呆れながらも笑顔で受け答えしている。

 

             ☆ 

 

「あ? 聞こえねぇなぁー」

「だーかーらー! 大昔にこの辺にあったっていう遺跡について、何か知らねぇかって言ってんのッ!」

耳の遠い老婆が出てきた家屋の玄関先で、シフは数分ほど声を張り上げていた。

いいかげん、グラディウスが後方から彼の腕を掴む。

「シフさん、この方は後でもう一度聞きに来ることにして・・・他から当りましょう」

高い土地のせいで風の勢いも強く、時折足元の細かな砂が舞い上がる。

聞き込みによると、現在この村の人口は二十六人。その殆どが高齢者である。基本的に自給自足の生活を営んでいて、

高台の栽培に適した食物の畑があちこちに見られる。
おまけに、水に関してはたった一つの井戸を共用している。

たまに若い住人が日用品を買いに山を下りるということだが、シフたちも二日かけて登ってきたのを考えると、

気軽なショッピングとは呼べない。

 

来客自体が珍しい閉鎖的な土地ゆえに、聞き込みに訪ねて行ったシフたちの方が、逆に老人たちからの無邪気な

質問攻めに遭うことも少なくなかった。

そうこうしている内に、全ての家を回った頃には夕刻を迎え、辺りはオレンジ色に染まっている。

 

宿への帰路。

夕焼けがこんなに近くに見えるのは初めてだとはしゃぐシフとは対照的に、後ろを歩くグラディウスは

少々憂いの表情だった。

「秘宝や古代遺跡のこと・・・誰もご存知ではありませんでしたね。この村が見当違いでなければ良いのですが」

しかし、シフは振り返ると黄金の瞳を細めた。

「諦めるのはまだ早いと思うぜ。着いたばっかなんだし、もう少し粘ってみれば、きっと何か・・・」

そこまで言うと、急に言葉を切って俯いた。

「どうかしましたか?」

グラディウスがその顔を覗き込んだと同時。

「あああッ!」

「なっ・・・」

いきなり発せられた大声に、グラディウスは面食らって竪琴を落としそうになった。

「ほら、昼頃に行った、あの耳の悪いバーさんの家だよ! まだあそこの聞き込みが終わってねぇよ!」

「・・・あぁ、そうでしたね。でも・・・」

グラディウスの言葉も虚しく、既にシフは元来た方向へ走り出していた。

「すっかり忘れてたぜ! 早く行かねーと、年寄りは寝るのも早いからな!」

「やれやれ・・・」

グラディウスも、仕方なしに後を追う。

 

「すいませーん! ごめんくださーい!」

「やめて下さいよシフさん、恥ずかしい」

扉を遠慮なくガンガン叩くシフをグラディウスが制した時、それは内側から開いた。

「はい、どちら様でしょうか」

涼やかな声。

出てきたのは一人の少女だった。その顔を見た瞬間、シフは思わず死んだはずの人の名を口にしていた。

「メル・・・ビア」

「え?」

「シフさん?」

「・・・あ」

容姿が、メルビアと良く似ていた。

髪の色も緑がかっていて、それも彼女を彷彿とさせる。

しかし瞳の色は全く違った。

一瞬、心臓が飛び出しそうになったシフは軽い失望を覚えた。

「ごめん、人違い・・・だ・・・」

まだ鼓動がおさまらない。

そのまま口を閉ざしてしまったシフを見て、グラディウスが言葉を継ぐ。

「失礼します。私はグラディウス、こちらはシフです。各国の古い遺跡や文献を調べて回っているのですが、

このファニー村にも過去に遺跡があったと聞き、情報を集めている次第です。もし宜しければ、何か教えて

頂けますか?」

にっこりと微笑んだグラディウスに、少女はポッと頬を染めた。

彼の芸術品のような笑顔に心を惹かれない者は、老若男女、そうはいまい。

「そうですか、ど、どうぞお入り下さい」

赤面したままでそう言う彼女を横目に、シフは

(女相手には便利だよな、こいつの必殺スマイルは)

などと失礼千万なことを思った。

 

「粗末な家ですが」

応接間のような部屋で紅茶を出される。

「グラディウスさんに、シフさんでしたよね。わたしはリィスと申します。お客様が見えることなんて

滅多にないから、嬉しいです」

テーブルを挟んで座った少女は、可愛らしい仕草で頭をちょこんと下げる。

笑うと、やはりメルビアの笑顔と重なる。シフは胸に迫る気持ちを打ち消すように一気に紅茶を飲み干すと、

ぶっきらぼうに話を切り出した。

「あんまり長居は出来ねぇから単刀直入に言わせてもらうぜ。俺たちが探しているのは、さっき言った通り、

古代に存在したと文献に記述が残っているファニーの遺跡だ」

「遺跡、ですか・・・」

リィスは表情を曇らせる。

「私たちも山を登ってきたのですが、遺跡の跡地のようなものも見当たりませんでした。もしかしたら地元の

方であれば何かご存知ないかと思ってお訪ねした次第です」

「この家が最後なんだ。何でもいいから、知ってることがあったら教えてくれ」

二人の様子があまりに必死だったせいか、首を横に振るリィスは心底申し訳なさそうな表情だった。

「わたしは存じませんわ・・・ごめんなさい」

「・・・・・・」

シフはそっと溜め息をつく。

 

かつての聖騎士は、ファニーの遺跡で秘宝を手に入れた。

自分は、たったそれだけしか知らないのだ。

さっきは諦めずに粘ろうとグラディウスに提案したものの、文献自体が作り話だという可能性だってある。

ひょっとすると、自分たちはあまりに馬鹿げた行動をしているのでは、とさえ思い、無言で空になった

カップの底を見つめる。

「ああ、すみませんね。リィスさんが気にされることではないんですよ。学術調査というものは、気長に粘っていく

しかないのですから・・・ね、シフさん?」

ふいに、グラディウスが柔和な表情でシフに同意を求めた。

まるで気持ちを見透かされていたようで。

「ああ・・・」

バツが悪そうに小声で返事をするのがやっとだった。

やはり同い年とはいえ、グラディウスの方が精神的に少し大人なのかもしれない。

 

「ところで、この村は本当に人が少ないのですね」

しばしの雑談のあと、グラディウスがそう切り出した。

「ええ。ちょうど大陸戦争が終わった十六年前に、どの国の管轄からも外れたみたいです。

戦時中はエントルスの領地だったそうで、多くの男性たちが戦争に駆り出されて亡くなったことにより、

急速に過疎化したと教えられました」

「そうなのですね・・・」

「わたしの父も徴兵され、当時のラウォ軍との国境防衛線で、戦死したのです。と言っても、わたしは

終戦と同時に産まれたので、父の顔すら知らないのですけどね」

重い内容に気を遣ってか、リィスは明るい口調だった。

「・・・悪かったな、そんな話させて」

ぽつりと言うシフ。

彼こそ、他ならぬラウォ軍の騎士隊長として、最近まで人の命を手にかけてきた立場である。

時代が違う話とはいえ、心中は複雑であった。

 

「では、もう時間も遅くなるので失礼しましょうか」

やがて、グラディウスがそう言い出した時だった。

「お客さんかい?」

ゆっくりとした動作で部屋に入ってきたのは、数時間前にシフがこの家の前で話をしていた老婆であった。

「そのバーさんとは昼に会ったんだけど、あんま俺の声が聞こえないみたいで、結局最後まで

話せずじまいだったんだ」

「祖母のステラです。お婆様は最近になって特に耳が悪くなってしまって・・・でも、わたしの慣れた声は

聞き取りやすいはずです。お婆様、この方たちは・・・」

リィスは自分の隣にステラを座らせ、遺跡を探しているという二人のことを、その耳元に向かって丁寧に

説明してくれた。

「ファニー村の遺跡ねぇ・・・爺様が、昔そんな話をしていたような気がするよ。私はてっきりおとぎ話だと

ばかり思っていたが、懐かしいもんだ」

ステラから、意外な言葉が飛び出した。シフの瞳が大きく見開かれる。

「本当か!? 良かったらそのジーさんに会わせてくれッ!」

思わず身を乗り出し、皺だらけで骨ばったステラの手を掴んでいた。しかし、リィスが視線を落として首を振る。

「残念ですが・・・今は無理です。お爺様は一週間ほど前から原因不明の昏睡状態が続いていて、一度も目を

覚ましていないのです」

「病気か何かってことか?」

「いえ、その・・・」

言いよどむリィスの横で、ステラはシフの顔を見上げる。

「あれは病気などではない。妖魔の仕業じゃよ」

「お婆様・・・」

「妖魔って・・・何じゃそりゃ」

シフは怪訝な顔でステラを見つめる。グラディウスは説明を求めるようにリィスに視線を送った。

「この村の言い伝えなのです。山岳地帯の遥か奥に洞窟があり、そこには妖魔が棲んでいると。そして、

わたし達が禁忌を犯すと魂を奪うと言われているのです」

「そう、爺様は必要以上に火を使ってしまった。だから妖魔が怒ったのだ」

ぶつぶつと言うステラ。リィスは小さく溜息をつく。

「あの時、お爺様がこの辺り一帯に火を点けたのは、猛毒を持った蛇が大量発生したせいなのです。

村の安全を守ったのに、そんな酷い目に遭わされるなんて・・・」

そんなやりとりを見ていたシフが、行儀悪く机に頬杖をつく。

「妖魔なんて架空の話じゃん。とっとと医者にでも診せた方が早いんじゃねーの?」

「し・・・シフさん」

グラディウスの静止も虚しく、シフの言葉は運悪くステラの耳に届いてしまっていた。次の瞬間、

「このバチ当たりがッ!」

ステラの一喝。その身体が、わなわなと震えている。

「所詮、よそ者には分からんのだ・・・」

そう言うと、よろよろと立ちあがり部屋を出て行ってしまった。

 

「びっくりした・・・大丈夫か? あのバーさん」

「お気になさらないで。わたしもお婆様には言えないのですが、正直・・・お爺様は新種の病気なのだと思います」

「そうでしょうか? 私は先程のお話に興味が湧きましたけどね」

突然グラディウスがそう言った。

「は? おいグラディウス・・・」

面食らっているシフを横目に、グラディウスは言葉を続ける。

「人の魂を奪う、洞窟の妖魔・・・非常に気になりますね。

その洞窟というのは実在するのでしょうか」

「さぁ・・・過去に探しに出かけた人が誰一人戻らなかったという噂があるのですが、実際には洞窟は存在せず、

子供たちが興味本位で山岳の奥に行かないように作られた話なのかもしれません。ただ・・・」

リィスが、はにかんだような表情で視線を逸らす。

「ただ、何だよ」

「お恥ずかしながら、わたしの兄が、ちょうど数日前に洞窟を探すと出て行ったきり、まだ帰っていないのです」

「え!?」

「・・・洞窟より、そんなアホが実在してたことに驚くな」

「ちょっとシフさん、失礼ですよ」

「いえ、いいんです。確かに兄はちょっと変わったところがありますし」

リィスが、のほほんと笑った。

「実のアニキが戻ってこないってのに、随分のんきだな」

「兄は格闘技の使い手なのです。その辺の大木も素手で引っこ抜いてしまうほどの怪力ですし、妖魔は

ともかくとして・・・道中クマに襲われても軽く勝てるでしょう」

「そんな男がよく、こんな山奥にいたもんだな・・・」

「子どもの頃ですが、他界した父から稽古をつけられていたそうです。そもそも、わたしが物心ついた時から

兄はよく家を空けて修行や探検をしているような人なので、あまり心配はしていません」

「はー、何だかなぁ・・・」

 

「シフさん、私達も洞窟を探してみましょうか。妖魔というものが存在するにしろ、しないにしろ、何かしらの

手がかりになるかもしれないでしょう?」

確かに、聖騎士になるための行動は手詰まり状態である。

シフも、妖魔など架空の存在だと馬鹿にしたものの、自分たちの追っている聖騎士の話・・・それもまた同等の

ことだと思い直した。

一つ自分を納得させるように頷くと、リィスに向き直る。

「しゃーねぇな。年寄りの話を聞き流すなって最近言われたばっかだし。ついでにお前のアニキも

探してきてやるぜ。洞窟への方角は?」

「でも・・・危険ですわ。まず普通の人ではこの山岳地帯の頂上に向かうだけでも危険です。未開の部分が

まだまだ広く、足場も悪いので遭難の危険もあります」

「うーん・・・俺はともかく、こいつは普通じゃねーから大丈夫だと思うぞ」

「ちょっとシフさん、やめて下さいよ」

指をさされたグラディウスが呆れ顔で息をつく。

「リィスさん、ご心配も分かりますが、学術調査とは危険を伴うのが常です。これまでも様々な道を

歩いて来たので、大丈夫ですよ」

グラディウスのあたたかい微笑みは、なぜか断ることを許さない相反する迫力を持つ。

 

この日の夜も、月が奇麗だった。リィスは、嬉しそうに家を後にした不思議な二人のことを思い出していた。

(ちょっと変わった人たちだったわ・・・よっぽど探検好きなのかしら)

兄とそんなに大差ないのかもと考えると、笑いが出てくる。

まるで彫刻のように美しい顔立ちで柔らかな物腰のグラディウスと、言葉使いは乱暴だが、どこか憎めない

雰囲気を持つ・・・

(シフさん・・・)

空に浮かぶ月と似たシフの黄金の瞳を思い出すと、リィスの心臓が音を立てた。 

 

               ☆

 

同時刻、シフとグラディウスは明日の出発に備え、宿のベッドに入っていた。

しばし目を閉じていたシフだが、そっと隣のベッドを見る。

「なぁ、お前本当に妖魔がいるって信じてんのか?」

「なんだ、シフさんも洞窟に行くと言った時、そう信じたのだと思いましたよ」

ちょっとからかうようにグラディウスが言う。

「いや、あれは成り行き上で・・・」

「何にせよ、未知の土地に行くのは良いものです。私は今まで旅をしてきて、どこへ行ってもそこでしか

得られない経験や、学びがありました。後悔は一つもありませんよ」

「そっか・・・そうだな」

「それにラウォからの追手のことを考えると、国境をウロウロするより、高地の探索の方がよっぽど

安全かもしれません」

「それは、言えてんな・・・」

シフの眉間に皺が寄る。

「さ、今日のところは寝ましょうか。明日からは山歩きの再開ですからね」

「ああ、おやすみ」

二人同時に目を閉じた。



     ←前へ 次へ→