<海原の歌>

 

「お兄様っ! お爺様が・・・お爺様がっ!」

ファニー村に帰着した三人がカッツの家の扉を開けるなり、すぐにリィスが泣きついてきた。

「祖父殿が、どうしたんだ!?」

「目をお覚ましになったの・・・!」

「そうか、そうか・・・」

カッツは、万感の思いで自分の胸元にも満たない妹の身体をそっと抱きしめると、後ろに控える二人に向き直った。

「シフ殿、グラディウス殿、君たちのおかげだ。本当に、本当に有難う!」

一礼すると、ドタドタと家に駆け上がって行った。

「ああ・・・お二人とも・・・本当に有難うございます・・・ありがと・・・う・・・」

「リィスさん」

更にしゃくりあげるリィスの肩に、グラディウスの手が置かれる。

「もう大丈夫ですよ。でも、私たちだけの力ではありません。あなたのお兄さんは、とても強い方でした」

にっこりと笑って見せる。

「何にせよ、みんな無事に帰って来られて文句なしだろ。俺たちもジーさんから情報を聞けるし、おまえたち

家族も心配ごとが消えて、一朝一夕だな」

「・・・『一石二鳥』ですよ」

服は汚れて身体のあちこちも傷だらけだが、それでも元気な彼らの声を聞いて、リィスはやっと微笑んだ。

それがあまりにもメルビアのそれと似ていて、シフはまた胸を刺されるような気がした。

 

居間で久々にくつろがせてもらっていた二人の元に、カッツが現れた。

「待たせてしまってすまなかった。祖父殿に食事を摂ってもらいながら色々と事情を話していたのだが、

ぜひとも二人にお礼を言いたいそうだ。リィスも一緒においで」

満面の笑顔で手招きされる。

カッツの祖父の部屋の前には表情が和らいだステラが居て、シフとグラディウスに丁寧に頭を下げると

中へ案内してくれた。

「どうぞ、お入り下さい」

部屋の奥から優しい声がしたかと思うと、ベッドの上で上半身を起こした老人の姿が見えた。

痩せ老いてはいるが、とても人の好い笑顔がカッツの表情とよく似ている。

「こちらが先程お話した二人の恩人です」

「初めまして、グラディウスと申します」

「俺はシフ。ジーさん、具合はどうだ?」

「長い夢から覚めたように、不思議とすっきりしているよ。本当に有難う。ワシはダイスといいます。よろしくどうぞ」

にこにこと会釈をしてくれた。

「なるほど、孫たちが申すように、お二人とも良い顔つきをされておる。聞けば大変な猛者でおられるとか」

「ええ、彼らの戦いぶりは凄まじいものでしたよ」

しばらくは山岳地帯で出会った木霊のことや妖魔との戦闘の話で大いに盛り上がり、次第にシフたちが求めている

遺跡のことに話題が移る。

「ワシが子どもの頃に、ワシの祖父から聞いた話だ。あなたたちからすると、そのことすらも本当に大昔のことだな」

ははは、と笑う。

「なにぶん昔のことだから、あまり詳しくは覚えておらんのだが・・・それでも良いかな?」

「ああ、どんなことでもいいんだ。聞かせてくれ!」

シフの瞳が無邪気に輝く。

 

「この山岳の麓から北に行った海には、大昔に栄えた街が沈んでいるという。そして、今このファニー村に

暮らす民は、かつて海に沈む街から逃れてきた人間たちの子孫だと聞いたよ。

ワシはおとぎ話だとしか思っていなかったが・・・。それが今となって『遺跡』と呼ばれているものかもしれないな」

シフたちには、とても興味深い内容であった。

「この近くの海というと・・・リバイアサン、ですか」

グラディウスは、海の名前だけは知っているようだった。

「そうだ。もう長いこと食べられる物も獲れないので、完全に忘れられた海だがね」

 

余談だが、リオール大陸では、そもそも魚を食べる習慣が殆ど無い。

大陸に隣接する海の多くが、魚が住むのに適さない水質であるのが理由である。そのため現在では、魚介を

食するのは南側の国、ヴァレンの一部の地域である。

大陸戦争以前は各国の名産品なども流通していて、ヴァレン産の干した魚介は高級な珍味として取引されていたが、

十六年前の国交断絶を経て、今となっては他の国の人間の口に入ることは完全に無くなってしまった。

若いシフもまた、畑や森から得られる作物や果物、家畜から得られる乳製品や肉以外は食べたことが無い。

 

「でも・・・その話が本当だとして、海に沈んでいるのでは探しようがありませんわ」

祖父の話をじっと聞いていたリィスが、静かに言った。

「確かにな。海の底まで潜るなんてことも不可能だしよ。どうすりゃいいんだ?」

「グラディウス殿の力でも、何ともならないのか?」

「私の場合は体内のエネルギーの限界が、そのまま術の限界になります。簡単な現象は起こせても、

巨大な海を干上がらせるような力はありません」

「じゃあ・・・やっぱ無理っつーことか」

シフの言葉で、事実上の諦めの形となった。

遺跡の手掛かりはあっても、海の底では手も足も出ない。

他の者も、シフの落胆ぶりを見ると何も言えなかった。

 

「皆さん、難しい顔をされているので・・・少しでも、気晴らしになれば良いのですが」

グラディウスが、ゆっくりとした動作で竪琴を抱えた。

「グラディウス?」

その唐突な行動にシフがぼんやりと問い掛けるが、微笑みが返ってくるのみであった。

「おお、グラディウスさんは歌が出来るのか」

ダイスが目を細める。

「ええ、遺跡を探し始める前は、これで大陸を旅していました。まだまだ未熟なものですが・・・」

部屋の中に、グラディウスの指から生まれる音色が響き出す。

シフ以外は、彼の歌を聴くのは初めてである。

歌が始まる前から、その穏やかな旋律に心を揺さぶられるような気がした。

グラディウスの奏でる調べには、やはり不思議な力がある。

 

   風を乞い 闇に安らぎ 花に遊び 暁に泣き

   汝の祈りは 今 海原へ

   眠りし鍵が 道を示す

   鍵 ひとつになりし時

   命のみなもと 海の底より

   たまゆらの光を放ち 開かれる

   宝の眠る いにしえの楽園へ・・・

 

「・・・・・・」

まるで子守唄のように優しく響く、グラディウスの歌が終わっていた。

「海の底・・・楽園?」

シフが、はっと顔を上げる。

「おい、グラディウス・・・今のは」

「私が知っている歌の中でも、かなり古いものになると思います。そして、海の底に関する唯一の詩です」

グラディウスが竪琴を床に置く。

「今までは、この歌の本当の意味は知りませんでしたが」

そう言って、今度は歌ではなく、歌詞をなぞるように朗読して聞かせた。

「グラディウス殿、自分には、まるで先程の祖父殿の話と関連があるようにしか聞こえなかった」

カッツが真剣な面持ちで言う。

「鍵・・・か。眠った鍵・・・」

「シフさん。鍵が見つかれば、あるいは・・・」

「でも、そんな単純なことなのか? あくまで歌での言い伝えなんだろ?」

ダイスの話と一致する部分があるとはいえ、あまりにも漠然とした内容である。

「グラディウスさんや、その歌はどこで知りなさった?」

ダイスが聞くと、グラディウスが困ったように笑う。

「正直に言うと、覚えていません。人に教えてもらった歌なのか、本で知った歌なのかすらも・・・。

どなたかが歌っているのを聞いて覚えたのかもしれませんが」

グラディウスの知っている歌はそれこそ膨大な数であるが、どうやって歌えるようになったかの記憶までは

非常に曖昧であった。

「ふむ、リィス。あそこの本棚の、右端の本を取っておくれ」

「え? はい」

リィスは祖父に言われるままに本を持ってきた。

表紙もボロボロになった、古く黄ばんだそれを手に取り、ダイスがしばらくページをめくってゆく。

「これはワシの祖父が遺した、ファニー村に関する文化や生活の記録だ。ずいぶんと虫食いも増えてしまったな」

懐かしそうに言うと、シフたちを手招きする。

「ここじゃ。読めますかな?」

差し出されたページは、古い文字で埋め尽くされていた。

ダイスの祖父が存命の時はまだ、旧大陸時代の字を書ける者も少なからず存在していたようだ。

シフはゆっくりと文字を拾ってゆく。

「えーと・・・風を・・・乞い・・・闇に、安らぎ・・・」

「シフさん」

「ああ。お前がさっき歌ったやつだな」

「どこかで聞き覚えがあると思ったのでな。ここの部分は、村に伝わる言い伝えや歌を書きとめたところです。

少なくとも、グラディウスさんの歌がこのファニー村と無関係ではない証拠くらいにはなるでしょう」

ダイスの柔らかい笑顔が浮かぶ。

 

「シフさん、他に何も手掛かりが無い以上、鍵を探すしか道はありませんよ」

「うーん・・・そう言われると・・・」

「まずはいったん、エントルスに戻りましょうか」

「はあ・・・またあの距離を戻るのか」

「私たちだけでは、他に探しようもないですから」

グラディウスは、エントルスに保管された文献やシンディの力を借りるつもりのようだ。

「ま、そうするしかねぇか」

「皆さん、色々と有難うございました。私たちはそろそろこの村を離れます」

グラディウスが、カッツたち家族に丁寧に頭を下げた。

 

            ☆

 

「道中、どうかお気を付けて下さい。これ、良かったらお持ち下さい」

見送りの時、リィスがシフに差し出したものは、小さなナイフだった。

「わたしの父の形見です。お爺様を助けて頂いて、お兄様を見つけて下さったお礼です」

「いいのか? 大事なモンだろ」

「はい。だからこそ持っていて欲しいんです」

「・・・サンキュ」

シフは遠慮せずに受け取ることにした。

「あの、一つお聞きしてもいいですか。初めてお会いした時、わたしの顔を見て驚いていらっしゃいましたよね。

何故です?」

「・・・・・・」

「あ、お気に障られたら申し訳ありません・・・」

リィスが消え入りそうな声で詫びる。

「いや、いいんだ。ただ、あんたが大事な奴に似てた。それだけだ」

「そう、ですか・・・」

リィスは、薄い作り笑いを浮かべた。

「シフさん・・・わたしは・・・」

「?」

「いえ、何でもありません。ごめんなさい」

「あ、ああ」

きゅっとリィスの唇が結ばれる。その小さな姿に、理由が分からないながらも、シフは軽い罪悪感を覚える。

ほどなく、玄関口からカッツやダイス、ステラも出て来た。

「それでは、また機会があればお邪魔したいと思います」

「みんな元気でな!」

シフとグラディウスが短い別れの言葉を残し、大きく手を振って村を後にする。

 

「さっきは、良い雰囲気でしたね」

「はっ? 何言ってんだ・・・お前」

グラディウスの、からかうような笑顔にシフがきょとんとする。

「そういう所だけ鈍いのだから。リィスさんも可哀想に」

「何だって?」

「何か聞こえましたか? きっと空耳ですよ」

こういう返答をする時のグラディウスには、何を聞いても無駄だと学んでいるシフは憮然とした表情で黙り込んだ。

「以前、お話して下さいましたね。リィスさんがメルビアさんに似ていらしたと。だったら、メルビアさんも

お美しかったのでしょうね」

「まあ、別に醜くは・・・なかったな」

ふいっと横を向いてしまったシフの肩にぽんと手を置き、グラディウスが空を見上げる。

「頑張って聖騎士への道を探しましょう。メルビアさんも、きっと応援して下さっていますよ」

「・・・ああ」

この山岳地帯では、かつてのメルビアの笑顔のような、雲ひとつない澄んだ空がとても近いような気がした。



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