<託される拳>

 

普段とは、全く違う空気に包まれた夕食であった。

集まっている家族、席の配置、食事の内容はいつもと同じだというのに・・・今日は空気が違う。

少年は、いや、家族全員、その原因は分かっている。

でも、何も言わない。

言えない。

 

少年の祖父と祖母は、ゆっくりと料理を口に運びながらも、どこか落ち着かない表情。

母親も、黙々と料理を取り分けている。

悲しみと、どこかしみじみとしたあたたかさ。

あたたかさは、最後の時間を少しでも深く心に刻もうとする想いが引き寄せるのだろうか。

少年も、涙を堪えて必死に夕飯を食べ続ける。しかし、それはなぜか砂のような味にも感じた。

「・・・・・・」

静かな空間で、食卓の真ん中に置かれた蝋燭の灯がジジッと音を立てる。

「どうだ、カッツ! 今日のメシも美味いなぁ」

いきなり野太い声が、やけに素っ頓狂な調子で響いた。

「!」

弾かれたように見上げた父の顔は、満面の笑顔だった。

「あ・・・うん」

細い声で返事をしたが、少年の心には苛立ちを含んだ戸惑いが起きていた。

どうして、笑っているんだろう。

明日出て行けば、もうこの家には戻って来られないかもしれない当の本人が・・・。

少年は、また目を伏せる。

父親は、そんな息子の姿を見て、また笑った。

 

            ☆

 

夕飯の後、少年は父親に誘われるままに家の外に出た。高山地帯にあるこの村からは、黄金の美しい月がとても近く見える。

静かな夜。大陸中を巻き込んでの戦争が続いていることなど、微塵も感じさせない。

「・・・・・・」

二人きりで、少年は吐き出す言葉が見付からない。あの月が朝陽に消えてしまえば、今握っている父親の手の温度は

余韻となってしまう。

「はは、今日はやけにおとなしいな」

父は、まだ自分の胸元にも満たない息子の頭をくしゃくしゃと撫でた。

「カッツ。まだ子どものお前に言うのは酷かもしれんが」

「ん・・・」

「必ず帰ってくるとか、かっこいい事は言えん」

「・・・うん」

それは、父の性格だった。確信のない約束は絶対に口にしない。息子も、よく分かっている。

「まあ努力はするさ。だがな、もし俺が帰って来なかった時には、の話だ」

「うん・・・」

目が、じわりと濡れてくる。

「男のお前が、家族を守っていくんだぞ」

「う・・・ん・・・・・・」

頬に伝う涙に、吹く風が冷たい。

「じいちゃんも、ばあちゃんも、母さんも。そして、もうすぐ産まれてくるお前のきょうだいも。その拳でしっかり

守っていってくれ」

繋いだ手を優しく離すと、父親はぎゅっと拳を作った。

少年も、同じように手を握る。

月明かりの下、大きな拳と小さな拳がこつんと合わせられる。

「俺の拳を、お前に託す。大事な人たちを守るための拳だ」

「・・・っ・・・」

大柄な父を見上げる少年の顔は、もう涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。それでも、彼は力強く首を縦に振った。

それを見て、父はまた太陽のような笑顔を浮かべる。

「頼んだぞ、俺の自慢の息子。誰よりも強く、何よりも守れる男になれ」

 

            ☆

 

長時間泣いて疲れたせいもあり、少年は深い眠りについてしまった。その横に添い寝して、寝顔を眺めていた父親に

人影が近付いて来る。

「あなた・・・」

「おお、体調は大丈夫か」

「ええ、だいぶ悪阻も治まってきました」

そっと微笑み、彼女はゆっくりと夫の傍に座る。

「あら、カッツったら」

ぐっすり眠っているのに、息子は父親の右手をしっかり握っている。

「はは、今はまだこんなに小さい手だが・・・いつかは俺と同じくらいになるんだろうな」

「ええ。あなた譲りの、逞しい子になってくれるでしょう」

ふと、父親は彼女の膨らみ始めた腹部に左手を当てて撫でる。

「こっちは、男と女のどっちかなぁ」

「カッツはあなた似ですし、今度は私に似た女の子でも嬉しいですわね」

「ああ、そうだな」

しばらくさすり続け、彼の視線がふっと遠くなる。

「それなら、とびきり可愛いだろうなぁ。会いてぇな・・・」

「・・・・・・」

彼女は、何も言葉を返さなかった。

「お前は、泣かないんだな?」

「・・・泣くものですか。あなたが帰って来ないはずはないって、信じていますから」

にっこりと笑う顔とは裏腹に、彼女の手は小刻みに震えている。

「お前の、そういう所に惚れたんだよなぁ」

大きな手が、愛しい人の頬に触れる。

「持っていく思い出が、私の泣き顔なんて・・・そんなのは嫌でしょう?」

「ありがとな。お前と出会って、子どもも二人授かって、俺は本当に幸せ者だ」

 

その日、父親を真ん中に三人はしっかり手を繋いで眠った。

彼の右手には息子の手。

彼の左手には妻の手。胎内には、もう一人の子どももいる。

それで、彼は心から満足だった。

 

無情にも朝は訪れる。

どんどん小さくなってゆく父親の背中を見送りながら、少年は精一杯拳を握りしめていた。

強く、守れる男になること。

父との約束を、何度も何度も心に思い返しながら。



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