<雪に酔う月>
「シフさん、そろそろ諦めたらいかがですか? 顔も真っ赤ですし・・・ね」
グラディウスが、にこりと笑う。いつもの優しい笑みだが、どこか勝ち誇ったような色が含まれている。
「うるせー! まだまだ!」
向かい合わせて座るシフが、ばんっと机を叩いた。尖った耳の先まで、茹でた蛸のような色に染まっている。
「うう・・・自分はもう・・・ダメだ・・・」
その隣にはカッツ。ぐったりと机に突っ伏し、すぐに規則正しいイビキが始まった。
「あーっ、ちくしょ・・・もう潰れやがって!」
悪態をつきながらシフは新たに酒の瓶を開けると、手酌でグラスに酒を満たす。
「俺はまだまだいける!」
「そんなに呑んで大丈夫ですか? それは、けっこう度数が強いですよ?」
既にカッツは戦線離脱してしまったが、三人が行っているのは言うまでも無く酒の飲み比べである。
シンディの出産祝いで久々に集まったメンバーだったが、当の赤ん坊が寝付いた夜に開始された。
発案者はシフ。理由は、『グラディウスの酔い潰れた姿を見たい』という馬鹿馬鹿しいものであった。
というのも、もう十年来の付き合いになるというのに、シフもカッツもグラディウスの寝顔はおろか、
アルコールに酔った顔を一度たりとも見たことが無い。用心深く、決して誰にも隙を見せないグラディウスを
一度でいいから負かす、という計画だったのだが、結果は見ての通りである。平均的に飲めるクチのカッツは撃沈。
十代の頃から酒には自信のあったシフも、既に視界が揺れている。対するグラディウスは顔色一つ変えることなく、
ぐいぐいと飲み続けていた。
「くそォ・・・お前何でそんなに強いんだ! 化け物並みじゃねぇか」
ただでさえ鋭い瞳を更に吊り上げ、シフは目の前の金髪の青年を睨む。
「化け物とは失礼な。ただ、シフさんよりお酒に強いというだけですよ」
「俺は十四の時から、騎士団連中の誰にも負けたことがねぇんだッ! 絶対にお前を潰してみせる!」
「ええ、頑張って下さい」
二人は、また同時にグラスの酒を飲み干す。
深夜。月明かりの注ぐ窓の外は、雪景色である。
大きな戦争が終わって、もう六度目の冬を迎えていた。雪が溶けるまで徒歩の旅は不便も多いので、
グラディウスは春までエントルスに留まることにしていた。シフはまた数日でここを離れるらしく、
次に全員で集まる機会は、下手をすれば数年先のことになりそうである。
「・・・うう・・・」
「もう限界のようですね。今回は終わりにしましょう」
頭を揺らし出したシフを見て、さすがにグラディウスも心配になった。飲み始めて、既に数時間は経過している。
「くそ・・・俺は・・・まけれれぇ・・・」
「呂律も回らなくなってるじゃないですか。ほら、寝室に行きましょうね」
「・・・・・・っ」
グラディウスが席を立ったと同時に、シフは意識を飛ばしてカッツ同様突っ伏してしまった。グラディウスは苦笑し、
シフの肩に手を掛ける。
すると、シフが目を閉じたまま寝言のように呟いた。
「おめぇさ・・・俺らの前では・・・無理すんなよ・・・」
「え・・・」
グラディウスは、そっとシフの肩から手を離す。
「・・・・・・」
しばらく、ぼんやりとした表情でシフの寝息を聞いていた。
☆
「ようやく終わったか」
空が白み始めた頃、シンディが部屋に入ってきた。勝敗は部屋の様子を見れば一目瞭然である。
「これはまた・・・派手に飲んだな。シフには酒代を請求してやる」
ゴロゴロと転がる空の酒瓶を忌々しそうに見やり、ふとグラディウスの顔を覗く。
「どうした?」
「いいえ・・・それより、シンディ様はこんな時間にどうされたのですか?」
「レニが夜泣きで目を覚ましてな。やっと寝かせたが、今度は私が眠れなくなってしまった」
まだまだ新生児の生態がよく分からない、とシンディは笑いながら机の上の瓶を集める。
グラディウスもそれを手伝う。
「私・・・無理をしているように見えるのでしょうか」
ぽつりと呟かれた言葉は、シンディの手を止めた。見れば、珍しく青年の顔がわずかに歪んでいる。
「さぁな。私にもよく分からんが、確か・・・そなたと出会って間もない頃、私も同じことを言った記憶がある」
「・・・はい」
「本音も隙も決して見せず、そなたは随分と無理をしているように見えた。それも、そなたの生い立ちのせいだろうが」
「・・・・・・」
シンディは、横で寝ているシフの頬を軽くつねる。
「ってぇ・・・! なに・・・すんだぁ・・・」
とりあえず反応は返したものの、目覚める様子はない。
「ふふ。年齢ばかりは一人前になっても、こいつはまだまだ子どもだ。きっと、そなたの気の緩んだ表情を
見てみたいのだろう。そなたの性格も、ちゃんと理解した上で、な」
「私は、無理などしているつもりは無いのです。ただ、こういう生き方が癖になってしまっているのか・・・
シフさんにも気を遣わせてしまって申し訳ないです」
隙を見せないということが変な誤解を与えているのだとしたら、それはグラディウスの本意ではない。
バツの悪い顔で笑って見せる。
「いずれシフにも、心底納得出来る日が来るさ。私がそうだったように」
シンディはグラディウスの目の前まで来ると、ニヤリと笑ってその額をピンと弾く。
「った! ・・・シンディ様!?」
「くくく、そなたも一度くらいは寝坊してみるといい。シフが喜ぶぞ」
「嫌ですよ。そんな失態をしようものなら、顔に落書きされてしまいそうで・・・」
「まあ、シフならやりかねんな」
そんな会話をしながらふと外を見ると、雪景色に浮かぶ月の色が薄くなっていた。
また新たな朝がやって来る。
「ところで・・・そなた、アルコールに反応しない体質だという事は、まだ話さないつもりなのか?」
「ええ。その方が面白いでしょう?」