<小さな訪問者>

 

激しい戦いのあとは田舎で静かに暮らしたいと語っていた聖騎士シフ・ギルフォード。

彼はその言葉の通り、各地の集落を転々とし、老人や子どもたちを相手に穏やかな年月を送っていた。

 

季節は秋。山の木々たちが紅や黄の衣をまといはじめ、動物が冬仕度をし、人々もまた昼夜の気温差に

冬の足音を感じている。

すっかり空も暗くなった時刻。シフが現在の住まいとしている古い木造の家の扉が叩かれた。どこか迷いを含んだような、

遠慮がちなノックだった。シフは何の躊躇いもなく、内側から戸を押し開ける。

「お、珍しい客人だな」

シフは驚く様子もなく、外に立っている少年に笑いかけた。

かつて、共に死線をくぐり抜けた仲間たちの子どもである。

「・・・こんばんは」

「おまえ、まさか一人か?」

「・・・・・・」

「黙ってちゃ分かんねぇだろ。こんな辺鄙な場所まで単身で来たからには、訳ありなんだとは思うけどよ」

口調とは相反し、シフの黄金の瞳は深くて穏やかだった。

とりあえず、物言わぬ少年を家に入れて、火に当ててやる。

父親譲りのブラウンの髪の毛と、母親譲りの凛とした容姿の少年、レニはもう十三歳になっていた。

まだあどけなさの残る顔を曇らせ、行儀よく正座をして床を見つめている。

シフは火を挟んで向かい合う形であぐらをかき、何も言わない。

レニから話し出すのを待ってやった。若い頃は短気が売りだったこの男も、中年になった現在は見違えるほどの

落ち着きを醸し出している。

レニは、物心ついた時から時折エントルスを訪れるシフを心から慕っている。むしろ憧れに近いと言っても良い。

 

「あの・・・急にお邪魔してすみませんでした」

やっとのことでレニが顔を上げ、まずは礼儀正しく詫びる。

「それは構わないが、お前の立場から言って護衛の一人もいないのは感心しねぇな」

「はい。父と母には、ここに来ることを言わずに来たものですから・・・」

「おい、まさか家出とか言わねぇだろうな」

「違います! そうじゃないんです・・・」

否定しながら、少年の瞳が僅かに揺らぐ。

「実は最近、将来のための勉強を本格的に始めたんです。国の歴史のことや、神官の仕事のこと、もちろん武芸も・・・」

「そりゃ結構なことだ。シンディの奴、こんな風に目ぇ吊り上げて厳しく教えてんじゃねぇの?」

指で目尻を上げるシフに、レニは『否定はできないです』と言って初めて笑った。その表情に、カッツの笑顔の面影が

色濃く受け継がれているのをシフはしみじみ感じた。

「僕、勉強は嫌いではないんです。いずれ最高神官という立場を継がせてもらうことにも、抵抗はありません。

ただ、僕は怖いんです。戦うのが、怖くて・・・」

握って膝に置いた拳が、小刻みに震えていた。

 

レニの武術や剣術の指導は、彼の両親であるカッツやシンディが率先して行っていた。

このリオール大陸に存在する王家の慣習として、政治の手腕と同等に必要とされるのが戦いの能力であった。

かつての第二次大陸戦争でも、ラウォのバル国王、ヴァレンのレナード国王、マイヤのアレン王太子、そして

エントルスのシンディたちは皆武器を持って戦った。

戦争以外でも、政治のトップに立つ者は命を狙われる機会も少なくない。敵は必ずしも国外の者とは限らないのである。

最低限、自分の身を護れるくらいの力は必要であった。

 

「漠然としたことなんですけど・・・もし、また戦争が勃発するようなことがあったら、僕は学んだ剣で、

人を斬らなくちゃいけなくなるんでしょうか・・・」

「レニ・・・」

「シフさんは・・・どうして聖騎士になれたんですか? 戦う事は、怖くなかったんですか?」

真っすぐに自分に向けられる瞳と問いに、シフは動揺の感情を僅かに覚えた。

「父も母も、無理強いしているわけではないんです。きっと、僕がこういう気持ちを抱いているのにも

気付いていると思います。だから余計に・・・僕は情けなくて・・・」

シフは、気持を必死に吐露する少年を黙って見つめた。

争いの存在しない時代に生まれた子どもだ。知らない事への恐怖は、時に知っている事への恐怖を上回ることもあるだろう。

沈黙の中に、パチッと薪が音を立てる。

 

シフはおもむろに、自分の後方から一振りの剣が納められた鞘を取り出した。

「俺が、かつて使っていた聖騎士の秘宝だ。知っているか」

「はい・・・両親から聞いています」

主であるシフにだけ応え、輝くという伝説の剣。

「持ってみな」

言われるままに、レニはおずおずと両手で受け取る。

彼には、ずしりと重い。

「その重さ以上に、大きなものを抱えていたから戦えた」

「・・・・・・」

「人間、必死になると全力が出せる。ある意味、戦争のさなかにはあれこれ思い悩む暇もねぇ。

命を奪うか、奪われるかの勝負だからな。そして、自分に守りたいものがある時は、頭よりも先に身体が動くもんだ」

「・・・」

「お前も、頭ではその意味が分かるだろう。体験したことが無いだけだ。本当にそういう局面に立たされた時に、

身を持って知るだろうさ。恐怖を超える何かが生まれるのを」

レニは、シフの言葉にじっと耳を傾ける。

「お前が戦う事に臆病になるのを責める権利は、誰にも無い。カッツやシンディが無理強いしないのも、

そういう気持ちなんだと思う。それでも、最低限の戦い方だけは教えておかないと・・・守りたい人が殺されるのを、

何もせず見ているだけの人間になっちまう」

「・・・・・・」

真剣にこちらを見るレニの顔が、今にも泣き出しそうになっていた。シフはふっと笑う。

「多くの仲間と犠牲のお陰で平和な世を作ったつもりだが、これから先もずっと同じだとは限らない。

表向きは良好に見える国同士の関係も、王たちが繊細で危ういバランスの舵取りをしているからこそのものだからな。

どんなきっかけでそれが崩れるかは、誰にも予想は出来ない。その時、戦うのも逃げるのも、お前の自由なんだ。

俺が言いたいこと、分かるか?」

「はい・・・」

「争いが起きた時には戦え、とは言わない。だが、目の前でお前の両親が殺されそうになったらどうする?」

「っ・・・!」

レニはその光景を想像して、ぶるっと身を震わせる。

「かつての戦争で、国民のために戦ったシンディと、そんなシンディを身体を張って助けたカッツ・・・

芯にあるのは、守りたいという思いだ。人が戦う理由ってのは、案外に単純なものだぜ。俺もそうだったように・・・」

シフの言葉の一つ一つが、少年の心に重く響いた。

「最終的にどんな道を選ぶのかは、お前が決めることだ。たぶん、親に出来るのは選択肢を広げてやることだけなんだ。

戦う事も、逃げる事も、全部知った上で選んで、決して後悔しないことだ」

 

かつてシフも、そしてカッツやシンディも、数多の兵士たちも、誰もが例外なく恐怖を抱いた。

中には逃げ出したい気持ちが生まれた者も少なくない。それでも最後は戦うという道を、己の意志で選択したのである。

言い換えれば、恐怖をも凌駕する、譲れないものがあったという事だ。

シフは話の最後に、『恐怖を知らない奴は、強くはなれない』と断言した。

この少年が、シフの言葉の意味をどこまで理解できたかは分からない。それでも、最初にここを訪れた時の顔つきとは、

明らかに変わっていた。

シフはそれ以上何も言わず、笑ってレニの頭をクシャクシャと豪快に撫でて見送った。

 

            ☆

 

やがてエントルスで、ルシェ教に対立する武装宗教団体がクーデターを起こした時・・・

成長したこの少年が先陣を切って立ち向かい、国民への被害を最小限にとどめて鎮圧するのは、もっと先の

未来の話である。




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