<英雄の死>

 

感情論で、何かが胸に突き刺さるというのはよく目にする表現だろう。

しかし、彼の胸に文字通り突き刺さったものは、紛れもなく敵の剣であった。

風穴の開いた胸から鮮血がしぶき、意識がゆっくりと遠のくまで・・・彼の心には、死への恐怖が駆け巡っていた。

 

            ☆

 

命など、惜しいと思うものではない。自分に与えられた使命を全うするためならば、死を恐れることなどあってはならない。

そう信じて、信じさせられて大人になっていた。

やがて、国の一部隊を率いることを命じられ、その信念は確たるものとなっていた。

それなのに・・・

そんな彼の心を、あの青年はあっけなく揺さぶった。

 

出陣前夜、彼は布陣の最終確認をするためにシフの待つ執務室を訪れた。総隊長であるシフと顔を合わせるのは、

初めてではない。かつては敵国の、部隊長同士であった。しかし、どんな数奇な運命か・・・そのシフが

聖騎士の証である秘宝を手に、ラウォへの抵抗勢力のトップに立っていた。

戸惑わなかったといえば、嘘になる。しかし彼は幸いにも感情にとらわれて状況を失うような性格ではなかった。

今は過去の
ことに拘るより、目の前に押し迫っているラウォ軍を倒すために動くべきである、と冷静に判断していた。

かえって、シフの方が気まずそうな顔をしている。

 

「今更だが・・・アンタにも色々と迷惑をかけた」

開口一番に、シフから出た言葉がそれであった。数年前にラウォとマイヤの間で小規模な争いがあった際に、シフは

彼の率いる部隊兵の多くを手に掛けたのである。

「争いだったから仕方のないことです。彼らは、弱かったから死んだ。それだけです」

シフへの嫌味ではない。彼の本心から出た言葉であった。

弱ければ死ぬ。それが戦いの常だ。

「・・・俺も死ぬことを恐れずに戦えるように育てられてきたが、やっぱり心のどこかには迷いがある。それに比べ、

アンタからは恐怖という感情が微塵も感じられないな」

じっとこちらを見つめて来る黄金の瞳に、彼は何の躊躇いもなく口を開く。

「聖騎士、なぜ迷いがあるのです? むやみやたらに死んでもいいとは思いませんが、自分が弱ければ敵に

殺されるだけです。私は祖国のために戦い、その結果として死ぬことになっても仕方がないとしか思えません」

冷たく、ナイフのように鋭い口調。

白銀の鎧を着けたシフは窓から覗く夜空を静かに見て、彼に再び向き直った。

「甘いと言われるかもしれないが・・・俺は、なるべく多くの人間が生きて帰る勝利がいい」

「・・・・・・」

「旅をする中で、戦いで死ぬことは仕方ないと思っていた自分が変わったんだ。死ぬことに恐怖を感じて、

逆に強くなれたと思う。守りたいものもたくさん出来た。昔は敵同士だったアンタも、今は俺の指揮で動いてくれる

仲間だ。本音を言えば、死んで欲しくない」

「それは・・・命令ですか」

「いや、違う。俺の個人的な希望だ」

「私には、理由が分かりかねます」

「そうだな・・・戦争が終わったら、ゆっくりと話がしたい。聖騎士なんて呼ばれてても、俺は人生経験も短い

未熟者でしかない。これから多くの人と出会って、話して、色々と学びたいんだ。だからアンタにも、死んで欲しくない」

 

彼は静かにシフの表情や瞼の動きを観察していたが、どうやら適当に言っている言葉ではないようである。

それが、どこか意外だった。彼の抱いていたシフと言う人物のイメージは、もっと冷酷無比な人間であったからだ。

「・・・私は、あなたのために戦うわけではありません。あくまで祖国のために戦います。しかし、それがあなたの

望みであるならば、指揮下で動く者として・・・力の及ぶ限りそうしようと思います」

彼らしい言い回しだが、その言葉もまた、決して適当なものではなかった。

「それで十分だ。ありがとな」

シフは笑顔で握手を求め、彼もぎこちなく応えた。

 

『死んで欲しくない』

そう言われたのは、生まれて初めてであった。

明日にはお互いに死ぬかもしれない運命。それでも、生きて戻ろうと誓う握手。

全てが、彼にとっては初めてのことであった。

 

            ☆

 

たった数分間のその記憶が、胸に押し寄せた。

敵の剣が鎧を貫き、皮膚を突き破って筋肉と内臓に達し、ついに貫通するのを彼は冷静に感じた。

「ぐぁ・・・ッ」

「ディロイ隊長おおぉ!」

遠くから、部下の悲痛な叫びが耳に届く。

視界が赤く染まり、噴き出す血と共に身体が急激に熱を失ってゆく。

総隊長がラウォの国王を倒したという伝令をかすかに聞いた瞬間、限界に達していた緊張の糸が切れ、その隙を突かれた。

(ああ・・・迂闊だった)

 

仕方のない事だと思っていた、死。

しかし遠のく意識の中で思い出したのは、シフの握った手のあたたかさであった。

そして初めて、彼は死にたくないと思っていた。

(私も・・・結局はただの人間だった・・・心にまで鎧を着せることは出来ないのだな・・・)

 

死にたくないと思っても、もう何もかもが遅い事も理解できた。

砂煙を巻き上げ、彼は地面に倒れる。何があろうと最後まで離さないと心に誓っていた槍は、しっかりと握ったまま。

(私に出来るのはここまでです・・・聖騎士・・・あとは頼みます・・・)

声にならない願いを終え、そこで彼は事切れた。

 

            ☆

 

彼の率いる部隊がいなければ、シフがバルを倒すまでの間にエントルスは確実に落とされ、カッツやシンディも

絶命していたであろうことは間違いない。

彼こそ、最後の最後まで戦い抜いて命を落とした英雄である。

 

のちにマイヤの平和公園に、彼の名を刻んだ碑が造られた。

そこは常に国民からの花束で溢れ、かつての聖騎士も、この国を訪れる際には必ず立ち寄る場所となっている。



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